うさるの厨二病な読書日記

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アニメ「この世の果てで恋を唄う少女YU-NO」第四話までの感想。亜由美さんがアホの子に見えて辛い。

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アニメ「この世の果てで恋を唄う少女YU-NO」を第四話まで見た。

『止められない涙』

『止められない涙』

 

 

アニメの長さで全ルートと異世界編までやるとなると、これくらいのスピードになる、それはわかるんだ。

神奈と澪、美月など他のルートの伏線も入っているし、ルートごとの全部の要素をやるわけにはいかない中で、必要不可欠な説明はされている。

 

でも、ゲームを下敷きにしていないと、亜由美がただの見る目のないアホの子に見えて辛い。

アニメだけを見て「何なんだ、この面倒くさい女は。こんな奴(豊富)にいくとかアホか」と思う自分に、ゲームをやった自分が「違うんだ、そうじゃない、これには色々な理由があるんだ」と抗弁している。

 

亜由美は広大がすごく好きで、結婚できて幸せだった。しかし広大がいきなりいなくなってしまって、しかも広大が実は本当に愛していたのはたくやの母親だけだったと薄々勘づている。

元々はすごく寂しがり屋で甘えん坊な性格だが、たくやがいるから自分は母親として頑張らねば、広大が残した息子を守らなければと頑張っているところに、ジオ=テクニクス社のもめ事の責任をすべてを背負わされるなどの心労が重なり、心が折れそうになっている。

 

ゲームをプレイしていくと、たくや目線で見る亜由美像も「社会に出て働いている大人の女性」という印象から、「いきなり愛する人を亡くしたが、悲しむ暇がないほど大きな責任を背負っている、それを背負おうと頑張っている、自分とさほど年齢が変わらない女性」に変化していく。

だからゲームではあからさまに何かを企んでいてうさん臭い豊富に惹かれていく亜由美にも、「豊富なんか、あんな奴にいくくらい亜由美は弱っていたんだ」という気持ちになる。豊富を最後のセーフティネットにせざるえず、そこがダメだったからバッドルートはあんな結末に…。

 

20代半ばでパートナーが突然死んだら、普通は他のことなんて考えられないと思う。

むしろそこまで追い詰められても、たくやの前では「守る側である母親」でいようとして、いかなる意味でも利用しようとしなかった(八つ当たりとかそちらの方面でも。むしろ荒れるたくやを見守っていた)ところが立派だなと思う。そういう生真面目さがあるから、やけ酒を飲むくらいしか発散方法がない。

亜由美は表層上は狙ったキャラに見えて、背景や行動を見ると「ごく普通の女性が不運に見舞られ失意のどん底でも、自分の背負った責任を果たそうと死ぬ気で頑張っている」ところがすごく好きだ。

 

「YU-NO」はハーレム構造に見えて、女性キャラ一人一人を見ると、その背景からきちんと作りこまれている。

「狙った特徴を持つ女キャラを攻略するゲーム」ではなく、「相手との関係性がストーリーになっているゲーム」でそこがすごく好きだ。(さらにその一つ一つのストーリーが積み重なることで、ひとつの大きな流れになる)

お互いを思いやっているからこそ、時には気持ちが通じないことにいら立ちがつのる。亜由美がたくやの行動を咎めたり、たくやが亜由美の心情を勘違いして「もういい」と思ったり、そうやってすれ違っても一生懸命分かろうともう一度試みたりするから、バッドルートの後に亜由美を助けて結ばれると感動する。

亜由美ルートの良さは、「若くて可愛い継母との同居に興奮する」ところじゃない。(そこの良さも否定はしないが)亜由美ルートに限らず、「YUーNO」のいいところはそういうところじゃないと自分は思っている。

 

亜由美は関係としても本人の性格も、割と面倒臭い。

でも面倒くさくても、相手が自分にとって大切な人だから、時にもめたり相手がおかしなことをしたりしても、相手のことを理解しようという姿勢を失わないところが、「本当に相手が大切」ということなんじゃないかなと思う。

そういう意味ではアニメ版も、亜由美が状況に疲れているところを強調したり、たくやが「(亜由美の気持ちが理解できないから)もういい」と一度は怒りからなげやりになっても、考え直して「自分の理解が足りなかった」に行きつくところとか、重要なところは外していないイメージなんだけれど、それでも足りないと思ってしまう。

大事なのは「亜由美が追い詰められている」「理解が足りなかった」という事実や結論ではなく、そこに至る過程だからだ。

 

亜由美が滅茶苦茶頑張っているのに、自分がしてあげられることは何もないという無力感とか、あんなクソみたいな奴でさえ豊富のほうが大人というだけで、高校生である自分よりも亜由美の役に立てるという口惜しさをプレイヤーも体験して、それでも何かしてあげられることはないかと思う気持ちがある、そこから「そうか、そう思うということは、血のつながりなんか関係ない大切な家族なんだ」という結論に至るところがすごく大事なんだ。 

 

亜由美ルートのバッドエンドを初めて見たとき、まさに第四話の最後のたくやと同じように「うわわあああああ」みたいな状態になった。その経験があるから、次にルートをやり直すときに「何が足りなかったのか」「どうすれば亜由美を助けられるのか」と必死に考える。

この過程は全部、ひとつも外せない。その過程を追体験して積み重ねていけるところが、「YU-NO」で最も優れた点だと思うからだ。

そういうバッドルート→ショック→何としても助けたい→必死の奮闘→と積み重ねているから、トゥルーエンドが自分の手でつかみ取ったエンドだ、亜由美の笑顔を守れたと実感できる。

 

たくやが亜由美を助けようと頑張る姿を見るんじゃない、自分がたくやになって、たった一人の家族である亜由美を救うんだよ。

 

というのが「YU-NO」の良さなんだなあと、アニメ版を見て気づいた。

なので、ゲーム未プレイでアニメを見て「どこがいいの?」と思った人は、できればゲームをプレイしてみて欲しい……とつい思ってしまう。 

 

スイッチでも出ているみたいなので、ぜひ。

この世の果てで恋を唄う少女YU-NO - Switch

この世の果てで恋を唄う少女YU-NO - Switch

 

 

PS4版。

 

ストーリーを外側から見ると、たくやは滅茶苦茶格好いいな。

ハーレムもの(逆ハーも)では、モテることは特に理由のない絶対的な前提になっていることが多いが、「YU-NO」の場合は、たくやを見ていると「こりゃモテるわな」と納得がいく。

ふざけているように見えて、どのルートでも相手の女性のために必死に頑張っているから相手の心が動くことに不自然さを感じない。 

 

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