*この記事は、否定的な感想を述べています。
*若干のネタバレを含んでいます。
長い。
長い。
長い。
とにかく長い。
このゲームのストーリーは、主人公・豹馬の「罪悪感ループ」にひたすら付き合うというものだ。
考えた→でも罪悪感→でもクロもこういってくれているし→罪悪感→でも頑張らねば→クロが死んで罪悪感→でもループして頑張る→クロの死に何も感じなくなっている→罪悪感→でも→罪悪感→でも→罪悪感、
この繰り返しだ。こちらの忍耐がどこまで保つか試しているのか、と思うほどだ。
「そのパターンも知っている」(©「SLAM DUNK」沢北)展開で「罪悪感ループを繰り返す」ストーリーなので、読んでいて退屈に感じる時間が長い。
この話は「長い」(こちらがかけたコストに比して、得られる面白さが少ない)以上に、ストーリーで「主人公とクロの関係の問題点」(引いては、主人公の人生における課題)としてあげられていることを、トゥルーエンドを迎えても解決していないことが引っかかる。
「繰り返しの話」はいくらでもあるのに、なぜこの話は「繰り返しによる徒労感」が大きいのか。
一番大きな理由は「人間関係のパターン」(*人間関係そのものではなく)が少なすぎることだと思う。
クロは分裂して多少性格に差があるとはいえ、基本的には「主人公にすごく甘く優しい同一人物」だ。これはストーリー内でも主人公が再三再四「多少違いはあれど、やっぱりクロはクロだ」と言っている。
主人公に対する「他者(主要登場人物)」の反応や関係の展開のパターンが一種類しかない。これはクロ側(ナツのストーリー)から、豹馬の人生における重大な問題点としてストーリー内で指摘される。
①豹馬は他人(社会)と関わらなければならない。
②人との関係において「執着と依存」と「恋愛(自立したもの同士の人間関係)の違い」とは何か。→クロと豹馬は「恋愛(自立した者同士の人間関係)」を目指す
重要な点なので繰り返すが、これはプレイヤーがクロと豹馬の人間関係の問題として見るのではない。ストーリー内で豹馬とクロが自分たちの関係の問題として自分たちで設定したものだ。
だから二人がこの問題を乗り越えて迎えるものが、「トゥルー」エンドであるはずだ。
ところがこの話は「トゥルーエンド」を迎えたあとも、①と②の課題をクリアしていない。
①豹馬は他人(社会)と関わらなければならない。
ここでいう「他人」とは何か?
「他人」とは自分とは(もしくは自分と密着して生きているクロ)まったく別の価値観を持つ存在だ。
「他人」は自分の苦痛はわからないし、重大だと思うことは違うし、何に着目するか、何を気にするか、同じものを見てもどう解釈するか、全てが違う。
「他人」は「他人」のよくわからない罪悪感などどうでもいいし、それを長々と聞かされたら退屈だ。
私はテレサに彼女のした話を伝えたが、テレサはあまり関心を示さなかった。
「あまり聞きたくなさそうですね?」と私は咎めるように言った。
「大してね」とテレサは答えた。
「不幸せな奥さんの打ち明け話って似たりよったりでしょう? 退屈だわ」
(引用元:「暗い抱擁」 アガサ・クリスティー/中村妙子訳 早川書房 太字は引用者)
「自分にとってとても重要なことを、くだらないことのように扱われる、逆も然り」
価値観や物の見方に差があるのが「他人であり」、そういう他人とどの程度関わるかもしくは関わらないかの選択を自分自身でする、選択し続けることが「他人と関わる」ということだと思う。
ここで言う「他人」は、対立する、もしくはまったく別の価値観(言動にあらず)の描写だ。
「親とは喧嘩もしたがうまく関われた」「学校に頑張って通った。友達とも仲良くなれた」という文章で「他人と関わった」と言っているのだとしたら「カオスヘッド」よりひどい。
「他人」の「恩恵」と「脅威」は、同じものの別の側面だ。この二つを合わせて「他人」なのだ。
「他人の恩恵」しか受け取らず、「他人と関わりました」と文章だけで語られるだけでは、ナツが問題視していた「他の価値観がない狭い世界で生きることになってしまう」弊害をストーリーが内包したままだ。
「ここで描かれている他人は本当に『他人』ですか?」と突っ込むのは、「他人と関わらなくてはいけない」という問題をストーリー内で設定しているから(しかもそこをクリアしたことになってトゥルーエンドを迎えるから)で、「自分にとって都合のいい部分しか持たない他人(クロ)と自分との関わりしか存在意義を持たない他人(モブ)しかいないと閉じた世界」を創作で描くこと自体は気にならない。
そういう作品はいくらでもあるし、面白い作品もたくさんある。
主人公礼賛要員、受け入れ要員しか出てこないと、話が不自然で面白くなくなるリスクはある。「主人公教」には「主人公教」なりの難しさがある。
他の人が書いたレビューもいくつか読んだが、自分が読んだ範囲では賛否関わらず「クロが好きになるかどうかで、ゲームの評価が決まる」という感想をかなり見た。
