この記事を読んで、「ひとりぼっちのソユーズ」を即座に購入した。
共感したからとか同情したわけではなく、この文章を書く人の本なら面白いだろうと思ったからだ。
最初は他のコンテンツと同じように、作者や背景とは切り離して小説そのものの感想を書こうと思っていた。だがどうにも切り離せないので、上記の「アニメ化を断った話」と小説の両方を読んで思ったことを書きたい。
読んだのは書籍化されている「ひとりぼっちのソユーズ 君と月と恋 ときどき猫のお話」だ。カクヨムで公表されている続編は未読だ。
ひとりぼっちのソユーズ 君と月と恋、ときどき猫のお話 (富士見L文庫)
- 作者: 七瀬夏扉,吉田健一
- 出版社/メーカー: KADOKAWA
- 発売日: 2017/12/15
- メディア: 文庫
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「ひとりぼっちのソユーズ」はとてもシンプルな話だ。
宇宙飛行士になることを夢見る少女ユーリヤと、彼女から「私のスプートニクになりなさい」と任命された「僕」との二十年近い交流の軌跡が描かれている。
この話の魅力を語るのは難しい。
「文章が」「ストーリーが」「キャラクターが」そういうことで本質を捕らえられる物語ではない。
表層的に語れば「病弱で薄幸な幼馴染の夢をかなえる話」となってしまい、それを話すだけで「またか」と思われてしまいそうだ。
「ひとりぼっちのソユーズ」の魅力を知るには、この話を体験してもらうしかない。
「僕」の視点で、物語の世界を体験することで、初めてその美しさと素晴らしさが分かる。
余計な装飾をはぎとったシンプルさがあるからこそ、「自分にとってのたった一人の誰かと運命を共にする」「その人が自分の全世界だと感じる感覚」を再現することに成功している。
ユーリヤは読み手の多くにとって、「自分にとって世界のすべてであるたった一人の誰か(たったひとつの何か)」を投影させるのに十分な魅力と美しさを備えている。「ひとりぼっちのソユーズ」に強烈な魅力があるのは、「ユーリヤという世界」の美しさを体感させることに成功しているからだ。
その体験したあと、恐らく多くの人は「その体験は自分のみの体験だ」と感じると思う。「この話が他の人にとってどういうものか」という客観的な評価を語ることを難しく感じると思う。
「ひとりぼっちのソユーズ」は、存在していることがにわかには信じられないほど美しい物語だ。
この物語は爆発的に売れ、多くの人を熱狂させる物語ではない。
ごく少数の人々が、ふとした瞬間に古い大切なアルバムをめくるように、いつまでも心の奥底に大切にしまっておく小さな宝箱のような物語なのだ。
現在は小説に限らず、多くのコンテンツが湯水のごとく消費される。特に娯楽色が強い分野は競争も激しく、とにかく多くの作品を書き出し続けることで回転させている。その中からそこそこ売れるものが生まれれば御の字という世界なのだろう。
自分もその構造に消費者として加わっているので、粗製濫造だというつもりはない。(実際、好きな作品もたくさんある。)業界には業界の事情があるだろうし、売れなければ意味がないというのは分かる。
下記の記事で書いたように、「出版社のニーズにこたえる作品を供給し続けられてこそプロだ」とも思っている。
でも一方で、そういう構造の中で、決して「安易に消費してはいけないもの」「消費させてはいけないもの」もあると思う。
これは作者にとってそうだ、と言いたいのではない。
「誰かにとってそういうコアになりうる物語」を安易に消費するという行為は、間接的に自分も含めた人間を軽んじる行為ではないかと思うのだ。
そういうものも「こういう構造だから仕方がない」「金にならなければ仕方ないのだから消費していい」というならば、何のために創作があるのかが分からなくなる。
実在の人物の内面について憶測で物を言うのは気が引けるが、「アニメ化を断った話」に出てきた編集者の人も「ソユーズ」に思い入れがあったのではと思った。
「ソユーズは出版するべきではなかった。失敗だった」
メールの他の文面は分からないし、編集者が普段何を考えているのかもわからない。指摘されている通り「アニメ化を断った話」の流れ自体はよくある話だとも思うが、この言葉には編集者個人の配慮の無さが出ているように思われて憤りを感じた。
しかし本を読んだあと、「ひどい言葉だ」としか思わなかった言葉に対して、「他にこの物語にふさわしいやり方があったのではないか」という、忸怩たる思いがあったのかもしれない、という読む前には思いつきもしなかった、そんな妄想が頭に浮かんだ。
「ひとりぼっちのソユーズ」には、そういう力がある。
世の中に長く残り続ける物語がそうであるように、「これは自分だけの物語だ」と思わせる特別な引力がある。「僕」とユーリヤのあいだに存在した引力のような、たった一人を理屈抜きの強烈な力で惹きつける。
その引力について描いた物語なのだ。
この物語をただただ埋もれさせてしまうことを、とても残念に思う。
巨大な歯車の末端にいるただの消費者に過ぎないとしても、おかしいと思うことはあるし、どんなにささやかでも「こうしたい」と思うことはある。
「ひとりぼっちのソユーズ」は、あなたの人生にとって大切な宝物になるかもしれない物語だ、ということを読んだ人間としてお伝えしたい。
余談
「ひとりぼっちのソユーズ」は、万人が「楽しかった」と満足して終わる物語ではなく、誰かにとって「特別な宝物」となる物語だ。
ただ自分にとっては、「特別な物語」ではなかった。ここまで書いておいて申し訳ないが。
自分にとって他人は、基本的に「異物」なのだ。
「他人は理解しがたく違和感があるものだからこそいい」「そうでないと安心できない」という発想があるので、今いちフィットしなかった。
世界観や価値観の強い物語は、そこに強烈に引き込まれるか、自分には関係ない物語になるかが大きく分かれる。
作者もそれほど本意ではなかったのかもしれないが、もともと二万五千文字の物語を十二万文字にしたのは、さすがに無理があるのではと思う。同じことの繰り返しが多く(それで想いの強度を高めているのは分かっていても)若干退屈だった。
ただそういう真逆の好みを持つ自分でさえ、この物語の世界観は特別であると感じ、その美しさを十分堪能した。
作者が書いていたように、一冊完結で出版できなかったのかな。
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自分から見ると「代償のギルタオン」は、現在のニーズに乗っかることに特化した作品なのだけれど(そしてそこが凄いと思うが)それでさえ続刊が出なかった。
厳しい世界なのだろうが、それでも今の状況はどうかと思う。受け取り手として、意識を少し変えていきたい。
それが自分が面白いと思う作品に出会うために必要なことだと思った。