マブラヴのスピンオフ「シュヴァルツェスマーケン」全7卷を読み終わった。
マブラヴを知らなくても楽しめる、非常によくできた戦記ものだった。
BETAの存在を除けば、東ドイツの国家保安省(シュタージ)の恐ろしさなど、この当時の世相をよく表しているようにも思う。
「シュヴァルツェスマーケン」あらすじ
社会主義政権下にあり国家保安省(シュタージ)による国民の相互監視システムにおかれていた東ドイツは、ポーランドを滅ぼし東進中のBETA(人類に敵対的な地球外起源種)を相手に、欧州の盾となる絶望的な戦いを強いられていた。
アイリスディーナ・ベルンハルトが率いる第666戦術機部隊「シュヴァルツェスマーケン」は最強の戦術機部隊と呼ばれ、数々の困難な任務を果たし、「東ドイツ最強の部隊」と呼ばれていた。
「シュヴァルツェスマーケン」の一人テオドールは、三年前に西ドイツに義理の両親と妹と共に亡命しようとしたところを国家保安省・シュタージに捕まり、苛酷な拷問の末に戦術機部隊に送り込まれていた。
両親が死に義妹のリィズとも生き別れになり、全てに絶望していたテオドールは、ただ生きるためにBETAと戦い続けていた。
そんなある日、テオドールたち「シュヴァルツェスマーケン」は、西ドイツから亡命していきた少女・カティアを助ける。
カティアは二つのドイツをひとつにし、協力してBETAと戦う架け橋となるために東ドイツにきたと語る。
命がけで二つのドイツをひとつにするという理想をかなえようとするカティアと、東ドイツが滅亡することになっても国民とその精神性だけは守りたいというアイリスディーナの真意を聞き、テオドールも、政府からの監視員として部隊に送り込まれていた政治将校のグレーテルも徐々に考えを変えていく。
東ドイツは政治本部とシュタージが主導権争いを繰り広げており、一枚岩になってBETAと戦うことすらできていない。
国民を相互監視させ恐怖政治を敷くシュタージを打倒し、東ドイツを生まれ変わらせるために、テオドールはアイリスディーナとカティアの理想のために戦うことに、自分の存在意義を見出していく。
不満については既に書いた。
この作品で自分が見過ごせないほど気になった点は、
①内容にミスマッチな萌え絵イラスト
②スパイとして送り込まれてきた義妹リィズのハニートラップに引っかかってからの、主人公テオドールと彼に関連する周囲の人間の言動のひどさ
で、この二点については既に書いたので、今回はこれを抜きにして語りたい。
「テオドールのお姫さま化」を除けば、もっと続いて欲しいくらい面白かった。
東ドイツの政治事情についてはそうとう調べているように思えるので、そういうリアリティとラノベ的軽さの食い合わせの悪さが読んでいて引っかかった。(「シュタージファイル」も実際に存在するものだ、ということには驚いた。)
2卷の要塞戦も、玉砕覚悟でできているノイエンハーゲン要塞の構造や戦闘の様子などがリアリティがあるのに、クルトを慕う女の子の様子がちぐはぐで、読んでいてどこに焦点を合わせていいのかが分からなくなる。
この作者は萌えもキャラものもさほど上手くないし、本人もそれほど楽しんで書いていないのではと思う。後書きなど見ると楽しんでいるかのように語っているけれど、申し訳ないが本文を読んだ限りでは「大人の事情で無理に入れているのかな」としか思えなかった。
こってりラーメンとケーキ(どちらも大好きだが)を同時にたべさせられているような気持ちになる。
もう少し一般書籍に近いかたちの人物像で読みたかった、というのが正直なところだ。
この作者が最初から自分でそういうことをしようと思ったのならば、そのコンセプト自体を批判するとところだが、恐らく「ラーメンとケーキを同時に作って食わせる」という前提自体があったのだと思うので、その中でこの面白さなのは驚異的だ。(ラーメンもケーキもそれなりに美味しく食べられたが、別々に食べられたらもっと美味しく味わって食べられたのになあ、と思う。)
逆に言えばその矛盾をすべて「テオドールのお姫様化」に集約させることで、乗り切ったのかもしれない。
「リィズを自分の手で殺す」から「リィズのリボンを、リィズの愛機チュボラスカに巻き付けて戦う」に移行した切り替えの早さには笑った。最後まで周りのキャラがテオドールにとって都合よく解釈される姿勢に感心する。(しない)
カティアもリィズもグレーテルもキャラとして説得力があり、応援したくなるのだが、テオドールに絡むと途端におかしくなる。
特に六巻の最後のカティアのおかしくなりっぷりは、尋常ではない。反体制派がどんな目にあったか、どんな歴史があったか知らないで「復讐のためにリィズを殺すなんて、シュタージと同じ」はさすがにひどいだろう。
