「インベスターZ」全21巻を読み終わった。
編によっては、知識やうんちくを語ることがメインになっている。後半になればなるほどその傾向が強くなるので、語られている内容に興味が持てるか持てないかでだいぶ評価が変わる。
ギャンブル漫画としては「銀と金」のほうがはるかに面白い。単純にこの分野の面白い漫画が読みたくて、未読であれば「銀と金」や「カイジ」のほうがおススメだ。
裏を返せば「インベスターZ」のほうが現実的で実用には即している。「漫画でわかる〇〇」と考えれば、わかりやすく面白く読める。
投資を始めるにはどうすればいいかやチャートの見方や基本的な考え方、その周辺情報も説明されているし、細かい知識やうんちくも語られている。巻末には色々な人のインタビューや投資の入門書の紹介もついている。
投資に興味がある人の入り口、超入門書と考えると買って損はしないと思う。
「インベスターZ」は投資入門書、マネー知識のうんちく本の要素が強く、ストーリーや登場人物はそれを語るために存在するだけだ。とりあえず「存在していればいい」程度に割り切られているキャラも多い。
そういった作りの中でも、「インベスターZ」のストーリーの面白かった部分について語りたい。
主人公の財前は「完成している」キャラ。
物語はおおざっぱに「ストーリーを進行させるためにキャラが存在するのか」「キャラを魅せるためにストーリーが存在するのか」に分けることができる。「インベスターZ」は前者だ。
ストーリーとキャラの比率で言えば、ストーリーのほうに重きがおかれている。主人公・財前は、物語を面白く進行させるために動かしやすいキャラとして設定されている。
財前は「ストーリーを進行させやすいキャラ」として完成されていて、21巻にわたる物語の中で、ほとんど変化しない。
神代が慎司との勝負が終わった財前に「財前、成長したな」と声をかけているが、これは「投資家としての成長」だ。人間の根本的な成長(物語的にはキャラの成長)という面では、財前はほとんど変わらない。
「財前が人間的には変わらない」ということは20巻の、慎司との会話ではっきりと語られている。
「君は本当にイヤな子供だな」
「それ……小学校5年生の時の担任によく言われました。『私、君のことは嫌いだから』って(略)ボクもその先生のこと大嫌いだったんで」
財前は小学校5年生のころから変わらない。相手が誰だろうが、自分が違うと思うことには疑問を持ち、当たり前のように「良いこと」として語られることを無条件に受け入れず自分で考える「可愛げのないイヤな子供」だった。
この人間的な基盤は、21巻を通してほぼ変化しない。
「成長しない」と言われれば悪いことのように考えられがちだが、彼はキャラとして「完成されている」のだ。物語に影響を与えられる立場ではなく、影響を与える立場だ。
主要キャラは未成年が多いが、大人顔負けの「完成されたキャラ」がほとんどだ。
神代が代表的だが、彼らは人として既に「成熟している」。自分の生き方や考え方、物の見方を、物語の開始時点で確立しておりストーリー展開でそれが揺らぐことがほんどない。
渡辺は一見「成長した」キャラの代表格に見えるが、渡辺は成長したのではなく、元々ああいう風に試行錯誤する人間だった。成長というよりは、元々確立している渡辺独自の道筋を辿って部長を引き受けただけのように思える。
「インベスターZ」は、慎司の成長物語。
「インベスターZ」でストーリー的に成長したキャラは、ごく少数だ。
女性ではさくらと倫子の姉の浩子が代表格だ。(美雪は最後に時計を外した描写があるが、これは財前と同じで投資家としての成長だ。美雪は女性版の財前という要素が強い)
一番成長したのは、慎司だろう。
「インベスターZ」のメインストーリーは、繁富が自分の後継者として定めた慎司をもっと人間的に成長させねば、と考えて、財前との勝負をおぜん立てしたというものだ。
自分の価値観にそぐわないものはあからさまに嫌い見下し、財前に勝るとも劣らない「金持ちの嫌な子供」だった慎司が、財前との勝負を通して成長していくという、慎司を中心にして見ると、驚くくらい古典的な成長ストーリーだ。
慎司は財前との勝負を通して、「でも日本の大学に行くかもしれない」「正しいから勝つとは限らない」と価値観を次々と変えていく。
その中でも最も慎司の変化がはっきりと表れているのは、不動産投資の勝負だ。
「好きで面白いから、だからやっているって。ボク……そういう人に出会ったのは初めてなんです」
慎司は若い職人の姿に感銘を受けて、財前との勝負を負けることになっても綾瀬の物件を購入する。自分の価値観に合わないために毛嫌いしていた塚原の言葉も素直に聞いている。
