うさるの厨二病な読書日記

厨二の着ぐるみが、本や漫画、ゲーム、ドラマなどについて好き勝手に語るブログ。

第12回スーパーダッシュ小説新人賞優秀賞受賞作「代償のギルタオン」のいい点と問題点を勝手に考えた。

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神高槍矢の「代償のギルタオン」の既刊三巻までがまとまった合本を読み終えた。

「え? ここで終わり?」というところで終わっている。三巻の初版が2014年7月なので、続きが出ることを期待するのは難しいかもしれない。

よく見たら、合本版も「全」3卷になっている。

【合本版】代償のギルタオン 全3巻 (スーパーダッシュ文庫)

【合本版】代償のギルタオン 全3巻 (スーパーダッシュ文庫)

 

 

事前情報はまったくなく粗筋と紹介文を読んで面白そうだな、と思って手にとった。

 

「代償のギルタオン」は面白い。

内容も面白いが、この作品がなぜ新人賞を受賞したのか、自分が個人的に「うまい」と思う部分と「ひどい」と思う部分の落差も色々と考える材料になる。

この記事では、その辺りの思ったことを書きたい。

*ネタバレありなので注意。

 

先に悪いと思ったところから書く。

実は、この作品は自分にまったく合わなかった。

ひどい部分は読むのが苦痛なほどひどい。この部分が修正されなければ、仮に完結したとしていたとしても、どこかで読むのをやめていたと思う。

 

自分が「代償のギルタオン」でひどいと思うところは、作内の表記と読み手である自分との認識が一致しないことが多すぎる点だ。

 

例えば「効率重視」というシャリオやロクトが、効率を重視しているように見えない。

ライクたちを少し見ていれば、無理やり言うことをきかすよりも、情を利用したほうが動かしやすいのが分かると思う。

実際にライクは理不尽なリンチを受けたにも関わらず、シュメルツヘイムのために戦っているし、メサイアもガラハルトに引き取られ軍人になっている。

自分から見ると話をややこしくしているのはライクではなく、シャリオとロクトだ。ライクに悪意をぶつけ追い詰めることで、ヤシャナが反抗しライクが逃げ出したくなるように仕向けているようにしか見えない。

二人が国に反逆を企てている伏線か何かかと思ったら、そういうわけではないようだ。

目先のことや自分のプライドしか頭にない人たちに見えるのだが、作中の扱いがそういうわけではないので読んでいて混乱する。

 

人物描写だけではなく、佐官に過ぎないシャリオがガラハルドに背負い投げを喰らわすなど、軍としての規律どころかもはや組織としての態をなしていない。しかし他の場面では「組織の規律」が絶対になったりなど、この国や世界の法則性がよくわからない。

またシャリオがガラハルドを脅すシーンで「バッジナムはヤバい。(略)適当に八つ当たりするかもしれねぇ」と言うのだが、八つ当たりで王族の中将の旗艦を攻撃しかねないくらい自暴自棄になっている人間が、なぜ自分をそんな目に合わせたシャリオの言うことは聞くのかがわからない。

 

人の行動も組織の内実も世界観も、「その瞬間の物語の都合で動いている」ようにしか見えない

また「その行動を、効率的と考えるのはおかしい」と思っても、「この物語ではこれが効率と呼ばれるものなんです」ということになっているので、共通認識が成立しない。

シャミーがギギから継ぐものが「野望」と表記されているのも、言葉としては完全な間違いとまでは言わないが、「理想」や「信念」じゃないのか、と言葉が出てくるたびに引っかかる。

多少であれば仕方ないが、「代償のギルタオン」はほとんどすべてが「物語の都合」で動き、「それはAとは呼べないのでは」と思うものが「Aです」と書かれているので、読んでいて疲れる。

 

この現象は話が進むにつれてどんどんひどくなる。

三巻の最後のシャリオとガラハルド一派のやり取りは、ライクを捕らえるために二人が仕組んだ茶番でなければ、すべてに突っ込みを入れたくなるくらい訳が分からない。仮に茶番だとしても突っ込みたくなることはあるのだが、物語としてはそちらのほうがまだしも整合性はとれている。

 

