うさるの厨二病な読書日記

厨二の着ぐるみが、本や漫画、ゲーム、ドラマなどについて好き勝手に語るブログ。

曽根富美子「親なるもの 断崖」のわりと細かい話。

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最近、また読み返したので思いついたことや考えたことを書きたい。

 

茜というキャラと梅との関係

梅と茜の関係は、最初読んだときからずっと気になっていた。

茜は道子が売られたあとに、梅の付き人になった。

「梅の付き人」「そばかす(あくまでこの話の中での、不器量のアイコン)」*1というキーワードでつながっているため、道子の別ルートという考え方もできる。

「もし道子が病気ではなく要領もよかったら」という可能性が茜ではないか。「器量が悪ければ、この世界観では道子のような運命をたどるしかない」という考えを否定する存在なのだ。

 

茜は面白いキャラだ。キーワードで道子とつながりつつ、他の面でことごとく道子とは逆のタイプとして描かれている。

不器用なやり方で武子からもらった高価な着物を盗んだ道子に対して、茜は少しずつこっそり化粧品を持っていく。梅からかりんとうをもらって無邪気に喜んでいる道子との対比にも見える。

また梅の対応もまったく違う。

同郷の友人同士ということもあるが、道子に着物を盗まれたときは泣き崩れたのに対して、茜が化粧品を盗んでいることに対しては、

「化粧品が欲しけりゃ言え。時々お前が黙ってもっていくのを知っているわ」

と冷たく素っ気ない。

梅はこの時点では、茜に対して「信頼するのも心を開くのも馬鹿馬鹿しい」と思っていることが見てとれる。

男性関係も180度違う。

山羊桜に売られるまで男に触れたこともなかった道子に対して、茜は先輩ににらまれるほど遊び歩いている。副番頭である隆太は綿入れを贈ったり、映画に連れて行ったりとかなり茜に入れ込んでおり、最終的には身請けして結婚している。

このときの会話を読んでも、隆太だけではなく様々な男と出歩いており、隆太と結婚したのは愛情からではなく、この境遇から這い上がろうとする計算の結果であることがうかがえる。

嫌みを言う先輩に対して1ページの中だけで、「おらは違う」「おらはそうなるまい」「おらは違う」と三回繰り返している。茜の強い目的意識と決意が伝わってくる。

脇役なので目立たないが、茜は武子に優るとも劣らない、狡猾さや賢さ、強い意思をもって生きている。

 

茜の面白いところは、ただ計算高いだけではなく情も持っていることだ。

これだけ先輩たちとは同じ境遇に落ちまい、という意思を持っていれば、梅の境遇に対しても否定的な眼差しや対抗意識を持ちそうなものだが、茜は梅に対しては一貫して肯定的だ。素直に憧れているように見え、「梅の付き人である自分」に大きな誇りを持っている。

「夕湖さんの身請け代となるとちょっとやそっとじゃ」という言葉も揶揄ではなく、そういった誇りから出た言葉に読める。(梅は怒ったが)

道子の境遇を見て涙を流したり、梅の叫び声を聞いて真っ青な顔ですぐに飛び込んできたりなど、損得勘定のみで生きているようには見えない。

 

一方、梅の茜に対する感情は、少しわかりにくい。

前述したように最初のころはかなり冷たい態度だが、茜が隆太に身請けされ副番頭の妻になり先輩たちから無視されたときは、

「茜、あせるなあせるな、これからだべさ」

とフォローしている。

狡猾に立ち回りながらも、梅に対しては一貫して憧れの眼差しを向け、聡一との関係を応援する茜の態度が、梅の気持ちをやわらげたのだと思うが、変化がかなり急激なので最初読んだときはちょっと驚いた。

 

これが茜が出てくる実質最後のシーンだが(*追記:このあと、聡一の先生が襲われた話をしに来ていた。このシーンを見ると、梅と茜夫婦の関係がさらに良好になっていることがわかる。)その後はどうなったのだろう。

富士桜は武子につぶされたが、茜と隆太は武子についていったような気もする。

夫である隆太が梅(と直吉)を気遣って、直吉と結婚するようにすすめる描写を見ても、夫婦と梅のつながりは利害関係を超えたものになっている。梅の思いを描いた文章を、茜から武子に届けさせた描写などがあるところからも、何となくそう思う。

どちらにしろ武子と同じように、激動の時代をしたたかに生き抜いているのではと思う。

 

隠し部屋の女性たちの心境について

初めて読んだとき、「うっ」と思ったことのひとつがこれだ。

聡一の子供を死産したときは、梅を気遣いその苦しみに涙を流し、子供の死を一緒に悼んだ隠し部屋の女性たちが、梅が茂世の下に嫁ぐことが決まったとたん、梅に客を全部押し付ける。

「不幸な人間には優しくできるが、幸運が舞い込んだのでねたんでいる」と思っていたが、「中島医院の坊ちゃんに、操立てて生きていくと思ってたわ」という言葉を聞くと「自分が思い入れた部分を裏切られた気持ちがある」「勝手にこうだと期待して、勝手に裏切られたと思っている」のでは、と考え直した。

 

「梅が死産したときはあんなに同情していたのに、幸運が舞い込んだら手のひらを返した」ではなく、「梅が死産したときに、あんなに同情して思い入れたからこそ裏切られた気持ちになった」のだ。

人はつくづく複雑だが、そういう人間の複雑な心の機微を怖いほどわかっていると思う。

 

「男のくやしさ」も引き継がれている。

前に「親なるもの 断崖」は、男にとってこそキツイ話では、という記事を書いたことがある。

www.saiusaruzzz.com

 

