*ネタバレあり。注意してください。
前回80周めまでの感想。
話の全容がぼんやり見えてきた
夕里子とラキオの話を聞くことで、ようやく話の全容がぼんやり見えてきた。
夕里子は存在を計算式化した人間の計算式を預かる星船の巫女で、そこから逃亡してきた。計算式化した人間がグノースで、その集合体がグノーシスであり、グノーシスは自己の肥大化を求める。そのため接続した人間を自分の手足となるグノーシアとして、できる限り多くの人間と融合しようとしている、そういうことでいいのか。
ループするのは元々はラキオが持つ銀の鍵が、周囲の平行宇宙の情報を喰らいつくそうとしており、その情報の探知としてループが行われている。
情報を喰らいつくせば(食べるものがなくなれば)ループは止まる。だからキャラクターの項目を開放しなければならない。
ゲームの目的がストーリー内の目的につながったことは、おおっ!と思った。
「なぜ周りの人物たちを深く知らなければならないのか」ということがきちんと説明されている。
セツがラキオの銀の鍵をなぜ持っていたのか、星船関連の話と銀の鍵関連の話がどうつながるのかは、もう少し話を進めないと見えてこないのか。
夕里子とラキオの話を聞くのは大変だった。
特に夕里子は「守れ」と言いつつ、自分がグノーシアのときもあった。「まさかそんなことはないだろう」と思ったのに。あと顔が近い。
子供のときに出会いたかった。
子供のころにこのゲームと出会っていたら、今以上にのめりこんでいそうだ。
でも現実に帰れないくらい夢中になりそうなので大人でよかったかもしれない。今でも十分のめりこんでいるし。
「汎性」の概念やキャラクターの設定が多種多様で色々と考えさせられるので、子供にもプレイして欲しいと思うけれど、ストーリーがやや混みいっているのでどうなんだろう。
今までで一番驚いたのはシピの設定だ。
「世の中には色々な人がいる」ということを、ここまでしみじみと体感させてくれる設定はなかなかない。自分は動物が好きでも嫌いでもないのでよくわからないが、「わかる」と言う人もいそうだ。
コメットの設定は面白い。そういえばジョナスがなぜ、コメットの遺体を取り出そうとしたのかまだ聞いていないな。
レムナンの設定は何歳くらいから理解できるだろう?という妄想
てっきり「レムナンが天才科学者でSQを生み出してしまった」とかそういう話だと思ったのに、生物学的な父親か。えぐいな。
レーティングはBで12歳以上が対象だけれど、小学生くらいだとこの設定はわかるのだろうか?
自分に小学生の子供がいて「愛玩動物ってどういう意味?」「レムナンは人間なのに、首輪をつけて飼われていたの?」と聞かれたらどう答えるだろう?という素朴な疑問がわいた。
「愛玩動物は奴隷って意味だよ。だからいつもこんなに怯えているんだよ」
「奴隷」はわかるだろうから、大丈夫(?)そうだな。
自分はどうだったか、と考えると、小学生のときにそれこそループし続けた児童文庫シリーズに「アンクルトムの小屋」があったらからニュアンスはわかりそうだ。小学校五、六年だったらゲームや漫画で「人間を玩具扱いするキャラ」は出てくるから、よく考えたら普通にわかりそうだな。
自分が子供のころはゲームや漫画、アニメは子供のためのコンテンツだったので、ゲームの内容を親に話すなんて考えたこともなかったけれど、今だと親子で同じゲームをやっているという話も普通に聞く。
もし自分が親であればゲームでも何でも子供が聞きたいと思うことを聞かれる、その質問に自分なりの言葉で答えられる親になりたいなと思うけど、まあ聞きたくなければそれでも別に構わないし。(どっちだよ)
この設定で、レムナンのことを見直した。
レムナンのように自分の自我や尊厳を軽んじられ支配される扱いを受けた人は、普通にふるまうことさえ大変だ。
自己肯定感の話につながるけれど、こういう経験がある人間が自分の感情を表に出すのはすごく勇気がいることだと思う。
こういう背景があるのに、人(オトメ)のために怒れるレムナンはすごいなと感動した。元々はそうとう強い人間なのかもしれない。
そんなこちらの気持ちが伝わったのか、一回だけ協力を申し込みにきてくれた。嬉しい。またすぐに嫌われたけど。
レムナンの設定で思い出したのは、「ゲーム・オブ・スローンズ」のシオンだ。
シオンもラムジーに人の尊厳をズタズタにされて、そこからどう立ち直るかという課題を背負っていた。「我ら種を蒔かず」「死せる者はもはや死なず」という溺神への誓いに魂を吹き込むような生きざまだった。
「死せる者はもはや死なず」って格好いい。たまに叫びたくなる。
知れば知るほどどのキャラクターにも愛情と愛着がわく。
できればみんな幸せになって欲しいが……どうかな。
続き。140周め