うさるの厨二病な読書日記

厨二の着ぐるみが、本や漫画、ゲーム、ドラマなどについて好き勝手に語るブログ。

「中卒労働者から始める高校生活」を14巻まで読み返して、五十嵐がすごく好きなことに気づいた。

【スポンサーリンク】

 

「中卒労働者から始める高校生活」の14巻が出た。 

様々な社会問題が最終的には恋愛の背景に収まってしまうのがこの漫画の大きな特徴だ。

そのあたりを割り切って読めば面白い。

中卒労働者から始める高校生活 14

中卒労働者から始める高校生活 14

 

 

 

主人公の真実はひたすら劣等感と罪悪感のループを繰り返すので、読んでいると少しイライラする。

それよりも真彩、一条、五十嵐の三角関係のほうが気になる。

中卒労働者から始める高校生活 12

中卒労働者から始める高校生活 12

 

 

一巻から読み返して、改めて五十嵐が好きだなあと思った。

「自分では器用に立ち回っているつもりだが、端から見ると信じられないほど不器用」

「クールで何事もほどほどに、面倒なことには関わらないが信条に見えて、実は激情的」

こういうキャラに昔から弱く、見かけるとすぐに好きになってしまう。

「その不器用さや熱さに自分も周りも気づいておらず、周りからは小狡い奴、くらいに思われている(物語上もそう扱われている)」とさらにいい。

 

「中卒労働者」は基本いい人しか出てこない日常の話なので、五十嵐も「要領いい部分もあるが、根はいい奴」くらいの扱いだ。これが苛酷な世界の話になると「要領の良さ」が「狡猾さ」になって全面に出てくる。

「ゲーム・オブ・スローンズ」のシオンや「タニタニア」のイドリスがこのタイプだ。

本人は狡猾に立ち回っているつもりなのにまったくそんなことがなく、ちょっとしたことですぐに足払いをくらわされる。

これが「狡猾さ」や「悪さ」を押し出そうとしても根の善良さや優しさがにじみ出てしまうタイプだと、サンダー・クレゲインのようになる。

 

「グノーシア」の沙明もこの系統だが、沙明は他のキャラとは違い、「自分はある部分についてはとてつもなく不器用」と気づいている節がある。「過去のことがまだ自分の傷として残っている」と認められるところを見ても冷静で大人な部分があり、微妙に好みからズレている。(好きだけど)

その点、シオンやイドリスは自分の傷に気づかず、「上手く立ち回ること」に邁進しているところが応援したくなる。

ヤーラもシオンのそういうところが不憫に思いつつも可愛くて、ついからかってしまうのではと思っている。

 

「父親に前科がある」と告白した真彩に対する反応が、五十嵐の、というより自分が好きなこの系統の真骨頂だ。

f:id:saiusaruzzz:20200927175224p:plain

(引用元:「中卒労働者から始める高校生活」12巻 佐々木ミノル 日本文芸社)

 

普段色々と計算をし、自分が不利にならないように器用に立ち回っているのは、それくらい自分の本心を人に見せるのが苦手だからだ。本心が思わず漏れ出てしまう場面は、このタイプにとってそれくらい致命的なのだ。

真剣になると(たいていの場合怒ると)その計算力がまったく働かなくなり、どんどん「悪い方向」に転がり落ちていく。

五十嵐はもし相手が真彩でなければ(というより相手によっては)「親に前科がある人間には、引いて関わらないようにするタイプ」なのだ。

真彩とデートしたくてボウリングに誘ったのに一条を連れてきても「まあいいや」と流し、真彩が一条に見せるための私服を買うことにも付き合う五十嵐が、思わず本心が漏れ出てしまうくらい激怒した心中は察して余りある。

 

①一条と比べられた

②「いい人だから引かないはず」という真彩の期待を裏切っている(違う視点を持っている)という負い目

③「いい人だから引かないはず」と真彩が思うということは、自分を理解していないという怒り

④「自分は真彩からそれを聞かされたら引かないけれど、それは自分が『いい人』だからではなく、真彩のことが好きだから」でその気持ちを理解されていない怒り

この辺りが重なって、ここまで切れたのだと思う。

「俺は引く人間だよ、『いい人』なんかじゃねえ」ことを理解して欲しいのはわかるが、何でよりによって「俺は引いても普通って思う」というその部分だけを言うんだよと言いたくなる。(そこがいい)

14巻で「ただ、こーゆー話がしたかっただけだよ」と言えてよかったが、ついでに告白もしたのにはびっくりした。引っ張ったわりには、言うときは唐突なうえに先走りすぎる。(そこがいい)

 

「親の犯罪歴は子供には関係ない。犯罪者加害者家族への差別は許されない」というのはその通りだと思うし、社会問題にもなっている。

しかしその公的な意識を私的な領域に完全に密着させられるかどうか、自分が私的な領域においてもそう思えるのは、相手と自分が個人的な関係を築いているという条件があるからではないか。「逢澤さんの親父みたいに。そっちが普通とは思うよ」とこの話のメインの価値観とは違う視点を引き受けられるところも、五十嵐の好きなところだ。

善さんや五十嵐のように、相手が友達なら「どうも思わない」が一般的な反応ではと思う。 

真彩だけでも手いっぱいなのに、莉央はともかく友達の若葉まで「自分事として」泣き出し一条が怒り出したら、そりゃあ真実も「泣かせたくないなら二度と泣くな」とまた罪悪感ループに入るだろ。罪悪感でおかしくなっている相手に、泣いたり寝込んだりしてさらに罪悪感を抱かせるところがすごい。

 

この状況で「一条に告ってよ」と言う五十嵐はすげえな。

どう考えてもそれどころじゃないだろ、と思うが「社会問題を個人的なうだうだの背景にしている」他のキャラとは真逆の、「今、自分がしている恋愛以上に重要な問題などこの世にない」という姿勢が一貫しているところもいい。

真彩には五十嵐を選んで欲しいがどうかなあ。