この現象が登場人物の行動原理や世界観ならばまだ我慢ができるのだが、主人公や作品を貫く価値観にまで波及すると、読むことが苦痛の域になる。

 

これも上げるとキリがないのだが、一番引っかかったのはシャミーが死んだあと、ライクは「自分が正しいと信じて疑わない人たちの行動が、戦争という形で世界を壊そうとする」と考えて、ディスカニオに対して憤る。そしてその後に、

ライクは、少しだけだが、シュメルツヘイムの思想を理解する。軍人、ギルタオンが滅ぶべきだという主張はあながち間違っていないのかもしれない。

と考えるシーンだ。

このとき、「ライクの中で、軍隊とシュメルツヘイムは何が違うのか?」ということが分からない。この両者が両方とも「自分が正しいと信じて疑わない人」だからこそ、戦争は起きている。

実際、シュメルツヘイムの人間たちはライクを捕らえリンチにかけ、ロジーナは町を壊し、シャミーに至っては、何の意味もない「軍人を一人でも多く道連れにする」殺戮を行おうとしている。

 

なぜ軍は「自分が正しいと信じて疑わない人だから滅ぶべき」で、同じことをしている(ようにしか見えない)「シュメルツヘイムは違う」のか。

軍の中でもグラカリムやガラハルドは、街の人間を守ろうとしている。シュメルツヘイムでも、ロジーナは町の人間のことなどお構いなしだった。

ライクがどこに軍とシュメルツヘイムの違いを見出しているのか、よくわからなかった。

曖昧な感情論で片方に肩入れさせることで、ライクの未熟さを表わそうとしているのか? と思いきや、物語内ではこのライクの思考を批判したり否定するような書かれ方はしていない。むしろ肯定しているように読める。

 

またミコを死に追いやり、ヤシャナを監禁し、ライクを無理やりギルタオンに乗せた軍に所属するクードが「優しい人間ならいい、誠実な奴なら認めてやる。だが、おまえは自分と兄妹のことしか頭にないだろ? 考え方が自分勝手なんだ」と初対面のライクにいきなり言い出したときには、引くのを通り越して恐怖を覚えた。

クードはサイコパス設定なのか?と思ったが、どうも違うようだ。

これは本当にびっくりした。

 

恐らくはライクが「使命感を持って世界の命運と自主的に関わるため」の物語内の課題提示なのだろうと思うが、余りにも雑すぎる。

グラカリムのヒーロー願望云々もそうだが、この作品は、普通であれば物語の中で人物の言動で描くべきものを、キャラが(クードの場合は、適切とも思えないキャラが)言葉で説明してしまう。

一巻はこの「キャラが肝心なことを全部言葉で説明する。しかも初対面の人間相手に」という不自然な状況が多かった。新人賞受賞作であることは後で知ったので、それで納得したが。

 

しかしクードよりも恐ろしいのは、シャミーだ。

ライクにギギのターバンを託そうとする、ライクの養子問題に口出しするなど、「他人」という概念がないのではないか、と恐ろしさを覚える。

シャミーは「母親のようだ」とライクは考えるが、確かにこの相手の思考を自分のものと同一視するところは、子供と自分の自他の区別がつかない毒親を思わせる。「春にして君を離れ」のジョーンと同じタイプだ。

 

自分が正しいと信じて疑わない人たちの行動が、戦争という形で世界を壊そうとする」

自分から見るとシャミーこそそういう人間なのだが、(シャミーの場合は、敵を壊しつつ気に入った他人はコントロールしようとする)どうもライクの認識は違うらしい。

 

物事の是非以前に、「これとこれは同じに見えるのに、なぜこれはOKでこれはダメなんだ?」という基準が分からないので是非を考える以前に、判断のしようがない。状況や相手によって、判断の基準がコロコロ変わるからだ。

とりあえず「軍とシュメルツヘイム(個人間の関わりで判断するのならば、グラカリムとシャミー、ロジーナとディスカニオ)はライクにとってどう違うのか」だけでも明示してくれないと、感情移入どころか「ライクの中ではそうなのか」とさえ納得ができない。

 

