*本記事には、アガサ・クリスティ「そして誰もいなくなった」の重大なネタバレが含まれています。本編未読のかたは、本編から読まれることをお勧めします。
*文中の引用元は清水俊二訳。 青木久恵訳も参考に確認。
事件の時系列
(調べたけれどうまく貼れず……見づらかったらすみませぬ。)
本編と告白書の検証
「そして誰もいなくなった」は、犯人のボトルメッセージによる犯行の告白で終わっている。この告白書や本編事件の記載でいくつか疑問を持った部分があるので、これを手掛かりに事件を再検証したい。
本編と告白書を読んでの疑問
疑問①
ウォーグレイヴは、アームストロングをニセの計画に引き込み、自分の死を偽装することで犯行を企てた。その理由として「彼(アームストロング)の疑惑はロンバードに集中され」と書いているが、9日の午前中の時点では
彼(アームストロング)は誰かと相談したかった。(略)
彼は判事を避けた。ウォーグレイヴは頭脳はいいかもしれないが、老人だった。いま彼が必要としているのは活動的な人間だった。(略)
「ロンバード、話があるんだが」
(P110より/()内は引用者)
となっていて、荒事の相談をするのに判事は向いていないと考えている。
ブレアとロンバードについて会話したり、次々と人が死んだため、9日の午前中とは考えが変わったとも思える。だが告白書では、アームストロングがウォーグレイヴに協力した理由を「そもそもアームストロングはそういう人間だから」と書いているため、矛盾を感じる。
少なくとも告白書に書いてあるほど盲目的には、アームストロングはウォーグレイヴを信用していない。そのため、この共犯関係が何の支障もなくうまくいったことに違和感を覚える。
疑問②
ロジャースの妻、マカーサー将軍、エミリーの殺害はそうとう難しく感じる。
特にエミリーの殺害は、その直前の朝食でお互いが疑心暗鬼になっている描写がある。またエミリーは、アームストロングの薬の処方をかなり強い口調で断っている。(P180)
ウォーグレイヴが入れたコーヒーを飲むだろうか?
仮に飲んだとしても、後片付けをしている最中(他の人間が食堂に出入りする可能性がある)であることやお互いを疑惑の目で見ているという条件の中で、隙をみて人の首に注射することが可能だろうか?
ウォーグレイヴが告白書で述べている殺人計画への「芸術家が自己を表現しようとしている」という自負を考えても、見つかって計画が頓挫するリスクが高いこの犯行をするのは不自然に感じる。
疑問③
ウォーグレイヴの死の偽装は可能なのだろうか?
死体を見ただけなら「蝋燭の灯りしかなかったから」と納得がいくが、全員で自室までウォーグレイヴを運んでいる。「彼ら」と書いてあるので、アームストロング以外の三人もウォーグレイヴの体に触っているのに、死んでいるふりに気づかないのだろうか?
疑問④
アームストロング殺害前後の時間について、ブロアは足音を聞いた時間を「1時」としているが、告白書ではウォーグレイヴがアームストロングを殺したのが1時45分となっている。そのあとにアームストロングのふりをして邸内に入った足音をブロアが聞いたのだろうと言っている。
清水訳、青木訳とも時刻が一致しているので作者のミスかもしれないが、こういう記載をわざとすることで告白書の真偽を不明にしていると考えるのも面白い。
疑問⑤
ヴェラが自室に仕掛けられた海藻に驚いて失神したとき、「四人の男」となっている。(P197)
このとき、ウォーグレイヴは一階で殺人を偽装しているので、ここはロンバード、ブロア、アームストロングの三人になるはずだ。
青木訳では人数の記載がないので、清水訳の誤りだと思うが、ヴェラは朦朧とした意識、蝋燭のぼんやりとした灯りの中で、三人の後ろに四人目の男を見たのではないかと考えてみる。
という風に見ていくと、
・告白書に書かれたようなウォーグレイヴの犯行は無理ではないが、条件としてはかなり厳しい。
・告白書は、矛盾とまではいかないにしても、事件テキストとの微妙な食い違いがある。
「疑惑」はこのふたつに集約する。
