「鬼滅の刃」の鬼サイドで一番好きなのは、圧倒的に黒死牟こと継国巌勝だ。
この人のどこが好きかを書こうとすると、なぜか悪口みたいになってしまうのだが、とりあえず自分が巌勝のどこが好きかを語りたい。
自分から見た巌勝は、ひと言で言うと「思い込みが激しい信仰者」だ。
巌勝が信仰しているのは、現実の縁壱ではなく「俺の中の縁壱=剣の道」だ。この信仰のしかたがすさまじい。
回想シーンを見ると、最期の「縁壱の顔以外は覚えていない」に見られる通り、他のことに一切興味がない。
例えば母親の病気に自分が気づかなかったことについても、「母に申し訳なかった」という気持ちはほぼ描かれておらず、「母の病気に気づいた縁壱への嫉妬」のみ描かれている。また母親の死についてもその死が悲しい寂しいということは読んだ限りだと一切描かれておらず、「寺に行かされる=剣の道が断たれる」ということばかりに意識がフォーカスされている。
ここまで「他のことに一切興味がない」のはすごい。
これだけ書くと「妻子を捨てた」ことも相まって、「自分のことしか頭がない冷たい人間」のように思えるが、巌勝は「自分のことも頭にない」のだ。
「俺の中のすごい縁壱」像への信仰にひたすら追い立てられいっぱいいっぱいになっているので、他人はおろか自分を見る余裕もない。
巌勝が物事を判断する基準はたったひとつしかない。「俺の中の縁壱像=俺の中の剣の道にとってそれがどういう意味を持つか」だ。
この基準を他人にも自分自身に厳格に適用しているところが、巌勝の困ったところだ。
22巻までの感想でも少し触れたが、巌勝は人(特に縁壱)の話を聞かない。(というより聞けない)
母親の死でさえ「弟への嫉妬」や「寺に行かされる不安」という「剣の道基準」でしか測れないのだから仕方ないとは思うが、「私はただ、縁壱、お前になりたかったのだ」という割には、本当の縁壱にはびっくりするくらい興味がない。
縁壱は「忌み子」として生まれたため、継国家に災いをもたらさないように耳が聞こえないふりをしてまで七歳になるまで言葉を話さず、息をひそめて生きていた。
その縁壱が最初に話した言葉が「兄上の夢は、この国で一番強い侍になることですか?」である。
巌勝が好きだから、「巌勝が好きな」剣に興味を持ったのだ。
今まで周りに遠慮して息をひそめていた縁壱が自己主張をするのは、「巌勝を知りたい」「巌勝と仲良くなりたい」という点に関してだけだ。
七つまで口を閉ざし、自分の存在を消そうとしていた縁壱がした初めての自己主張「剣の話をするよりも、俺は兄上と双六や凧揚げがしたいです」を、巌勝は「私は剣の道を極めたかった」とまったく受け止めない。
さらに「縁壱にとって、剣の道は童遊び以下である」に至っては、「わざと言っているのか」と言いたくなる。
重要なのは「俺は兄上と」の部分だろう。
縁壱の気持ちがわからないのは仕方ないにせよ、自分の気持ちである「私はただ、縁壱、お前になりたかったのだ」に当てはめても、縁壱がやりたいと言っている凧揚げや双六をとりあえずやってみればいいのでは、と思うがそういう発想はない。
とにかく万事が万事この調子なので、巌勝の回想は突っ込みが追い付かないくらい突っ込みどころだらけだ。
「わざとやっているのか」(二回目)と言いたくなるが、本人は大真面目なのだ。
「お前の周囲にいる人間は皆、お前に焦がれて手を伸ばし」というけれど、そういう人間は作中で巌勝以外は誰も出てこない。
少なくとも炭吉やうたは「普通の人」として縁壱と接していた。鬼殺隊の剣士も縁壱をすごい剣士とは思っていただろうけれど、巌勝が鬼になった責任を負わせて追い出したり詰め腹を切らせようとしたところを見ても「焦がれて手を伸ばし」ているほどとは思えない。
「皆」とは誰の事を想定しているのだろう? と不思議に思える。
巌勝の言動で一番引っかかったのは、「私は一体、何のために生まれてきたのだ。教えてくれ、縁壱」だ。
