すごくいいな、と思っているけれど、先が不安な部分もある。
自分がこの話でいいと思うほぼ全ての要素は、「フリーレンとヒンメルの関係性」にある。
アイゼンが言っているこの言葉がすべての話だ。
(引用元:「葬送のフリーレン」1巻 山田鐘人/アベツカサ 小学館)
(引用元:「葬送のフリーレン」1巻 山田鐘人/アベツカサ 小学館)
「葬送のフリーレン」は、「たった10年一緒に旅をしただけで何も知らない仲間」がどういう人間で何を考えていたのか、そして自分はそんな彼をどう思っていたのかを知り、伝えにいく話だ。
「葬送のフリーレン」の上手い点は、「ヒンメルたちと冒険していたときの記憶」を断片的にしか出さないことで、フリーレンの心象をうまく表現しているところだ。フリーレンにとってはヒンメルたちと冒険してきたときの思い出は、「そんなこともあった」くらいのぼんやりしたものだ、という感覚を読者も共有できる。
記憶を直接描写するのではなく、フェルンとシュタルクの旅を通して「ヒンメルたちとの冒険がどうだったか」を浮かびあがらせている。
「もしかしたら私にはあまり興味がないのかもしれません」
というフェルンの寂しさは、かつてヒンメルやハイター、アイゼンが抱いたものだったと想像がつく。
そういう仲間の寂しさに対するフリーレンの反応は、かつては「私は皆のことは何もわからない」だったが、フェルンに対しては「フェルン、ごめん。私はフェルンのことは何もわからない。だからどんなものが好きなのかわからなくて……」に変化している。
アイゼンが言う通り、ヒンメルたちと過ごした「その百分の一がお前を変えたんだ」
この変化自体も美しいし、そういう風にフリーレンを変えたヒンメルにはその変化は伝わらないという設定が輪をかけて切なく美しい。
この設定が切なく感じるのは、「フリーレンの変化や後悔や、ヒンメルたちを知りたいと思う気持ち」が直接的に描かれるのではなく、フェルンやシュタルクとの冒険を通して間接的に浮かび上がってくるからだ。
フェルンに対する「ごめん」という言葉ほど、ヒンメルたちがフリーレンに残したものの大きさや尊さを知ることができる描写はないだろう。
難しいのはフェルンやシュタルクとフリーレンの関係や冒険が、ただヒンメルたちが経験した「くだらなくて楽しい旅」を表現するだけのものだと面白くないところだ。
フェルンとシュタルクは、ハイターとアイゼンからフリーレンに「残されたもの」だが、彼らはハイターやアイゼンとは別の人間だ。
フェルンとシュタルクとの冒険は、ヒンメルたちとの「くだらなくて楽しい旅」を想起させるものであると同時に、まったく別の同じくらい楽しいものでなくてはならない。
すごく高いハードルなんだけれど、話の作りでいくとこれは外せない条件ではないかと思う。
自分の感覚で言っても、2巻までのPVの作りから見ても、今のところこの部分はかなり厳しい。
「現代パート」が悪いわけではなく、ヒンメルがフリーレンに残した理解と思い、そしてその思いに対して「なぜ何も知らず、知ろうとも思わなかったのか」と感じ流すフリーレンの涙が余りに尊すぎるので相対的にバランスが悪く感じてしまうのだ。
大丈夫かな、と読んでいて勝手に不安になってしまう。
フェルンとシュタルクとの「現代の冒険」はまだ始まったばかりなので、「最初から感動のクライマックス」というハードルをどう乗り越えるのか、という部分も期待しながら読みたい。
続き。
と、思っていたけれど。