このように厳しい条件でもウォーグレイヴが犯行を行った、と告白書が主張するならば、逆に「ウォーグレイヴと同じ条件下でならば、他にも犯行が可能な人間がいるのではないか」と考えられる。
「そして誰もいなくなった」の真相は、「考えても他の可能性がないから、この告白書を真実と考えるよりほかにはない」という結末になっている。
しかし「他の人間も犯行ができる」なら、「この告白書は偽装であり、真犯人は他にいる」可能性が出てくる。
「真犯人は他にいる」可能性を追求する場合、告白書は「真相の告白」ではなく「この物語のルールブック」と考える。
つまり告白書で「ウォーグレイヴができると主張していること」は、他の人間にもできると考える。また本編で「こうだ」と書かれていることも、ルールとして採用される。
「そして誰もいなくなった」の物語内ルール
ルール1「殺人(や殺人の偽装)は短時間で可能」
疑問②で書いた通り、マカーサー将軍とエミリーの殺害をウォーグレイヴが行った場合、時間的にそうとうタイトだ。特にエミリーの殺害は、嵐ルール(ルール5参照)が適用されている中でも声が聞こえる範囲に人がいる場所で、殺害を行っている。
このことからテキスト内で「その場にいる」と明言されている(所在が明らかである)人物以外は、犯行が可能と考える。
ルール2「人々は殺人に関することを高確率で見落とす」
ウォーグレイヴの告白書によると、彼はマーストン、ロジャース妻、エミリーと三度にわたって人の飲み物に薬を入れている。
前の二人の場合は「まだ疑惑がなかったから」「混乱に乗じて」と言っているが、エミリーのときは前述したように人々はかなり疑心暗鬼になっている。それにも関わらず、薬を入れられてたり、エミリーの首筋に注射をしたりできているので、「手元をじっと見ていた」「入れられるはずがない」などの「不可能が確定している」記述がない限り可能であると考える。
ルール3「自分自身の死体には化けられるが、他人の死体には化けられない」
告白書に「死体をくわしくしらべるはずはないと思った。アームストロングが死体に化けているのではないかと考えたとしても、シーツをちょっとまくってみれば、そうではないことがわかるのだった。事実、そのとおりのことがおこった」(P263)と書かれているので、自分の死体に化けることが可能だが、シーツをめくればわかる他人の死体には偽装できない。
ルール4「アームストロングは共犯に引きこめる」
疑惑①で書いたとおり、アームストロングはロンバードにも協力を申し出ているし、「頭脳はいいが活動的ではない」と思っていた判事に、自由に動く捜査権を与えている。
またウォーグレイヴがアームストロングに共闘を申し出たのは、少なくともマカーサー将軍が死んだあとと考えられる。この時点でウォーグレイヴをまったく疑わず、自分が疑われる可能性がある「死の偽装」に手を貸してしまうことなどを考え合わせると、それなりの理由を述べれば誰にでも協力してくれるだろうと考える。
付随ルールとして「アームストロングは、検死を誤魔化せる」
ルール5「嵐の時間は、銃声も足音も聞こえない。嵐の時間以外は、足音などが聞こえる」(嵐ルール)
9日の12時に起こり10日におさまった嵐の時間帯は、銃声も足音も聞こえなくなる。
「なぜ、誰もピストルの音を聞かなかったのだろう」(略)
「クレイソーンさんが大声でわめいていた。風が吹きまくっていた。われわれは叫びながら、駆けあがっていった。聞こえるはずがないよ」
(P204より)
嵐ではない時間帯は、ロジャースが屋根裏を歩く音や気配、ウォーグレイヴが廊下を歩く音や気配などにも気づいている。また2階にいたヴェラが1階で窓が割れる音にも気づいていることから、嵐の時間帯は独自のルールがあると考えた。
ルール6「捜索は人体が存在するかどうかのみ判別可能」(捜索ルール)
捜索は三回行われている。
捜索①9日の午前中。アームストロングがロンバードとブロアを誘って行った。
捜索②10日の午後。生き残り全員の身体検査とそれぞれの自室を捜索。
捜索③11日の深夜。ロンバードとブロアが屋敷内、屋敷外を捜索。
