うさるの厨二病な読書日記

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人は何に最も騙されやすいのか。カトリーヌ・アルレー「わらの女」

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「塚本廉」が嘘だったんじゃない、全部が嘘だったんだ|カフカと知恵の輪 小保内太紀|note  

この記事を読んで、「わらの女」を思い出した。

なぜこういう人に人は引き寄せられてしまうのだろうか。

 

「いいですか。私は、たった今、非常に重大な質問をした。(略)もう一度、質問しましょう。なぜ、あなたは私を信頼するのです。というより、正確に言えば、なぜ、最初から、私を信頼したのです」

 

「私は見ず知らずのあなたに、世界で最大の財産を一つのお皿に盛って差し上げようと申し出た。(略)あなたは、別に目をぱちくりともせず、よく考えもせず、満面の笑みをたたえて、大きなお菓子にとびついた」

  (引用元:「わらの女」 カトリーヌ・アルレー 安藤信也訳 ㈱東京創元社)

 

アントン・コルフ流に言うと、「信じたいこと」を「お皿の上に盛って差し上げようと申し出る」からでは、と思うのだ。

 

「わらの女」の中では、「信じたいこと」は「労せず大金持ちになれる」という分かりやすいものだ。

それは時に「こういう風になれるという自己実現像」だったり「こういう楽な道がありますよ」という話だったり、「あなたは価値のあることをやっている」という承認だったり、「あなたではなく周りが間違っている」という耳に心地いい言葉だったりする。(今の世の中だとこういうもののほうが需要が多いように思うし、ネットがあるので売り物にしやすい。)

生き方や進路、価値観という自分の核に近いものは、本来は現実とぶつかりながら血肉を削って自分にとっての価値や真偽を確かめるものだ。(人によって条件や環境、考え方が違うので、普遍性を見出しにくい。自分自身という条件下で見つけるしかないものだと思う)

だが他人が自分が信じたいそういったものをパッと差し出してくれると、そのほうが楽だからつい飛びついてしまう。

 

実際やってみたり、経験を積んだり、考えたり、周りや現実とぶつかったりなどの血肉を削って、真偽を確かめる。

そんなことが面倒くさいのは他人も同じなのに「他人が自分のためにそれをしてくれて、何の見返りもなくお皿にのっけてそれを差し出してくれる」という幻想を信じてしまう。

 

それはたぶん騙される人の資質の問題ではない。

のっけられて差し出されたものが、自分にとって直視するのは面倒くさいが、喉から手が出るほど欲しいものであれば、恐らく誰でもそれを信じてしまう可能性がある。

なぜ信じてしまうのかと言うと、ヒルデガルデのように「自分にはその価値がある」と無意識に信じているからなのだろう。

自分にとってはたった一人の価値ある自分を、他人が使い捨ての藁人形のように思っていてそういう風に扱われるなどとは夢にも思わない。

だから相手が善意だと信じてしまう。

自分には他人から認められる価値があると信じ、自分が人や物事に下す判断力を信じ、自分が信じたいものの正しさを信じて、自分自身に騙され裏切られる。

 

「わらの女」の中で作者が、騙されるヒルデガルデに同情したり感情移入している素振りはない。一方で「だまされるほうが悪い」と言わんばかりのアントンに同調している風でもない。

「自分が信じたいことに容易く騙される人間の愚かさ」が主題なのであれば、アントンにもう少し肩入れしそうだ。ダークヒーロー的な要素を備えさせたと思う。

しかしアントンは、「ヒルデガルデを陥れる人間」という要素しか持っていない。アントンとヒルデガルデのどちらに理があるか、という判断は一切行わず、叙情を排した中立的な文章で、淡々と事実だけを紡いでいる。

 

34歳の主人公ヒルデガルデは、「わらの女」の発表当時のアルレーと年齢が近い。*1

騙すほうの視点に立って物語を書いたならば、自分と属性の近い人間を騙される側に据え、自分とはかけ離れた属性である年配で男性のアントンを騙す側にしたのは不思議だ。

 

「わらの女」が長く読まれ続けているのは、その内容の冷酷さや冷徹さ、厳しい眼差しを、アルレーが自分自身に向けていたからでは、と思うのだ。

「自分も含めて人というのは、信じたいものを差し出されたとき、普段は疑い深い人でさえ飛びついてしまう」

「人は何よりも、自分自身に騙されやすい」

ということを知っていたのではないか。

「自分とは違う騙されやすい愚かな人間」の生態を描いた話ではなく、皮相な眼差しで、自分の中に潜む愚かさを冷たく見据えた話なのだと思う。

自分自身でさえ冷徹に俯瞰して見つめられ、他人が語るおとぎ話に容易く騙される自分の愚かさを認められる強さこそ、「わらの女」の最も驚嘆すべき点だと思うのだ。

 

最初読んだときはヒルデガルデに対して「バカだな」としか思えなかった。

だが、ここまで分かりやすく極端な状況ではないにせよ、自分も思い返すとヒヤリとなることが多々ある。これからもたぶんあるだろう。

「自分自身を疑うことを忘れるな」ということを、思い出させてくれる話だ。

わらの女 【新版】 (創元推理文庫)

わらの女 【新版】 (創元推理文庫)

 

かなり前に放映された「わらの女」を原作にしたドラマは、ラストが変更されていた。

耳に痛いことは聞きたくないし、嫌な現実は見たくない。自分に都合のいいおとぎ話が好きなのは誰でもそうだが、まさにそれが「わらの女」が言いたいことだと思うので残念だった。

 

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「のっけられて差し出されたものが、自分にとって直視するのは面倒くさいが、喉から手が出るほど欲しいものであれば、恐らく誰でもそれを信じてしまう可能性がある」

引き返すのはそれまでの自分自身を裏切ることと思い、突き進んで取り返しのつかないところまで行ってしまう。そこまでいってしまったら、いくら悔やんでも取り返しがつかない。

www.saiusaruzzz.com

 

*1:諸説あるらしいが