作者もさすがにおかしいと思ってか、七巻では「こういうこと(反体制派が復讐のためにリィズを処刑にしたこと)も必要なことなのかもしれない」と思わせている。
キャラごと感想
アイリスディーナ
冷静に考えると「キャラとして出来すぎている」と思わないのでもないのだけれど、アイリスディーナはなぜか生身の人間らしさがあった。背負っているものの重みや、それをギリギリで支えている切迫感に説得力があった。
「自分がいなければ、第666戦術機部隊は本来の強さを発揮できない」ということが分かりつつも、「常に自分よりも周りの味方を優先してしまう」という矛盾を抱えているのも良かった。
脆さや矛盾を抱えたギリギリのところでの強さ、格好良さがアイリスディーナの一番の魅力なのだと思う。
個人的には、テオドールとの恋愛事情は抜きにして欲しかった。
アイリスディーナは「シュヴァルツェスマーケン」という絶望的な物語に差し込む希望のようなもので、物語内視点でも重いものを背負っているし、メタ視点では物語全体の精神性を背負っていると言っていい。
そういう人に恋愛感情を抱くならば、もっと掘り下げないと納得がいかない。
ただでさえそうなのに、リィズにうんたらかんたらやっているのと同時並行だから、グレーテルやカティアがアイリスディーナに影響を受けて変わり、ヴァルダーやファムが命をかけてもアイリスディーナに尽くす感情に比べても、感情移入するどころか「こいつは、何を考えてるんだろう?」としか思えなかった。
カティア
普通の物語であれば、カティアのポジションにいるキャラが主人公だろう。
最初の理想主義丸出しのウザさが良かった。
東ドイツの現状を何も知らず、自分が正しいと信じることのみが真実だと思っている主人公が知る苛酷な現実。でもそこで潰れず、大勢の人に生かされている事実を背負って成長していく。
シュタージによる拷問で人としての尊厳の見失っていたテオドールとの対比や、お互いにいい影響を与え合っている様子も良かったのに、どうしてああなってしまったのか。
本人(という名の作者)が言っている通り、リィズと「妹キャラ」「テオドールの恋心」が被っているのが良くなかった。
リィズとカティア、どちらかが男でテオドールへのかかわり方が違ったら、もしくはカティアが男でテオドールのポジションを兼ねていたほうが、物語的には上手くいったんじゃないかと思う。
最後はテオドールから離れたせいか、マトモになってよかった。
グレーテル
物語中、最も成長した人物。「ダイの大冒険」のポップに勝るとも劣らない成長ぶりだ。「グレーテルは、成長の仕方だけならばカティア以上ですよ」
グレーテルの扱いを見ると、作者の公平なバランス感覚に対して信頼が増す。
グレーテルが「シュヴァルツェスマーケン」の中でも並み以上の戦闘力しか持たないのは、経歴上、政治力のほうが優れているからで、その政治力を使って後々第666部隊を支えるなど設定がきちんと生かされている。
グレーテルがどうしてあれほど社会主義体制にこだわるのか、アイリスディーナからどう影響を受けて、どう変わっていったのかとか丁寧にその変化や成長ぶりが描かれている。グレーテルのこういった内面の変化や成長と比べても、テオドールの恋愛模様の適当さや優柔不断ぶりが際立つ。
リィズ
物語内視点で見ると可哀相なのだけれど、「シュヴァルツェスマーケン」で一番面白いキャラだった。
テオドールと絡んでいないときはかなり冷静に物事を対処しているので、完全に「死んでいる」ようには思えないけれどな。
前に「運命に耐えるときに発揮する強さが、よく言われる『男にはない女の強さ』なのでは」という話を「親なるもの断崖」に関連して書いたのだけれど、リィズにもそういう強さを備えてあげて欲しかったなと思う。シチュエーションはまったく違うが、運命の苛酷さという点では「親なるもの断崖」の梅に似た部分がある。
もしくは「リィズは既に生きながら死んでいる」という感じを、もう少し押し出したほうが面白かったと思う。「生きながら死んでいる」のであれば、最後までテオドールのことを考えていた、というのもイマイチピンとこない。
リィズというキャラ自体のアイデンティティが余り定まっておらず、「物語の展開に都合のいいような悪役」という感があったのが残念だった。
シュタージに囚われていた三年間については外伝で描かれているようなので、後で読みたい。
総評
「ハーレムもの」や「チートもの」は人気があるのだろうし、自分もキャラものは好きだけれど、だからと言ってそれらを無理にねじ込んでもろくなことにはならない、と思った。
ただ「シュヴァルツェスマーケン」はそういうバランスの悪い部分に目をつぶれば、とても面白い物語だった。
ゲーム後編の副タイトルが「殉教者たち」だったので、全滅エンドかと思っていたが、希望に満ちた終わり方でよかった。