捜索②で銃が見つからず、捜索③でウォーグレイヴの死んだふりを見抜けない。また捜索①の屋敷の2階の捜索が「彼らは最初の寝室へ入って行った。五分の後、彼らは踊り場で顔を合わせた。誰も隠れていなかった。隠れ場所らしいところもなかった」(P128)とあるように、「捜索」というほどの捜索ではない。各部屋をざっと目視するだけだ。
「捜索」でわかるのは「そこに存在するはずのない人体が存在するか」と「判明していない隠れ場所があるか」だけだ。
ルール7「筆跡はごまかせる」
エミリーが「何と読むのだろう。字が読みにくいのである」(P13)と書いてある手紙に誘われて、見知らぬ島までやってきたように、「そして誰もいなくなった」では筆跡は基本的には当てにならないし、偽装するまでもなく人は騙される。
警察が疑って筆跡鑑定をすれば判明するかもしれないが、そういう記述がない場合は、「そして誰もいなくなった」のルールが適用される。
最後の告白書を本当にウォーグレイヴが書いたのか、という疑問が出てくる。
ルール8「死んだ順番は、生存者たちのメモ以外では不明」
ここに警察医の証言があるのです。
彼は八月十三日の早朝、島に渡って、死体の検査を行っています。彼の証言によると、死体はすべて、死後、三十六時間以上経過しているということでした。そのほかには、とくに手掛かりとなるような証言をしてしませんが、
(P249より)
警察の検死では「全員36時間以上前に死亡した」以外のことはわからず、死んだ順番は生存者のメモと死体の状況によって推測している。
「筆跡は誤魔化せる」が、本編にエミリーとヴェラは日記をつけている記述がある。彼女たちの記述と本編と一致しているのであれば、他の二人の事件メモも信頼できる。
犯人の検証
ルールに基づいて、「犯人になれない人」を除外。
本編の記載と以上の考えを基にして、犯人になれない人を除外していく。
ロジャースの妻は、アームストロングの検死の前に、ロジャースが「どうしても目を覚まさない」と検死を行っているので除外。
マカーサーとロジャースは外傷がはっきりとしているので除外。
エミリーは検死を行ったのがブロア(P183)なので除外。
ブロアは「頭をつぶされ」(P229)ているので、除外。
ロンバードはヴェラが検死を行っている(P236)ので除外。
死後、自殺に使った椅子を片付ける人物が必要なのでヴェラは除外。
ウォーグレイヴ以外で残っているのが、マーストンとアームストロングだ。
ルールを適用しながら、それぞれの犯人説を検証してみる。
真犯人の検証
アームストロング医師真犯人説
アームストロングは溺死なので誤魔化すのは難しい。
しかしヴェラとロンバードはウォーグレイヴの死も見抜けなかったので、ありえないとは言い切れない。
ただウォーグレイヴの殺害が、時間を考えるとかなり厳しい。ヴェラの悲鳴を聞いたブロアとロンバードがかけ上がってから、すぐにウォーグレイヴを射殺し、偽装工作をして二人の後を追う。
二階でアームストロングとブロアの会話もあるので、アリバイが成立していると考えていいかもしれない。没。
アンソニー・マーストン真犯人説
マーストンはアームストロングが検死を行っている。
問題はウォーグレイヴとは違い、電灯がまだ灯っている中で死んだふりが通用するかだ。「紫色になってゆがんでいる唇」などの描写を見ると、クリスティもこのあたりは考えていたのではと思う。
ただアームストロングが検死を行っているので、ルールからすればマーストンにも死んだふりは可能。
マーストンは死んだふりさえ見破られなければ、あとは「死体のふり」で隠れつつ、他の人間を殺すことができる。
ロジャースが妻にブランデーを持ってきたのはマーストンが死ぬ前なので、ロジャースの妻も殺せる。
エミリーはアームストロングが薬を盛り(ルール2を適用)みなが応接間でエミリーを待っているときに、マーストンが食堂に忍び込んで殺す。
ウォーグレイヴの名前を騙ったメッセージボトルを海に流したあと、青酸カリで自殺する。
ヴェラが見た「四人めの男」は、死体のふりをするために自分の部屋に戻る途中のマーストンの影と考えると説明がつく。(ただマーストンの部屋の配置がわからないうえに、ヴェラの部屋は一番奥らしいので微妙だ)
第三者がいた説
これも考えてみたが、共犯がいても捜索から逃れきれなかったので没。