嫌いだ、憎んでいた、消えて欲しいという割には、それを縁壱に聞くのか、と言いたくなる。
なぜ巌勝が作った笛を八十年近く(!)持っていた弟に、これを聞いてしまうかな…。
剣の道への渇望を表した手の届かない神のような存在だから、とわかっているけれど、本人は自分で言っていて少しおかしいな?とは思わないのか。
この質問を縁壱にしてしまう、というところを見ても、現実の縁壱には一切興味がなかった(というより興味を持つ余裕がない)ことがうかがえる。
ちなみに巌勝のこの問いに対する「そういうことを、自分のことを大切に思っている相手に聞くのはやめろ」という指摘は、自分が気付いただけでも作内で三回描かれている。
巌勝の問いの直接的な答えとして描かれているのだろう無一郎の答え「僕は幸せになる為に生まれてきたんだ」の後に言われる「他の誰かになら何て言われもいい。でも兄さんだけはそんなふうに言わないでよ」もそうだし、そのあとの実弥が玄弥に対して言う「迷惑なんかひとつもかけてねぇ!」もそうだ。後々伊黒も「自分は役に立たなかった」という蜜璃に対して「頼むから、そんな風に言わないでくれ」と言っている。
「自分にとって縁壱がどういう存在か」で頭がいっぱいで、「縁壱にとって自分がどういう存在か」が頭からすっぽり抜け落ちている、というより最初から最期まで頭の中にその発想がない。
だからこういうことを聞けてしまう。
作内では「縁壱が巌勝のことをどう見ていたのか」ということが(恐らくは意図的に)直接的には描かれていない。言動だけを追っていけば「とにかく兄上が好き」なのはわかる。
自分がこの二人の関係が面白なと思うのは、
巌勝「ひとつのことに頭がいっぱいで、他のことが何ひとつ情報として認識できない人」
縁壱「すごく好きな相手にうまくそれを伝えられない人」
のディスコミュニケーションのどうしようもなさが伝わってくるからだ。
同じ問題を抱えていて、実弥だけではなく伊黒やしのぶからも注意を受ける冨岡とは違い、縁壱はかなり頑張って自分の気持ちを巌勝に伝えようとしている。だから巌勝と縁壱の関係では、「巌勝が自分の勝手な理想を縁壱に投影して、勝手にいっぱいいっぱいになって空回っているだけ」に見えてしまう。
巌勝は縁壱よりも誰よりも、剣の道を極めることに真剣だったからこそ、いっぱいいっぱいになってしまった。
自分が巌勝というキャラで一番好きなところは、「剣の道基準」を誰よりも自分に厳しく当てはめているところだ。
例えば、縁壱の強さに気付くと、食い下がってその理由を聞いている。何年も前から始めている自分よりも縁壱のほうが優れていることを即座に認めて、教えを乞う、というのはなかなかできることではないと思う。また縁壱との最期の戦いでも、結局は自分が生き残ったから「自分の勝ち」とは考えない。この点は、例えば無惨とはだいぶ考え方が違う。
巌勝の「剣の道への信仰心」と「極める」ということに関する真摯さは、どこまでも強固で本物だ。
巌勝のこういうところは好きだし、そういう自分の良さがまったく良さとは感じないくらい、ひたすら信仰に向かって一直線なところも好きだ。ここまで「剣の道」以外の何も見えていないところを見ると、鬼になって六つ目になったのは「六つくらい目がないと、他のことは何も見えない」という皮肉かなと思うくらいだ。
側にいたら「剣の道」に強迫観念のように打ち込み、他のことは何ひとつ目に入らない、滅茶苦茶迷惑な人だろうと思うが、この迷惑さこそが巌勝が一番人を惹きつけるところだと思う。
縁壱がひと言「ふざけんな、いい加減にしろ」と言えば(巌勝と同じ土俵に降りれば)ここまで関係がこじれなかったと思うが、縁壱も巌勝のこういうところが、自分と余りに違いすぎて好きだったんじゃないかなあと思っている。
巌勝が知りたかった「自分と縁壱の最大の違い」は、才能でも人格でもなく、「巌勝にどれだけ興味を持っていて、巌勝の良さをどれだけ知っていて、巌勝をどれだけ好きだったか」だったのではと思うのだ。
少し補足。