火車る。
悠を見ていると、「火車」の新城喬子を思い出す。
もしくは「アフターダーク」のコロオギ状態……には、誓と一緒に逃げたらなりそうだ。
悠のバックボーンは過去として語られたが、既に完結していることではなく、現在進行形で続いていることなので、見ていてハラハラする。
とりあえず「火車らなくてよかった」けれど、火車ルートに行ったら、そこから抜け出すために喬子のようなことをしなければならなくなるかもしれない。
悠や親せきのところに、誓の行方を聞きにきたり張り込んだりしていないのだろうか。
「火車」では常にまとわりつかれて、本人だけでなく周りも追い詰められていく様子が描かれている。
中学生が背負いきれないような大変な状況だが、物語の中では今のところそれほど大きくクローズアップされていない。
悠のように自分の力ではどうすることもできない重いしがらみと、一希のような家庭の問題と、燕太のような誰でも大なり小なり身に覚えのある、人から見たらしょうもないと思われかねない人間関係の葛藤が対等に並列に描かれているところがいい。
複雑な家庭環境や日常が脅かされるような重いしがらみや背負わなければならない罪があっても、友達と笑い合うときもある。
いつも一緒にいる友達でも知らない部分や、聞いていても想像できない部分があって、自分の感情や欲求を優先させてしまうこともある。
客観的に見てそれぞれ抱えている問題の軽重や善悪を測るのではなく、一希から世界はどう見えるのか、燕太から世界はどう見えるのか、悠から世界はどう見えるのか、そしてそれぞれが未熟な部分や駄目な部分を抱えながら、自分に出来うる限り相手を思いやったり、それが時にはうまくできなかったりするところが見ていていいなあと思う。
悠がいま置かれている状況を一希も燕太もイマイチ想像しきれていないっぽい(悠が心配というよりも、自分が悠と一緒にいたい、というのが行動の動機な辺りとか)のが、自分の目線のみで世界を見ている感じがして現実味がある。こういうところは未熟さでもあるけれど、この年齢でしか持てない部分だとも思う。
「さらざんまい」を見ていると、「真摯に描くこと」と「重く描くこと」はイコールではないんだなあ、と思う。
客観的に見ると、お互いの状況や色々なことを三人は分かっていないのかもしれない。でも三人は三人なりに、自分が見る世界と真っすぐに向き合っている感じがとても好きだ。
このまま続いてくれるといいなあ。
5話までの感想
吊り目、三白眼、そばかす、ツンデレと悠はドストライクのキャラだ。最初に見たとき、大昔に自分が描いた「蠅の王」のジャックとそっくりでビビった。
ジャックは「蠅の王」の中で獣性の象徴なのでデレ要素はないけれど、悠のデレ具合は絶妙だなと思う。
ツンデレにはちょっとうるさい自分も大満足です。