うさるの厨二病な読書日記

厨二の着ぐるみが、本や漫画、ゲーム、ドラマなどについて好き勝手に語るブログ。

松本清張「遭難」は、出題編のみにとどめておけば傑作だった。

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先日、他の記事で紹介されていた松本清張の短編「遭難」が面白そうだったので、即購入した。

松本清張映画化作品集〈3〉遭難 (双葉文庫)

松本清張映画化作品集〈3〉遭難 (双葉文庫)

 

 

 

「遭難」あらすじ

銀行員の江田、岩瀬、浦橋の三人は休暇を取り、鹿島槍ヶ岳に登山に出かける。

寝台列車で十分睡眠をとり、万全の体制で三人は登山を始めたが、出発当初から岩瀬の様子がおかしい。

荒天、判断ミス、道の間違いなどの不運が重なり、三人は山小屋に戻ることができず遭難する。

リーダーの江田は体力が限界の二人を残して、一人で山小屋へ救援を呼びに行く。しかし夜が明けて救援隊が遭難場所に到着したときには、岩瀬は帰らぬ人となっていた。

浦橋は哀悼の意を込めて、山岳雑誌に事故の経緯を寄稿する。

その記事を読んだ岩瀬の姉から、江田に連絡が入る。

 

 

ネタバレなし感想

「遭難」は二部構成になっている。

前半は三人が遭難した経緯が細かく描かれた「浦橋の手記」、後半はその手記を読んだ岩瀬の姉と従兄弟が自分たちの疑問を解くために動く「解答編」になっている。

 「遭難」の面白さは、この前半の「手記」に凝縮されていると思う。

解決は正直大したことがない。短編でもあるし、真相はほぼ想像の範囲内で収まる。動機も手記を読んでいる段階ですぐに分かる。

ただその真相が「手記」ではこういう風に表現されている、という落差が面白い。登山中という一種のクローズト・サークルの中で、「信頼のできない語り手」の技法の効果が最大限に発揮されている。

浦橋は、岩瀬と共に夜の山中の暗闇の中にいるときの描写をしている。

事件とほとんど関係のないこの描写が、「遭難」の中で最も迫力があり面白い箇所だ。

闇が急に巨大な生物となってせまってきたのは、それからである。(略)

夜がしだいに私の頭の上に圧しかかってきた。

それは途方もない広がりと無限の量感をもっていた。風はすさまじく鳴っていた。それが夜自身の吠える声に聞こえ、日ごろ詩を感じさせてくれている夜は想像もつかない反逆を狂暴にぶっつけてきた。(略)

私はリュックの袋に足をつっこみ、身を小さく屈めたまま、目を閉じ、両耳を塞いだ。それでもこの深夜の夜が私の身体をつかみ、谷底にひきずりこんでたたきつけるような錯覚に襲われた。(略)

山と夜の風が荒々しく駆け回っている底で虫のように背を曲げて、われとわが身体にしがみついていた。その孤絶に、気が狂いそうな恐怖がつきあげた。 

 (引用元:「遭難」 松本清張 株式会社双葉 P85-86)

 

現代社会では見失いがちな自然の恐ろしさと、自然に相対したときの人間本来の無力感と恐怖を呼び覚ましてくれる。

このあとの岩瀬の叫びといい、このシーンは本筋すら忘れそうになる迫力がある。

このシーンで感じられる自然と闇に対する怖気立つような恐怖に比べると、相対的に謎解きが平凡でつまらなく感じられてしまう。

解答編の出来が悪いというわけではなく、解答編が及第点の優等生的なできに比べて、出題編を覆っている雰囲気が余りに強い力を持ちすぎていて、結果的にアンバランスな作品になってしまっている。

 

「こんなに出題編が面白いなら、解答編はもっと驚天動地なものに違いない」と思わせるくらい、出題編である「浦橋の手記」が面白すぎるのだ。

 

自分の個人的な意見では、これは出題編である「手記」だけで話をまとめたほうが面白かったのでは、と思う。真相は藪の中で良かった。

「ミステリーなのだから、きちんと読者に筋道だった解答を提示しなければならない」という生真面目さが、裏目に出てしまっていて何とも残念な気持ちになる。

以下、真相を明かしての感想なので未読のかたは注意。

 

 

 

 

 

真相まで明かしての感想

槇田は「何等かの手段で江田を社会的に破滅させる」と言っていたけれど、物的証拠もないし、偶然の積み重ねを警察に告発するのは難しそうだ。

江田が不倫をしていたのならそこを突けるけれど、不倫については江田は被害者だし。雑誌などに告発文を載せるにしても、取り合ってもらえるかどうか。ネットもない時代なので、怪文書をばら撒くくらいしか方法が思いつかない。

あと何で「このままではすませない」ことわざわざ江田に言ったのか、しかも山の中で告げたのかがわからない。何か策があってのことかと思ったら、普通に殺されたので訳が分からなかった。

槇田が死亡するというどんでん返しありきで、この辺りの展開が強引に感じる点も解決編の評価を下げている。

このあと今度は土岐が槇田の死の真相を探るために行動を起こす展開があったら、ループもののようで面白いけど。(永遠に続く)

 

江田が計画した「期待性の堆積によって犯罪を構成する」のは面白いと思った。これを槇田が言う「明瞭な作為である」と立証するのは、不可能だと思う。

被害者の心理を利用して自ら死に向かうように誘導する。こういう話は、たいてい「そんなにうまくいくかな」と思うのだが、「遭難」の心理誘導は再現性が高そうに思えた。

「どこにどれくらい期待をかけるのか」という見極めが的確だ。

そんなに人の心理を的確に突けるのに、奥さんに不倫されたり、槇田にここまで詰められたりするものかなと不思議な気がしたが、意外とそんなものなのかもしれない。