毎年恒例になりつつある、アガサ・クリスティ作品をドラマ化した相国寺竜也シリーズ。
今年は「予告殺人」かあ、と実はいまいちテンションが上がらなかった。
余り好きじゃないんだ。
親族内・家内・地域内の箱庭的な人間関係、ある気づきから事件の構図が逆転する、女性の過去と劇的な運命とクリスティの得意な分野がてんこもりの作品だから、クリスティ自身は気に入っていたようだけれど、似たようなトリックでもあっちのほうが好きだなとか、色々とある。
大して期待していなかったので、見るのも遅くなった。
すげー面白かった、すまん。
「パディントン発4時50分」もそうだったが、映像で見るとまったく印象が違う。
すべてを現代日本風に無理に合わせるのではなく、家屋の雰囲気や呼び名などを残すことでその「合わなさ」や違和感が、別世界に連れ込まれていくようないい効果を出している。
このシリーズを見ていて発見したのは、クリスティ作品、特にミス・マープルシリーズは女性の作品なんだなということだ。犯人役であるにせよ探偵役にせよ事件に巻き込まれる役にせよ、女性の登場人物が輝いている。
特に今回の「予告殺人」は相国寺竜也の影が薄くなるほど、大地真央の光彩が凄かった。大地真央の独壇場みたいなドラマだった。
どう考えてもただの勝手な奴だし、原作ではまったく共感も同情できなかったが、ドラマは大地真央の熱演につられてもらい泣きしそうになった。
自分の身元の保証のために呼び寄せて、邪魔になったら殺す、ってひでえ話だよなと思うし、原作では「殺したくなかったって言って、結局は殺しているだろうが」と冷ややかな気持ちだったが、ドラマだと本当にドラを親友と思っていて、殺してしまったという痛恨の気持ちが伝わってくる。
また原作では言葉での説明のみだったローリィとレーリィの違いを大地真央が演じ分けているので、ローリィとドラが対等の友人同士だったということも伝わってくる。
「助けてよ」という依頼も、ドラが「一緒に住む」ということを承諾しやすいように言っているのでは、とすら思ってしまう。
演技ってすごい。
ドラを演じた室井滋も良かった。いかにも「人に愛されそうなタイプだけれど、致命的なまでのうっかりや」という感じがうまく出ていた。原作とはちょっとイメージが違ったけれど、これも室井滋のドラのほうが良い気がする。
「予告殺人」は、無駄なレッドへリングが多すぎるような気がしてそこが好きではなかった。少し整理しても良かった気がする。
登場人物と伏線をぜんぶ消化するために、かなり話が駆け足になっているし、「怪しいが調べてみたら違いました」だとその怪しさを盛り上げているわけでもないので、ドラマで見ると何の意味があったんだろうという感覚が強い。
事件の表層上の「遺産狙いでレーリィが狙われている」という構図を、もう少し強調しても良かったかもしれない。この構図が固定されているからこそ、最後にこの構図がひっくり返った「狙われていると思っていたレーリィが犯人だった」ときの衝撃が大きいのだが、このカタルシスがイマイチだった。
この辺りは、作り手が「ちょっとやりすぎかも」と思うくらい強調するくらいで、見ているほうの感覚としてはちょうどいい気がする。
ただその辺りも強いて言えばくらいで、個人的には原作よりも良かったと思うくらい楽しめた。
フジテレビでやっている三谷幸喜脚本のドラマもそうだが、まず第一にクリスティの作品はどこが面白いのだろう、何が肝なのだろうということを尊重していて、そのうえで自分たちなりの面白味も加えるという作りが好感が持てる。
だから原作を読んでいてもうトリックもストーリーも知っているし、と思っていても見ていて楽しいのだと思う。
滅茶苦茶身勝手な事情だし、殺人は決して許されないことだけれど、犯人にも犯人なりの人生があり一人の人間なんだなと思えるところは、たぶんクリスティもそう思っていたと思う。
「その犯人が殺人まで至る過程、事情、人間関係の結節点としての殺人」こそ、クリスティの真価だ。
来年はなんだろう。(やる前提)
マープルシリーズとなると、「バートラム・ホテルにて」「カリブ海の秘密」辺りが好きなので期待したい。
ポアロものでもいいのなら、「ナイルに死す」「五匹の子豚」「カーテン」辺りがみたいけれどどうなんだろう。
シリーズものじゃない「ねじれた家」もいいなあと思ったら、これは新作映画がつくられている模様。
何はともあれ来年も楽しみにしている。
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