クロ(ナツ)が問題としていた、「豹馬とクロの閉じた関係を、豹馬は脱しなければならない」という課題をストーリーとして超えられたかどうかはここに答えが出ている、というのが自分の感想だ。
①豹馬は他人(社会)と関わらなければならない。
がストーリーとして乗り越えられていないのだから、「自立した(社会に個人として関わっている)人間同士」が形成する
②人との関係において「執着と依存」と「恋愛(自立したもの同士の人間関係)の違い」とは何か。→クロと豹馬は「恋愛(自立した者同士の人間関係)」を目指す
もクリアできない。
しかしこの話では何故か①をクリアしたことになって、②に進み、クロ視点で新たな関係が構築される。
ナツが自分と豹馬の関係において指摘し、豹馬が幽霊に対する反論として「クロと豹馬が関わることがなくともお互いに幸せになれる」ことは証明されず、「執着と依存の関係」がクロ視点で同じように繰り返される。
「クロと豹馬がお互い関わらないで幸せになることで、お互いに対する感情が執着でも依存でもないことを証明しよう」としていたのに、結局豹馬が「お母さん」としてクロに干渉している。
その何が問題かは、クリスティーが傑作「春にして君を離れ」で語っている。
クロ側から見た問題点は、「ザリガニの鳴くところ」の主人公と重なる。主人公カイアとクロの境遇がよく似ているため、問題がわかりやすい。
「最悪なる災厄人間に捧ぐ」が十何時間かけて抜けられなかった「執着・依存とお互いが自立した人間関係(恋愛や友情)の違いは何か」という問題は、「宇宙よりも遠い場所」の第5話でまとめられている。
これも「恋愛と執着や依存」の違いは何なのか、ということをストーリー内で問題視しているから言っている。
自分で設定した問題が「解決したあとの行動」に含まれてしまっているのに、あたかも解決したかのように話が進むことが気になってしまう。
ストーリー内だけを見れば「クロは透明人間なのだから、豹馬が助けなければ死んでしまう」と思うしかない。
この設定自体に「一人の女の子に愛し愛される閉じた世界で過ごしたい。自分に依存するしかない女の子に依存されたい」という願望が含まれている(というより、ストレートにそのままに見える)
創作なのだからどんな欲望を描こうが、どんな設定用いようが、どんな絵空事だろうが描くこと自体は気にならない。
「クロと豹馬の関係」は「閉じた世界の中で形成された依存と執着の関係」に設定されているのだから、リーダーの豹馬への執着は当然だ。
初めからそうならざるえない設定にしておいて、興味もないしやりたくもない「社会に関わらなくては」という課題を言い訳的に組み込むから、こんなおかしなことになるのだと思う。
また他の部分では、いじめそのものではなく「いじめ被害者」の描写が気になった。
「いじめの被害に遭ったこと」を豹馬の罪悪感の材料にしたこと(いじめを見過ごした友人に対して被害者である豹馬が謝罪する)、「いじめに反撃するか否か」が幽霊になるか普通に生活できるかの分岐点になっているため、「いじめに反撃しなかったから幽霊になった(いじめられて反撃しないから最悪の状況になった)」と読み取れてしまうなど、いじめ描写そのものよりもいじめ被害者のストーリー上の扱い方に対して疑問が多い。
「気持ち悪い」を巡る言動が現実では禁じられているのは(差別やいじめなど)、誰しもそういう意識に陥りやすいし、簡単に過激化するからだ。「禁忌だからこれを描くだけで、特別な話になる」のではなく、「ありがちな話で簡単に過激なほうにいってしまことがわかっているから、現実では禁忌になっている」のに、前者の意識で作られている話(たまに見る)を見るとモヤモヤしてしまう。
(「気持ち悪い」を巡る話は、理解を(一方的に)求めないものがいい。 - うさるの厨二病な読書日記 )
エンターテイメントとしては「長い」という感想で、テーマや描写部分では疑問を感じることが多く、終始「物語の外側」からストーリーを眺めていた。
「そういうもんだライン」に収まりきらなくなると、この「外枠」が唐突に出てくる。(略)
「外枠」は物語と現実を分けるラインで、「読み手としての現実の自分」と「物語という回路を通っている自分」を分けるものだ。
「外枠」を認識した時点で、物語回路に読み手はすでに存在しない。その読み手に対して、その物語は機能していない。
(「金田一少年の事件簿File2 異人館村殺人事件」を読んで、自分の「そういうもんだライン」について考える。 - うさるの厨二病な読書日記)
「自分にとって物語として機能しない」だけならば「not for me」で終わりでいいのだけれど、この話は疑問もかなり感じた。
「狭い閉じたゆりかご世界からの脱出」
というテーマは好きだし、そのテーマのための設定は面白いなと感じたからこそ、脱出しきれなかったこと、それ以上に脱出しきれていないのにしたことになってしまったことが残念だった。