「ダークソウルⅢ」の「深淵の監視者」がすごく好きで、たまに動画を見に行く。
二段階めのときの攻撃の炎が、ワンテンポ遅れてついてくるところが特に好きなのだが、同じことを言っている人がいて嬉しかった。
「深淵の監視者」のBGMについているラテン語の歌詞を訳している動画があった。「こんなことを考えていたのか」と驚いた。
てっきり既に深淵に飲まれ、意識がなくなっていると思っていた。もしかしたら残留思念のようなものなのかもしれない。
とりあえず特にテキストなどを調べずに、思ったことをざざーと書いていく。
「深淵の監視者」(たち)は、誰かが犠牲になれば、光の時代が続き、闇が抑え込める、という神の言葉を信じ誓約を交わした。
神は彼らの神聖な誓いである、狼血の誓約を利用した。
監視者たちは、英雄になるため、愛する者のため、世界のため、自分は特別な人間だと信じたいため、ただ居場所が欲しいため、様々な理由で不死となった。
理由は違えど、自分の犠牲によって世界は少しでも良くなると信じていた。
しかし結局、闇と光は元々は同じものであり、神の言葉は欺瞞に過ぎなかった。
監視者たちは神の欺瞞に気づき、自分たちが信じた狼血の誓いが貶められていくことに気づきながらも、自分たちがかつて信じた誓約を裏切れず、嘘だと知った今も信じ続けている。
彼らはみな、「不死であることには何か意味がある」「自分たちの犠牲には何か意味がある」と信じていた。しかし再び目覚め、自分たちが犠牲となったあとの世界を見、玉座で真実を知り、それらがすべて何も意味がないことに気づいた。
主人公である灰には、そのような思いはさせたくない。神の偽りの犠牲になって欲しくないから、立ち去って欲しい。
しかしそう言っても立ち去らないことはわかっている。何故なら、かつての自分たちがそうだったから。
主人公が立ち向かってくる限り、自分たちは「意味がない」としても、かつて交わした誓約によって立ちふさがる。
だいたいこんな内容だった。(正確な内容は自分でご確認してください)
読んでいるだけで切ない。
特に「自分が不死になったことに何か意味があるばずだ」と信じていたのに、「何の意味もないことを悟った(悟らされた)」というのがキツい。
ホークウッドの「あいつらはたぶん、死に場所を探していただろうから」というセリフの切なさが身に染みる。
こういう設定にはとことん弱い。
今まで「理屈抜きでカッコよく好き」と思っていた監視者たちが、背景も含めてますます好きになった。
ダークソウルⅢの世界観は無慈悲(残酷というほど意思を感じず、もう少し無関心寄り)だなと改めて思った。(そこがいい)
考察記事も書いています。