上の記事で罪悪感について考えたことを踏まえたうえで、「ダークソウルⅢ」のイーゴンとイリーナについて考えてみた。
白面の虫が「男は恐れた。固い鎧を身に着けて、弱い女を、まるで児戯のように」と言っているように、イリーナは「弱く」相対的にイーゴンのほうが圧倒的に強い(とイーゴンは思っている。)
この状態だと、一緒にいるだけでイーゴンの「罪悪感メーター」が上昇し続ける。
イリーナが火防女になれないのはイリーナ自身の「弱さ」のせいだけれど、イーゴンは「イリーナを火防女にする(良い状態にする)責任は自分にある」と感じている。
自分のほうが圧倒的に「強い」と、理屈ではそうではないとわかっていても、そういう気持ちになってしまう。
だが「火防女(いい状態)になれない」のは、イリーナ自身の「弱さ」のせいなので、イーゴンにはどうすることもできない。
次にイリーナが望むことは、「約束通り殺してもらう」だが、これもイーゴンにはできない。
「自分が相手を負の状態から救えない事態になる」ので、「罪悪感メーター」が極限まで振り切れる。
イーゴンがストーリー上、イリーナの前に姿を現さないのは、このためではと思う。
イリーナの前に姿を表せば、「約束通り殺す」か「相手の望みを何ひとつかなえられないことを認める」か、どちらにしろ罪悪感メーターが振り切れる究極の二択を選ばなければならない。
イーゴンはたぶんこの二択を選びたくないし、「選びたくない自分」を認めたくない。
イーゴンはイリーナのことが好きなのだろうけれど、罪悪感ベースだけでも究極の二択のうえに、恋愛感情まであったら
「約束通り殺す」
「相手の望みを何ひとつかなえられないことを認める」
は、地獄の選択だ。
どちらも選べず膠着するわけだが、そうすると今度は「なぜ、膠着するのか?」→「なぜ約束通り殺せないのか?」ということを考えざるえない。
恋愛感情を認められないとすると、残った選択肢が「何ひとつ選ばないことがイリーナにとって最悪のことだからだ」→「なぜイリーナにとって最悪のことをするのかといえば、イリーナには何の価値もないからだ」→「何の価値もないとはいえ、そういう相手に『最悪のこと』をするのは俺が悪い人間だからだ」
ここで生じる「自分は悪い人間」という自己イメージを保てば、一応行動の辻褄が合う。
自分がしている行動と自己イメージの辻褄合わせのために、イリーナを罵っているのではないかというのが一番しっくりくる。さらに自分の中で極限まで高まっている罪悪感を、「悪い人間」という自己イメージの中に収めることによって、かろうじてイリーナを守っていられる(逃げ出さずにいられる)のではと思う。
ここまでややこしく理屈を編み込むことでようやく「遠くから守る」「イリーナを引き受けた主人公に手助けする」ことができる。
なぜイーゴンは、イリーナに対する自分の気持ちを認めないのか。
そもそも「ダークソウル」の世界に「恋愛」という概念がないのかもしれない。
ストーリーやアイテムテキストをザッと見ても、他の世界観ではよく見る「引き裂かれた恋人同士が云々」「恋人を失った女の涙が宝石になった~」のような恋愛絡みの伝承が見当たらない。
神に対する「忠誠」が出てくることが多いので、「火防女になれば忠誠の対象、ならなければ役立たず」という価値観しかイーゴンの中に存在しない、ということはありえそうだ。
ヴィルヘルムもこのあたりの境界線が怪しいので、そういう世界観で自分の気持ちの説明をつけようとしたら(あるいはつけないようにしたら)イーゴンのようなふるまいになるのでは、と思った。