慎司は財前と同じように「嫌な奴」であり、神代と同じように「知性面では文句なく優秀」だが、財前や神代とは違い、人間的には未完成だ。スケボーでの移動を財前に突っ込まれて動揺するなど、意外と可愛い面もある。だから財前を始め、色々な人から影響を受け、どんどん変わっていく。
同じように優秀で完璧に見える神代と比べると、財前からの影響の受け方の違いが明らかだ。
「インベスターZ」の神、神代の魅力。
神代も面白いキャラだ。
財前の(というより読者の)メンター的キャラだから背景を謎めかせているのかと思いきや、ところどころで背景が想像できるようなニュアンスを匂わせている。
常にクールで理性を重んじ、感情的になる財前をたしなめることが多い神代が、慎司に対しては感情をむき出しにして「バカ息子」と罵り議論を吹っ掛けている。
「親は関係ない」と言ったときに、財前が「そこはしっかり鍵がかかっている」と感じたように「関係がない」と明言するほど「何かあるのだろう」ということを想像させる。
慎司への対応も含めて考えると、教育を受けるなど考えられないくらい不遇な境遇だったのかなと想像してしまう。だからこそ慎司の「道塾投資部と貧困問題は、同一線上で結ばれていて努力をすれば解決できる」という主張にむしろ反発するのでは、と思う。
(引用元:「インベスターZ」19巻 三田紀房 講談社)
というのも普通であれば、この神代のアップのコマはいらないと思うからだ。
なぜ、これが入っているのだろう、と考えると、慎司の考えに相当含むところがあるんだろうなと思う。その「含むところ」がどんな感情なのか悟らせない、しかし慎司に対する対応にその感情が十分込められているところが神代ぽくていい。
結局この部分は最後まで「しっかり鍵がかかっている」のだが、そこもよかった。神代が抱えている事情が分かってしまったら、この半分も魅力的ではなかったと思う。
読者にすら明かせない事情を自分一人で抱えて、しかしそこにとらわれずにまっすぐに自分の目標に向かうところに、「嫌な子供」である財前ですら敬服する神代の凄みが表れている。
まさに「インベスターZ」の世界の「神」だったなあと思う。
「すごいことを考え出せる」のが天才ではなく、「すごいことをすごいと一人でも信じ続けられる」のが天才。
「インベスターZ」は、局面やキャラごとに「正しそうに聞こえること」が分かれる。
例えば神代は財前に向かってしょっちゅう「感情的になるな」「法則を自分の上におけ」と言うが、不動産対決では慎司は「人を動かすのは理よりも感情だ」ということを学ぶ。
また「道塾の投資部」とインベスターPでは、「投資は企業への応援などではなくギャンブル」「投資は企業に一票を投じること」など投資についての考え方が異なる部分がある。
これは人や局面によって、「自分にとって正しいことや考え方や法則は変わる」というごく当たり前のことが書かれているのだと思う。最後に「自分の方法を見つけてそれを信じてやり続けるだけ。天才とはたったそれだけのことなんでしょうね」と善さんが語っている。
福本伸行の「アカギ」でもまったく同じことが書かれているのが面白い。
「この少年、赤木の最も傑出した才能、資質は、自分の判断を信じる才能。揺れない心」
「天才とはたったそれだけのこと」と書かれているけれど、「目に見える見返りがないことを、自分だけを信じてやり続けること」は本当に難しい。当たり前だが信じてやり続けたとしても、結果が出るとは限らないからだ。
「そのやり方はダメ。こっちの方法がいい」という他人の言葉につい流されたり、「どうせやっても意味がないのでは」「もっと意義のあることがあるのでは」と自分自身では意欲を保てなくなってしまう。
自分は、自分が納得できない自分に合わないやり方は、どんなにうまい方法でもどこかで必ず足がもつれるか息切れするか、信じられなくなる。
金が掘りたくなったら、「金を掘るなんてアホだ」と言われても自分が選んだツルハシで自分で調べて選んだ場所を納得がいくまで掘ってしまう。自分でやってみないと、色々なことがよくわからず、方法が確立できないタイプなのだ。自分が興味を持ったことは無駄だと言われてもとことんやるくせに、自分が興味がないことは必要最低限の対応すらできず、よく痛い目を見る。
神代たちのような人には「お前は、金を掘りに行くアホか」と言われそうだ。(すみません)
でもそういう他の人から見たらアホでドンくさく信じられなくらい非効率な「自分」という地点から物事を考えるしかないというのが、人生で色々なことをやらかして学んだ数少ない「自分のやり方」のひとつだ。
www.saiusaruzzz.com 「インベスターZ」を読んで良かったことのひとつは、そういうことを改めて実感したことだ。
「インベスターZ」は話の演出の仕方といい、女子キャラの服装のセンスといい、福本伸行を彷彿させる。調べても接点が出てこないので、他人の空似(?)か。「ドラゴン桜」のときは余り感じなかったけれど。