うさるの厨二病な読書日記

厨二の着ぐるみが、本や漫画、ゲーム、ドラマなどについて好き勝手に語るブログ。

「ノーサイド・ゲーム」の第七話にモヤモヤする。「社会人としてどうなんだ」ってどうなんだ。

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第七話で、「サイクロンズに移籍する」と言い出した里村に対する君嶋の説得と、そのあとの展開にだいぶモヤモヤした。

 

君嶋は里村を説得するにあたって、里村がラグビーをするために会社や他の社員たちが払った労力を持ち出している。それを無視して移籍するのは恩知らずで、「社会人としてどうなんだ」とまで言っている。

もし里村が入って二、三か月くらいで辞めるとか何の連絡もなく突然来なくなったというなら理解できないこともないが、少なくともドラマ上ワンシーズンは会社やチームの方針に従って勤めてきている。そのうえでルールの範囲内で辞めると伝えているのに、「社会人としてどうなんだ?」ってどういうことだ?

里村を会社員として考えた場合、会社を辞める辞めないは個人の自由だし、それを立場が上の人間が「辞めるなんて、社会人としてどうなんだ」と圧力をかけるのは、それこそどうなんだと見ていて思った。

 

里村が実業団の所属選手という普通の会社員と違う立場だからか、と考えてもみたけれど、そう考えてもおかしい。

ラグビー界の移籍のルール自体はよくわからない。(シーズンが終了したのだからいいのでは? と見ていて思ったが)

とりあえず見た限りでは、明確なルール違反ではないものの、暗黙の了解として「汚いこと」でありえないことらしいというのはわかった。

 

しかし里村は恐らくかなり長くアストロズに在籍して(少なくとも君嶋よりは長い)、今回、リーグ二位という成績にも貢献した。

契約とは別の心情的にも「義理は十分果たした」と言えるわけで、自分たちが困るからという理由だけで「恩知らず」だの「裏切者」だのという君嶋やチームメイトたちがどうかしているように見えてしまう。

里村はアストロズが優勝するまで在籍し続けなければ、罵声を浴びるのだろうか?

組織の力や集団の同調圧力で個人の自由を抑圧している構図で、現代だとかなり問題では、と頭の中にはてなが浮かびっぱなしだった。

さらに言うと、君嶋は「旧態依然としているラグビー界」を改革しようと、「ラグビー界という組織の論理」に立ち向かい物申している。それなのに自分に都合が悪い局面では、「会社という組織の論理」を持ち出して里村の移籍を邪魔しようとしている。

アストロズのみんなの心情を思いやって、十分根回しをしてから、というなら、君嶋がラグビー界に対してやっていることは何なんだと思う。

自分が帰属意識を持つ組織の論理は絶対でそこに所属する人間は従わなければならないが、そうでない組織のことは知ったこっちゃない、そこに帰属意識を持つ人間たちの思いは無視して自分の理屈を押し通して構わない、ということだろうか?

 

第七話は「①会社ー個人(会社員・里村)」という対立軸と「②アストロズー個人(選手・里村)」という対立軸が混同しているので、こんなに訳の分からない話になってしまったのだと思う。

第七話で解消されているのは②の部分だけだ。

②については、浜畑や柴門が「選手個人としての進路や事情」を代弁したり、里村に理解を示したり、最終的にチームと里村の和解、君嶋がチーム全員の総意で移籍承諾書を出すことが描かれることできちんと解消されている。

また君嶋も妻から「自分だって、本社に誘われたとき悩んだくせに。同じ穴のムジナだ」とガツンと言われている。(これはよかった。)

 

会社を辞めサイクロンズに移籍することになった里村は、会社の部署で大量の仕事を押し付けられる。(嫌がらせだよな)

ドラマ的には「里村は一人でラグビーができていたわけではなく、アストロズとは関係ない他の社員たちにも支えられていた」ことを描写したいのだと思う。

しかし、実はそうはなっていない。

「会社を辞める」という自分たちの不利益になることをする人間には、嫌がらせも辞さない、「損得勘定でしか個人を見ない」それが会社という組織なんだ、ということを表してしまっている。結果的には「周りの人間がどう思おうと、自分の道は自分で決める。何故なら、周りの人間(会社)も自分の損得勘定しか考えておらず、個人のことなど考えていないから」という里村の考えが正しかったことを表してしまっている。

君嶋の言う「社会人としてどうなんだ」というのは、「組織の思い通りにならなければ、ハラスメントを受けても文句は言えない」ということだ、ということになってしまっている。

それは君嶋が滝川にやられたことなんだが、そういう横暴に立ち向かう話じゃなかったけ?

 

このあと浜畑が里村の手伝いをする描写が出てくる。ここで浜畑は「家族」という言葉を使っている。つまり②の文脈でのエピソードになっているので、浜畑の行動は①の対立軸の解消にはならない。

このあとはずっと②の対立軸の話「アストロズというチームへの思いと里村という一選手の進路」なので、①の話は置き去りにされたまま、解消されずに終わる。

君嶋が持ち出した①の「会社に対して恩知らず」「社会人(チームの一員としてではなく)としてどうなんだ」という価値観と、里村の会社を離れて個人の生き方を優先したいという価値観の対立は解消されていない。

①の部分は「組織の論理に従わなければ嫌がらせをされても仕方がない」という描写で終わっているので、これが結論になってしまっている。(君嶋が移籍承諾書を出したのは、アストロズの選手たちの意見を取り入れたところからも、あくまで②の文脈の結論)

滝川と君嶋の関係の雛形である君嶋と里村の関係で、君嶋が自分の価値観の非を認める描写がなければ、ドラマ上滝川が君嶋に対してやったこと、ひいては滝川の論理を肯定していることになるんだが…。

 

「アストロズと里村個人(一選手)の価値観の対立」だけならば、いつも通り綺麗にまとまったいい話だったのに、なぜ「会社と個人の対立軸」を持ち出してしまったのか。

「組織の論理に立ち向かう個人の戦い」をラグビー界や会社に対して挑んでいて、しかもそれを主筋の中に組み入れている以上、「七話だけの脚本の混乱」という問題では済まないと思う。一話から積み上げている「組織の力という背景を持つ滝川に立ち向かう」主筋に関わるからだ。

 

七話で①を「社会人として、組織の側から肯定して見せていて(辞める人間には、嫌がらせをしてもOK)」なおかつ解消せずに終わらせてしまったら、君嶋のやっていることはダブスタだと言われても仕方がない。実際ダブスタにしか見えなかった。

里村に対する会社の(アストロズの、ではなく)対応をそれも仕方ないとするなら、ラグビー界に君嶋が言っていることは「お前が言うか?」としか思えない。

木戸や鍵原、滝川が「その態度は社会人としてどうなんだ」と君嶋に言ったら面白いな。組織の論理に従わない人間に圧力をかけるのに、これほど便利な言葉はない。

 

「ノーサイド・ゲーム」はエピソード自体はありがちな王道の話が多いけれど、君嶋と対立する風間が損得勘定一辺倒ではなく独自の価値観や考えを持っていそうだったり、君嶋の妻の真希が君嶋とは違う価値観をぶつけてきたり、君嶋が気付かない見方を提示したり、バランス感覚のいいドラマで観ていて面白い。

だからこそ七話にはがっかりした。

 

とりあえず七話の「社会人としてどうなんだ」は、聞かなかったことにして先を見ようと思う。

こういうことがあると見る意欲がそがれるので、今後はないことを期待したい。

TBS系 日曜劇場「ノーサイド・ゲーム」オリジナル・サウンドトラック

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