うさるの厨二病な読書日記

厨二の着ぐるみが、本や漫画、ゲーム、ドラマなどについて好き勝手に語るブログ。

「アイ・アム・冒険少年」を見ていて、自分は伊沢拓司と鈴木奈々に共通するここが好きなんだなと思った。

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昨日、放送された「アイ・アム・冒険少年」が面白かった。

自分は伊沢拓司が好きで、出ている番組はつい見てしまう。

 

「東大王」も仕事で見れないときを除いてはよく見ている。

「高学歴なのに」みたいに茶化したりするものは好きではないが、「東大王」は、番組名はともかく、内容的には東大ブランドを推していないというか、比較的純粋にクイズの楽しさや面白さが出ている番組だと思っていてそこが好きだ。出演者たちも「東大生」というところだけをアイデンティティにされていない感じが、見ていて安心する。

前に「ぼくらの時代」で「東大出身の女性三人」の回があったが、人が悩む部分は余り学歴は関係ないんだなというのが印象的だった。

特に山口真由の話は、聞いていてなんだか辛かった。番組を見て以降、ひそかに応援している。

 

話がそれた。

つまり自分は「東大」というとそこにだけ目がいってしまうような俗っぽい感覚の人間なんだけれど、「東大王」特に伊沢に関してはその部分を忘れてしまうくらい本人を見ているのが楽しい。

昨日の「冒険少年」には対戦相手の一人として、鈴木奈々が出ていた。

鈴木奈々はどちらかといえば好き程度だが、この二人の「どこが好きか」がたぶん一緒なのだということに、昨日二人を同時に見て気づいた。

 

どちらも常に楽しそう。

 

恐らくそこが好きなのだと思う。

「東大王」に東大陣営で出演していたころから、「本当にクイズが好きなんだなあ」ということが伝わってきてそこがよかった。

知識やうんちくをマウントの道具として使ったり、逆に「マウントの道具になってしまうのではないか」という気遣いが見えたりすると、見ているほうとしては楽しさに水を差されてしまう。「もっとすごいことを言わなければ」という自意識が垣間見えると、見ているほうも「すごい」と思わなければならない、という圧を感じてしまう。

伊沢を見ていると「クイズが好き」「知識を増やすことそのものが好き」とはこういうことなのか、と思う。

鈴木奈々も自分をエゴサして出てきたことをネタにしていた。「うるさいと言われるから、おとなしくします」みたいなことを言いつつ、いつも通りのキャラでいく、こういうところがすごいなと思う。

 

この二人に共通していて自分が見ていて好きなところは、「いい意味で他人のことを気にしていないので、他人に気を遣わせないところ」だ。 

こういう人はまったく気を遣わず見ていられる。見ることが楽で、安心して純粋に楽しめる。変なことをすれば平気で突っ込めるし、突っ込みたくないときは何の遠慮もなくスルーできる。

面白い面白くない、好悪とはまったく別次元の問題で、例えば前述した山口真由は「大丈夫かな」という過剰な気遣いを勝手に(本当に勝手に)感じてしまう。「東大王」でも伊沢以外の人にはこういう気遣いが大なり小なり、見ていると自分の心の中にある。というより、その気遣いを感じない人のほうが珍しい。

 この気遣いが他の部分で解消されず重なると、見ているのがしんどくなってしまう。(ほんと勝手になんだが)

 

知識量の膨大さやそれを他人にわかりやすく説明する力や、クイズに対する情熱もすごいけれど、周りの気にせずに自分を鎧ったり加工せず何かを好きでいられるところがたぶん一番いいなと思っている。

今後も芸能界にいれば色々なことがあると思うけれど、「クイズが好き」の部分はずっと変わらないで欲しい。

 

自分も色々あっても、なるべく好きなものに対しては純粋に好きの気持ちだけで向き合えたらいいなと思う。

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