結論
「ボトルメッセージを偽装したマーストン真犯人説」も可能性はあるので、ウォーグレイヴが真犯人とは言い切れない。
「そして誰もいなくなった」は、なぜこんなに面白いのか。
この記事を書くために、「そして誰もいなくなった」を細かく読み返してみて驚いた。
「細かいことは抜きにして物語の緊迫感や心理的恐怖で押し切っている物語」という今までのイメージが見事にくつがえされたからだ。
「嵐ルール」や「電灯が消えて蝋燭の灯りだけになったから死の偽装ができた」など、「はっきりとは書かれていないが、こうだからこうだったのか」と細かく読めばすべての事象に納得できる。
今回一番すごいと思ったのは、「マカーサー将軍の殺害時の各人のアリバイ」についてのヴェラとロンバードの会話だ。
ロンバードとアームストロングは、ずっと一緒に捜索をしていて、二人が離れたのはほんの一瞬だった。だから「アームストロングに犯行は無理」とロンバードは主張する。
ロンバードは「自分とアームストロングが離れたときに、アームストロングに犯行が無理な理由」として、
「しかし、マカーサーを殺す機会はなかったろう。ぼくが彼とわかれていたのは、ほんのわずかな時間なんだ。わずかの時間に仕事をすませて、もとの場所に戻ってこられるほど身軽な男じゃないよ」(P156-157)
という。
このあとにヴェラが「アームストロングはそのときではなく、将軍を呼びに行ったときに殺したのだ」と主張し、アームストロングのアリバイが崩れる。
しかしロンバードの主張は、「身軽なら」自分とアームストロングが離れたときでも殺せたということになる。そしてまさにロンバードは捜索のときに、崖を綱をほとんど使わずに降りる「猫のような」身軽さを見せている。
ロンバードのこの言葉でロンバード自身のアリバイが崩れてしまう。それをはっきりと提示するのではなく、物語の中の、しかも本人の言葉に紛れ込ませて気づくか気づかないか、また気づいた人は気づいたことによってさらなる混乱に誘い込まれてしまう。
クリスティはこういう「解釈の幅や仕掛けを持たせることで、読者が気付けば気づくほど勝手に騙されてしまう」描写が天才的にうまいが、「そして誰もいなくなった」はそういう仕掛けだけでできているような話だ。
記事でも色々と突っ込みを入れたとおり、ボトルメッセージの告白書はかなり曖昧で細部が適当だ。「芸術としての殺人だ」などと風呂敷を広げているわりには、事件の詳細はそんなに熱を入れて書いていない。
しかもなぜ郵便でも遺書でもない、誰が拾うかも拾わないかもわからないボトルメッセージなのか。
この曖昧性や適当さや穴のように思える部分があるからこそ、「もしかしたら、真相はもっと別にあるのではないか」と告白書を読んだあとも考えてしまう。
「うみねこのなく頃に」に「『そして誰もいなくなった』は、最後の告白書の部分を破いてしまえば、魔法による殺人そのものではないか」という言葉が出てくる。
まさに言いえて妙で、わずか四日のあいだに起こった人の仕業とは思えない不可思議な大量殺人、とってつけたような告白書による唐突な幕の閉じ方、そういったものが読み手の恐怖や謎に対する想像力を掻き立てる作りになっている。
この解釈の余地を残したところ、物語が終わったあとも終わっていないように感じられるところ、もっと他の真相があるのではないかと思えてしまうところこそ、この話の最も優れた点だと思う。
だからこの話の題名は、いつまでも形を変えながら繰り返し用いられ、いつまでも傑作として語り継がれているのだと思っている。
細かいところまで練られているので、もっと推理小説寄りにしようとすればできたと思う。しかしそれをあえて荒唐無稽な恐ろしさ重視のサスペンス調に仕立て、この物語の面白さの肝を外さなかったクリスティの感覚の鋭さには脱帽するしかない。
「優れた物語は解釈を述べるものではなく、読者の多様な解釈を許し、想像を掻き立てるもの」であるとする自分の考えからすると、時代も超えて多くの人の想像力を無限に掻き立てたこの話は稀に見る傑作だ。
記憶を消して、もう一度読みたい。
ドラマ版もAmazonでもう一度見た。