この話の中で描かれていることは支離滅裂なことが多く、その部分について考えようとすると整合性がつかず訳がわからなくなる。

 

次にいいところ、すごいと思ったところについて書きたい。

「代償のギルタオン」のいいところは、読み手に「その部分について考えよう」と思わせないところだ。

「代償のギルタオン」は、その辺りのバランス感覚が非常にいい。別の言葉で言えば、割りきりの良さがある。

キャラにも主張にも変にこだわることなく、物語のスピード感を重視している。

特に一巻は、キャラが物語に必要なことだけを説明して、物語上の自分の役割を果たしてサッと退場する。前述した通りこれは普通に考えればかなり不自然なのだが、「代償のギルタオン」はこのサイクルが非常に早いので、「不自然だ」と考えている暇がない。

大事な情報であるギルタオンの代償を、初対面の敵にいきなり話し出したりするのはさすがにあり得ないだろうと突っ込みたくなったが、多少不自然でも話の流れを失速させないようにしている。

チャルコ、ノート、キャルノアが出てきては消えていくサイクルの早さにも驚いたが、物語上重要な役割を担うギギもそれほど出番を引っ張らない。

 

ロクトは元々が個性のないキャラだったので、本来は不自然に感じそうな急激な悪役化もさほど違和感がない。しかもせっかく面白いキャラになったので、もう少し引っ張るかと思ったらあっさり退場させている。

ロクトが退場することで読み手の溜飲が一回下がるので、似たような属性を持つディスカニオが出てきても「またか」とは思わない。

ディスカニオも極端な悪役なので、シャリオとのバランスが取りづらいだろうと思ったら、かなりあっさりと退場させている。

 

言い方は悪いが、敵も味方もキャラは物語を動かすための消耗品に近い。

矛盾を感じてもすぐにいなくなるので、それほど腹も立たないし苛立たない。主人公のライクも余り個性がなく、扱いも他のキャラと平等である。

物語においての「特別」というのは、際立った能力を持っているなどではない。

「作者がそのキャラにどれだけ思い入れているか」で決まる。作者の思い入れがないキャラは、どれだけ物語内で強大な力を持っていても、メタで見れば他のキャラ同様、物語の部品でしかない。

作者が特定のキャラに思い入れれば入れるほど、物語のバランスは崩れやすい。「代償のギルタオン」はこの辺りが驚異的で、キャラに対して作者の思い入れをほとんど感じない。

ロクトが悪役化すれば、恋人でそれなりに有能、良識人であるサリアンナとの設定のバランスをとるのは難しくなるのだが(ロクトの本性を見抜けなかったのかなど)ロクトが悪役化して以降、サリアンナは出てこなくなる。

サリアンナというキャラを事実上消滅させても、ロクトを悪役化したほうが面白いし、そのロクトでさえそれほど出番は引っ張らない。(恐らく一年後に目覚めさせるつもりだったのだろうが)

確かにそのほうが話は面白い。だがそのほうが面白いと分かっていても、普通はここまで潔くは割り切れない。

 

「作り手の思い入れ」という物語を失速させる負荷がまったくないので、読み手が何も考えなくてもベルトコンベアに乗せられているように物語がぐいぐい進んでいく。多少の矛盾や疑問は、「まあそういうこともあるのだろう」くらいの感覚でやり過ごせる。

好意的に見れば、できるだけ早い展開で楽しませようとした結果、細かい部分を犠牲にしたのかもしれない。

 

「代償のギルタオン」はこの「読み手に負荷をかけずに物語を素早く展開させ、楽しませる」という目標のために、キャラや世界観の整合性や多少の不自然さという代償を捧げている。

この割り切りの良さと、物語の展開においてAとBが天秤にかかったときにどちらをどの割合でとるかという感覚が鋭い。まるでレールの見えないジェットコースターを運転するがごとく、目の前に現れた分岐点を一瞬でどちらに行くかを判断している。

 

