Amazonで新海誠監督作品「ほしのこえ」を視聴した。
以下、アニメ版のみを見た感想で、「秒速5センチメートル」の自分の個人的な解釈を前提として感想を述べている。
「秒速5センチメートル」の感想を読んでいないと意味がわからない可能性が高いので、良ければ読んでもらえるとありがたい。
感想を一言で言うと、「ほしのこえ」は「秒速5センチメートル」の別ルートではと思った。
「わたしたちは遠く遠くすごく遠く離れているけれど」
「思いが時間や距離を超えることだってあるかもしれない」
「もし一瞬でもそういうことがあるなら、僕は何を思うだろう、美加子は何を思うだろう」
「私たちの思うことはきっとひとつ。ねえ昇くん、私は」
「ここにいるよ」
「思いは時間や距離を超えることがあるのか」というテーマを軸にして、「秒速5センチメートル」は「ほしのこえ」を反転して作られていると感じた。
離れ離れになった男女が、ラストに交互にナレをするのは、「ほしのこえ」も「秒速5センチメートル」も同じだ。
ただ「ほしのこえ」では最後の「ここにいるよ」で二人の声が重なって終わるのに対して、「秒速5センチメートル」は、
明里は「夕べ、昔の夢を見た」と話し始める。「手紙を見たから思い出した」と言っているところを見ても、普段は思い出すことが稀なことが窺える。
(新海誠監督「秒速5センチメートル」が余りに恐ろしい話だったので、解説しながら感想を語りたい。)
明里が「昔の」と言っているように、明里の貴樹の「ここ」はズレている。
「ほしのこえ」と「秒速5センチメートル」はどちらの物語でも現実の時間は余り意味がなく、「思いによって伸び縮みする、主人公たちの体感時間」のほうが強い意味を持つ。
そのためこの二つの世界は「メール」や「手紙」など、時間を超えるものによるコミュニケーションしか意味をもたない。メールや手紙は、書き手が書いた時間と読み手が読んだ時間を「ここ」として接続できるので「時間を超える」ことができる。
「メール」が出てくるのは、「秒速5センチメートルの世界にいる貴樹」とコミュニケーションをとるには、「手紙」か「メール」でしかできないからだ。本当の貴樹は現実にはいないので、メール以外のコミュニケーションは無意味なのだ。
(新海誠監督「秒速5センチメートル」が余りに恐ろしい話だったので、解説しながら感想を語りたい。)
「ほしのこえ」では、昇と美加子の思いが八年という時間を超え二人は「ここにいる」。
「秒速5センチメートル」では明里の思いが失われたため(手紙が渡せなかったため)、貴樹は一人で「秒速5センチメートルの世界」に取り残された。
「秒速5センチメートル」の第三話を見返して、前回気づかなかったことが気になった。
踏切で二人がすれ違うラストシーン、明里のアップを見ると貴樹に気づいていないように(気にもしていないように)見える。(59分15秒あたり。)
明里の視線はまっすぐ前を向いていて、貴樹のことを見ていないように思えた。
自分にはそう見えるのでそうだと仮定すると、第三話の初めの「いま振り返るときっとあの人も振り返ると、強く感じた」というのは貴樹の思い込みにすぎない。
明里は貴樹に気づいておらず、踏切の向こうで振り返りそうに見えたのは振り返るつもりではなく、道端の何かに目をとめたとかだったのかもしれない。
貴樹が信じているもの、感じていることと周りの世界は、ズレがある。ズレがなかったのは(貴樹にとっての「ここ」にいたのは)、小中学生だったころの明里だけだ。
「いま振り返るときっとあの人も振り返ると、強く感じた」
思い込みの妄想にかられて、こんなことまで「強く感じてしまう」のが「貴樹以外から見た貴樹」なのだ。
「思いが時間や距離を超えることだってあるかもしれない」
その貴樹がこんなテーマについて語ること自体、他人から見たら不気味だろう。
明里にとって貴樹は「久しぶりに見た昔の夢」に過ぎず、間近ですれ違っても「思いが時間を超える」どころか、貴樹だと気づかない、存在を気に留めてすらいない。
それなのに貴樹は「あの人も振り返ると、強く感じた」などと思いを巡らせ、振り返ったら案の定誰もいないのだ。よく考えるとひどい。
「ほしのこえ」で美しく語られた「思いが時間や距離を超えることだってあるかもしれない」「ここにいるよ」というテーマが、「それは主人公の思い込みからくる妄想でした」という結論で幕を閉じている。
「ほしのこえ」を見て、「秒速5センチメートル」のすごさがさらにわかった。
「ほしのこえ」で信じたことに不信の眼差しを向け、残酷に冷酷に徹底的に裏切ったのが「秒速5センチメートル」だ。
自分で自分が美しく描いたものを、ぶち壊しているのだ。怖い。
自分はそういう表向きの美しさや切なさとは真逆の、残酷で冷徹な世界観、話の根底にある「世界への不信感やにじみ出る悪意」(あくまで自分が感じているだけだが)に心惹かれたのだと思う。
「ほしのこえ」は単体で見ると面白かった。なぜ美加子は、宇宙にいるときも制服なのだろう、とか色々気になる。
しかし自分の中で「ほしのこえ」は、「秒速5センチメートル」という自分自身に裏切られ、その悪意をさらに輝かせることに一番の評価ポイントがある。
初恋の思い出に隠された悪意だとしても、「秒速5センチメートル」は美しい。そこがこの物語の特異な、そしてすごい点だと改めて思った。
結局「秒速」の話になってしまう。
近々公開される「天気の子」も楽しみだ。
できれば映画館に観に行きたい。
観に行きました。