P・D・ジェイムズの「女の顔を覆え」を読んだ。
女の顔を覆え (ハヤカワ・ミステリ文庫 (HM 129-6))
- 作者: P・D・ジェイムズ,山室まりや
- 出版社/メーカー: 早川書房
- 発売日: 1993/05
- メディア: 文庫
- この商品を含むブログ (3件) を見る
P・D・ジェイムズは昔よく読んでいたけれど、内容をほとんど忘れている。「とにかく暗くてとにかく長い」イメージと、「原罪」のラストがかなり容赦がなかったことしか覚えていないので、初読の気持ちで読めた。
クリスティと似ているという記憶はなかった。今回読んでみて、田舎の名家の家族内で起こった殺人というのもそうだが、人間関係の機微に動機がある、殺された要因は被害者のキャラクターの中にある、という考え方が似ていると思った。
ミステリー的な仕掛けは皆無に近く、殺されたメイド・サリーの過去や容疑者たちとの関係性に焦点が絞られている。
「女の顔を覆え」は、殺されたサリーの人間性の面白さが一番の魅力だった。
ひと言で言うなら、「狡猾で意地が悪い」。
悪意や憎悪に満ちているというより、人を手のひらの上でもてあそぶような気まぐれで残酷な意地悪さだ。
サリーは人の泣き所を知る能力を持ち、しかもそこを的確に効果的に突くことができる。自分の立場が不利なときは目立たないように控え目に黙っているが、ひとたび自分が優位に立つと見るや、その能力をあからさまに用いる。
そこまで言わなくとも、という言い方で、相手の急所を正確に突く。
いとも忠実なマーサばあさん。
家族の皆さんへのあなたの献身ぶりはほんとにごりっぱよ。でも老いたる偽善者だからね、あなたは。あなたの大事なだんなさま以外の家族には、全然関心がないんだから!
自分が見えないのは気の毒ね。まるで赤ん坊でも扱うように、だんなさまのからだを洗ったり、顔を撫でたり、ごきげんをとったりするじゃないの。(略)
私、ときどき笑いたくなっちまう。(略)だんなさまももうろくしていてよかったわよ。あんなにこづかれたら、どこも悪くない人だって病気になっちまうわよ。
(引用元:「女の顔を覆え」 P・D・ジェイムズ/山室まりや訳 早川書房)
サリーと一緒に働く年老いたメイドのマーサは、サリーのことはよく思っておらず日頃から仲が悪い。
それにしてもここまで嘲笑と悪意に満ちた言葉を、人が人に投げつけられるものかと思う。
サリーはマーサに限らず、誰に対してもこの調子だ。気まぐれで計算高く皮肉っぽく、自分が優位に立つととたんに本性を表し、相手が嫌がりそうな物の言い方や行動を取る。
だが、不思議と「ただ嫌なだけの人物」には見えない。
幼いころに運命に振り回され、自分の才覚を生かせない人生を送っていて、そのことがサリーの斜に構えた人生観と人間観を育てたと推測できる。サリーのいいところは、そういうことについての泣き言や愚痴など言っても仕方がないことは言わないところだ。
サリーは自分の養育費をかすめ取った叔父を脅したり、わざと人に誤解を与えるような言動をして人が大騒ぎするのを楽しんだりする。付き合いが利益になる人物以外は、誰に対しても皮肉で嫌味な態度なので、読んでいてサリーに共感したり同情することもない。
彼女は「嫌な女」だが、決して「可哀そうな女」にはならない。自分の人生や運命は事実として受け入れ、そのうえで気に食わない相手には自分の武器を用いて攻撃し、状況を計算して立ち回り、自分の思う通りにふるまう。
狡猾で意地が悪く、人の気持ちが分からない(むしろわかっていて嫌がらせをするような)女だが、自分に同情しようとしたり自分に「分を思い知らせよう」とする世間に決して屈せず、迎合もせず、むしろ鼻を明かしてやろうというしたたかな強さがある。
自分を不当に扱う運命をあざ笑うような火遊びが仇になり、殺されてしまった。これは犯人がそう言及しているので、その通りだったのだろう。
そんな火遊びをしなければ、サリーは殺されることはなかった。
でも自分を取り囲む理不尽さを嘆くのではなく、コケにしあざ笑うような態度にこそ、サリーの真髄があったのだと思う。
気まぐれで扱いにくく嫌な女なのに、男にめっぽうモテる。異性から見ると、その点に彼女独自の底知れない魅力があったのだろう。
もうちょっと彼女の活躍ぶりが見たい、と思わせる被害者だった。
「女の顔を覆え」は、サリーが生きていたころ(殺人が起こるまで)は、サリー以外の人々の悪意や負の感情も生々しく、外に滴り落ちそうなほど濃厚だ。
ところが話が進むにつれ、どんどんそれは薄まっていき、最後は綺麗に霧散して丸く収まる。
サリーが殺されたとたん、周りの人間の憑き物も落ちたかのようだ。ミステリというよりも、「殺人が起きたことにより、動き出しあらわになる人間ドラマ」という側面が強い。
おぼろげな記憶だと、P・D・ジェイムズの作品はそのあたりが特徴だったような気がする。
ミステリとして読むとちょっと物足りないけれど、微妙な心の機微が描かれた人間ドラマとして読むといいのかもしれない。