うさるの厨二病な読書日記

厨二の着ぐるみが、本や漫画、ゲーム、ドラマなどについて好き勝手に語るブログ。

【漫画感想】藤村真理「少女少年学級団」子供たちの描写が魅力的だからこその贅沢な不満。

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余りの面白さに、全9巻大人買いしていっき読みしてしまった。

[まとめ買い] 少女少年学級団

[まとめ買い] 少女少年学級団

 

 

どこかで見たことがある絵だと思ったら、「きょうは会社休みます。」と同じ作者だった。

連載時期がかぶっているんだけど、二作同時進行で描いていたのか。それでこの面白さか。神かよ。(小並感)

 

「少女少年学級団」は、キャラクター同士の関係性とその心情の描き方が特に良かった。

例えば遥の恋を諦めさせるようと、渡、勇馬、一寛の三人が画策するエピソードには、三人の性格の違いがよく出ている。このエピソードひとつで、三人がどんな環境で育ってきたのか、どんな考え方で物事を見るのかがわかる。

 

「少女少年学級団」はどの考え方が正しいのかではなく、「どうして同じように遥が好きなのに、三人の考えは違うのか」ということに読み手の意識が向くようになっている。

「片思いでも、好きな子の幸せを願いたい」一寛に対して、勇馬は「どんな手を使ってでもその子を振り向かせて、自分が幸せにすればいい」と考えている。

常に母親や妹に気を使い、他人のことを優先して考えることが癖になっている一寛の性格だとそう考えるのが自然に思えるし、父親の暴力から母親を救えなかった勇馬の背景を考えると、勇馬がそう考えるのは自然に思える。

 

このエピソードのために唐突に出てきたように思えてしまう「勇馬が転校してきたのは家庭の事情があった」という背景も、小絵の盗みに気づくなど、他の子たちよりも鋭い観察力を持つ人物像が以前から描きこまれているので、「だから妙に冷めていて大人びたところがあるのか」と納得できる。

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(引用元:「少女少年学級団」7巻 藤村真理 集英社) 

小学生離れした憂いの表情で、勇馬のこれまでの環境とそこからどういう影響を受けたかがわかる。家族に愛されて育ったごく普通の男子小学生らしい性格の渡との違いも見てとれる。

 

同じように「ひねくれキャラ」でも、勇馬と佐山は「ひねくれ方」がまるで違う。

「もしつかまったら、どーすんだよ」

「泣け。何やったって本気で泣いて本気で謝れば、大人は許してくれるようになっているんだよ」

「周りの子よりも敏感に大人にならざるえなかった勇馬」と「尊大で無神経になることで色々なことをやりすごしてきた佐山」で描きわけられている。

 

佐山は「渡の健への反発」を描くためだけに出てきたキャラかと思いきや、そのあと渡に誘われて野球団に入るエピソードが出てくる。改心したわけではなく、「人を思い切り殴ってみたいから、俺が賭けに勝ったら思い切り殴らせろ」と佐山の黒さはちゃんと残っている。

しかしそういう「黒い部分」も含めて、渡は佐山のことが好きだから野球に誘った。いくら健への反発があるからと言って、好きでもない相手の家に連日遊びに行ったりしない。

そういう「本筋のための設定」だけに終わらないリアリティがある。

 

一寛も大人びている部分があるが、勇馬と一寛の「大人びかた」も違う。それも「遥に健を諦めさせるために、健と凛をだますエピソード」で描きこまれている。

 

遥の同性の友達である小絵も大人びているが、これまた勇馬や一寛の大人びかたと違う。小絵は大人びているというよりは、身体は子供だが考え方はすでに大人だ。

「あたし今すごい嫌な人間になっているから、人が傷つく言葉しか出てこない」

小絵のセリフで一番好きなのはこれだ。

小絵は片思いをしている江島先生と萌香の母親のツーショットのプリクラを盗んだときに「自分が最低なことくらい知っているわよ」と言ったように、自分の負の部分と向き合い、認められる人間だ。だから萌香の姉が萌香にきつく当たったときも、「お姉さんが嫌いなのは自分自身なんだと思う」と気づいた。

小絵と勇馬の会話は、小学生同士の会話とは思えない。

大人でもできるかどうかわからない、微妙な配慮と駆け引きの空中戦だ。

 

「少女少年学級団」は、こういう描写の連続だ。

どのエピソードも大人になっても、それどころか一生かかってもそんなことはわからないかもしれずグルグル考えている、ということを子供たちが試行錯誤して乗り越えていく。

「嫉妬しないようにするにはどうすればいいのか」

「自分自身が嫌い」

「どうして自分は男ではないのか」

「相手のことを理解するとはどういうことなのか」

「人を好きになるとはどういうことなのか」

ちょっとしたことが仲間はずれやいじめに発展していく、人間関係の描写の仕方も絶妙だ。「女子だけの学級会」など、見ているだけで胃が痛くなる。

主人公の遥が被害者になるエピソードだけではなく、時に悪気なく仲間外れに加担してしまったり、嫉妬からつい陰口にのっかってしまった話など色々な角度から描かれている。どの心情も既視感があり、感じ入ったり考えさせられたりする。

 

 残念だったのは、ここまで丁寧に描きこまれたエピソードやキャラクターが、結局は「遥と健の恋愛」という主筋に回収されるだけのものになってしまったところだ。

中学生受験から支えてくれた勇馬すら立ちなおらせられなかった遥が、健が帰ってきて一緒に走っただけで立ち直ってしまう。最終的には「健が存在するだけで」(ストーリー的には少し干渉するだけで)すべてが解決してしまう「健という神の威光がすべてを解決する話」になってしまった。

神は存在するだけで、奇跡を起こし、信徒を救う。

キャラクターたちは健教の信徒であり、最も信心深い遥と神との交流を見守る存在なのだ。

その二人の交流に必要がなくなった信徒は、次々と脱会していく。特に凛は出落ち感が半端なかった。

ライバル(?)キャラは、主人公や相手役の心を揺さぶってストーリーに起伏を与えることに存在価値がある。普通の話ならば、その効果がなくなったらフェイドアウドする(存在はするがライバルとしての存在価値は失う)のは気にならないが、凛はライバルキャラには収まらない面白い人物だった。

それなのに、「健のことが昔好きだった」→「今はもう好きじゃない」→「やっぱり好きで告白」→「健が思わせぶりに保留」この保留も遥の心をかき乱し、健の遥への思いを自覚させるためだけのもの、というさんざんな扱いだ。

 

健は「都合のいい存在」すぎて興味がわきづらい。好き嫌い以前に「チートすぎてゲームバランスを壊しているキャラ」に対するような気持ちになる。

中学生のときは理不尽な目に遭ったエピソードや「俺のほうがあの子らを慕っているんです」というセリフなど好きなところもあるけれど。

 

もともと「二人の恋のために世界はある」話なら、高校生になったあとの他のキャラの扱いもそんなに気にならない。

群像劇的要素が良すぎたからこそ、「遥と健の恋愛の話」のためにすべてがあった、という終わりかたが残念だった。

 

そういう良すぎたからこその不満はあるけれど、それを差し引いても最後まで面白かった。

少女少年学級団 3 (マーガレットコミックスDIGITAL)

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  • 作者:藤村真理
  • 発売日: 2013/06/14
  • メディア: Kindle版