梅のことを好きになる三人の男は、「社会の中で生きる男」茂世、「社会に馴染めない男」直吉、「社会と戦う男」聡一と三人出てくるが、誰も梅を守ることも共に生きることもできなかった。

道生が茂世に対して言った「父さんだって母さんを幸せにできなかったくせに!」という言葉に対してのつぐじの

「女の人一人を幸せにできなかった男のくやしさは、道生の苦しみの百倍はあるぞ」

「家族を残して死んでしまった親父の気持ち、おれ、同じ男だから分かるんだ」

という言葉は、女性の苦しみを描いてきたこの物語で、女性(または子供も含めた家族)を愛した男の苦しみが伝わってくるいい言葉ではあるものの、言葉に出すとそれはそれでキツイのでは、と上記の記事で書いた。

つぐじのセリフは物語上は父親を責める道生を諫める言葉だけれど、メタで見ると直吉や聡一を含めた男たちの苦しみと愛情を受け継ぐ言葉だ、と今回、読み直して気づいた。

道生が「殺されてしまったうちの子、死んで生まれたお前の子や、松恵、そしてあの道子のすべての魂を宿す子」であるように、つぐじは聡一や直吉や茂世やつぐじの父親の「女の人一人を幸せにできなかったり、家族を残して死んでしまった男のくやしさ」を宿した存在なのだ。

女性だけではなく、男の生き方も引き継がれていっている。聡一や直吉、茂世の苦しみや無念は、道生が幸せになることで救われている。

 

「認められないが、理解はできるし共感する」というばっちゃんの梅に対する感情

「親なるもの断崖」の女性キャラは好きなキャラばかりだが、特に道生の祖母である「ばっちゃん」が好きだ。

彼女は現代社会では批判の対象になる露骨な差別感情を持ち、梅を疎んじている。

本来であれば憎まれ役にしかならないようなキャラだが、ばっちゃんはこの時代の価値観に支配されていると同時に、強い愛情を持っている。一見すると矛盾するようにしか見えない両面を持つ、非常に面白い人物だ。

 

その時代なり環境の内部に生まれたときから生きている人間が、そこを支配する価値観に抵抗するのは並大抵のことではない。梅のように教育を受ける機会がなければ、抵抗することはおろか疑問を持つことすら難しい。

大学に通いこの時代においては進歩的な思想を持ち、梅を愛した聡一でさえ、「最低の女を愛したことに、本当は聡一さんがとまどっていたことはわかっていた」と、時代の価値観から逃れきれていないことがわかる。

 

ばっちゃんは死ぬまで自分の価値観を手放すことも、「間違っているかもしれない」と内省することもなかった。

しかしそういう風に梅の存在を認めない価値観を持ち続けたにも関わらず、母親としては深い共感を示す。

「あの女は幸せよ。お前がいるから、あの女は生きていける。決して母を不幸と思うな。お前を産んだんだ。世界一幸せな母親よ」 

このセリフすごい好きなのだが、まさかこれを道生に言うのがばっちゃんとは、とすごいびっくりした。どう見ても苦難と不幸に満ちているようにしか見えない梅の人生を、その人生を認めないばっちゃんが「表層だけを見て不幸と思うな」というのはすごい。

 

相手を否定する価値観から逃れられないとしても、相手に共感したり理解を示すことはできるし、そうすることで相容れない相手とつながることができる。

ばっちゃんは梅と共には生きられなくても、茂世と道生を通して梅とつながっており、同じ女性、母親として深い共感を持っていた。

思想や価値観から逃れられないとしても、教育や力を与えられずそれに対抗する手段を奪われているとしても、人が人に抱く思いだけは決してなくすことも奪うこともできない、ということが伝わってくる。

現代の視点で見ると旧来の価値観にとらわれ偏見に満ちた人物に見えるが、そういう人もこの時代を懸命に生きていた。そういう人たちが一人の人間として敬意をもって描かれている点も、「親なるもの断崖」の好きなところだ。

 

ばっちゃんは口ではそうとうあれこれ言っているが、茂世が仕事に行って梅が一人でいるときも、頻繁に家に様子を見に来ていた。道生のことも何だかんだ言いつつ心の底から愛情を注いでいる。

時代の価値観に沿って生きるというやり方で、偏見の眼から道生を守りきった。そういう意味では「梅を守りきれなかった男たちのくやしさ」を、つぐじと同じように受け継いだ存在だったのかもしれない。

 

「惚れ直したよ、あんたには」のすごさ

もう一人、ばっちゃんと同じ方向性で面白いと思うのが、富士楼の女将だ。

非情であこぎな性格で、梅を始め富士楼の女性たちから平気で搾取している。

しかし武子に対してだけは、損得を超えた思い入れを持っている。

いまわの際に女将に自分の思いを語り、最後の最後で武子が女将に伝える言葉が「惚れ直したよ、あんたには」

愛憎や善悪や是非を超えて、苛酷な時代を共に生きた相手を認める言葉だ。

このひと言で武子の生きざまも女将の生きざまも、二人の関係も全てが伝わってくる。

こういう風に二人のエピソードをひと言で総括し完結させられ、同時に幕西遊郭の歴史も終わらせる言葉を、的確なタイミングで持ってこれるのがすごい。

 

細かく見ても語りたくなるところがたくさんある。

やっぱり名作だな、と改めて思った。

 

*1:「そばかすがあると不器量だ」ということではなく、「容貌が劣っている道子」とキャラ的につながっているということを示すために「そばかす」というキーワードを用いているのでは、という推測