先日、「出版業界の最近について現役編集者より」という増田を読んだ。

いまの出版システムが、どんどん新刊をつくって納品して、書店の棚を回転させ続けるというかたちで成り立っているので、1ヶ月も新刊が書店に置いてあることが稀なのだ。

特に回転が早いのがマンガとライトノベルの棚で、もう新刊点数が多すぎる。一般の文芸文庫なんかはもうしばらく残るので、それなりにジワ売れもしたりする。

匿名なので本当に名乗っている通りの経歴かは分からないが、話自体はありえそうな話だと思った。

紙の本が初速で売れなければ、重版もかからないし、続巻も出ない。 電子書籍の売上は、ほとんど続巻を出すかどうかの判断材料にならない。そしてライトノベルは最初に紙の本で売れなければ、回転率が速すぎて「ジワ売れ」も期待できない。

「代償のギルタオン」の三巻は、かなり微妙なところで切れているのだが、四巻を初版で売り上げるためにこういう形にしたのだと思う。

 

以前読んだ「小説指南」の中では、ライトノベルの賞を選ぶとき、どんな点が判断材料になるかが書かれていた。 

www.saiusaruzzz.com

10年以上前の本なので、現在の状況とはだいぶ違うかもしれない。ただ「出版社のニーズにこたえる作品を供給し続けられてこそプロだ」という発想は変わっていないのでは、と思う。

応募作の出来が絶対の基準になるのではなく、この応募作を直したらどれだけ売れるか(どれだけ直せる余地があるか)、また応募作を書いた作者がこの先どれだけ「世の中のニーズに応えた多種多様な作品を供給し続けられるか」を見ている、というのはなるほどと思った。

 

粗製濫造と言われても、回転率が年々早くなっているライトノベルというジャンルではそういう人材を求めている。というより、そういう人材でなければ、そもそも生き残ることができない。

まずはニーズに応えるものをどれだけ書けるかが前提にあり、優れたものを書けるかはその後の話なのだろう。厳しい。 

ただチャンドラーやフィッツジェラルドも生活のために雑誌に小説を書きまくっていた時期があったので、いつの時代も作家や出版のこの辺りの状況は変わらないのかもしれない。

 

という風に考えると、自分とは合わない部分もあるが、「代償のギルダオン」はライトノベルという分野が取り囲まれている「とにかく読者を楽しませ、興味を惹きつけさせ続けなければ続巻が出ることすらない」状況の中では、突出した出来なのではと思った。

高速で走り続けるジェットコースターを、読み手を乗せてほぼ的確に運転している。この技量を期待されての受賞だったのでは、と思う。

自分は「代償のギルタオン」は上に書いた理由で物語としては破たんしていると考えているが、考えてはいても感じてはいない。物語を楽しむためには考えよりも、感じが常に優先される。

 

このジェットコースターをどこまで走り続けさせるのか、ますます困難になるルートをどう乗り越えていくのか、色々言いつつも終点まで見てみたかった。続巻が出ないのが残念だ。

代償のギルタオン3 (集英社スーパーダッシュ文庫)

代償のギルタオン3 (集英社スーパーダッシュ文庫)

 

 

キャラの色付けが濃い、展開が早くて派手、色々な種類のギルタオンが出てくる、それでいながら話の筋がシンプル。視覚優位の文章で、最初からアニメ化を意識して書いていたように見える。

もったいないな…。

こういう作品をもう少し応援していかなければと反省した。

自分個人に限って言えば、色々な要素を加味して長い目で応援していくという姿勢もなくてはダメだな、と思った。読み手がそうならなければ、最大公約数のニーズに即興で応えるだけの似たような創作ばかりになってしまう、面白いと思っても続巻が出ない状況も認めるしかなくなる。

ずっと創作に楽しませてもらったり支えてもらった部分があるので、少し恩返しするくらいの気持ちも持ちたい。

電子書店用のプロモーション方法が確立されていないのも難しい。やっぱり欲しいものをピンポイントで検索して買うことが多くて、書店の店頭をざっと見るような買い方とは違ってしまう。でも頑張らねばならぬ。

電子書籍じゃ売上実績にならない、と言われるとちょっと厳しいが、もう少し広い目で色々な本を探すようにしていきたい。

いま追追記を確認したら「電子でも紙でも好きな方で買ってください。売れればOK、ちゃんと数字は見てる」と書いてあった。良かった。

 

引用元増田。

anond.hatelabo.jp