うさるの厨二病な読書日記

厨二の着ぐるみが、本や漫画、ゲーム、ドラマなどについて好き勝手に語るブログ。

ホロコーストを引き起こした史上最悪の偽書「シオン賢者の議定書」はなぜ生まれたのか。ウンベルト・エーコ「プラハの墓地」

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「ホロコーストを引き起こした至上最悪の偽書」と呼ばれる「シオン賢者の議定書」が生まれる過程と、それが広まった憎悪のメカニズムを描いたウンベルト・エーコの「プラハの墓地」を読んだ。

プラハの墓地 (海外文学セレクション)

プラハの墓地 (海外文学セレクション)

 

 

主人公のシモーネ・シモニーニは祖父から、ユダヤ人に対する憎悪を受け継いで育つ。

シモニーニの祖父は、歴史的な陰謀の影にはユダヤ人の組織が絡んでいると信じていた。

公証人として就職し文書制作の技術を学んだシモニーニは、言われるがままに陰謀論を流布するための公文書を作り、時に自ら進んで陰謀や歴史をでっちあげ、権力者に提供する。

シモニーニは過去に読んだ創作のつぎはぎで、ついにユダヤ人たちが世界を支配するために組織的にあらゆる分野に入り込む計画を立てているとする「シオン賢者の議定書」を作成する。

 

字面だけを読むと「そんなアホな」と思えるような話なのだが、小説を読むとまったく笑えない。

日本に住んでいると理解しにくい、主人公たちの内部に潜在的に潜む、ユダヤ人への猜疑心や脅威が読み手に伝わってくる。

経済や学問や政治に強い影響力を持ちながら、自分たちの国を持たず、国境をまたいで結束している、そして自分たちと対立的な宗教を信じている大規模な集団がいるということに対して、その土地に住んでいた人がどれだけ恐れていたかということが分かる。

シモニーニの祖父が持つ憎悪は明らかに理不尽なものだが、その根源にある自分たちとは異なる価値観を持つ集団に対する恐れは、この問題に詳しくなく、実感を持てない自分にも分かるように描かれている。

その「恐れ」は対象が異なれば、今の時代の自分たちの内部にも育つかもしれない(もしくは既に育っているかもしれない)ものだ。

 

シモニーニは自分が得た文書偽造の技術を駆使して、思いつくままに偽書を作成する。

シモニーニは偽書を作成するにあたって、いくつか哲学を持っておりこれが興味深かった。

とりわけ、この言葉にはうなった。

私は、陰謀の暴露話を売りつけるためには、まったく独自のものを渡すのではなく、すでに相手が知っていることを、そしてとりわけ別の経路でより簡単に知っていそうなことだけを渡すべきだと考えるようになった。

人はすでに知っていることだけを信じる。これこそが「陰謀の普遍的形式」の素晴らしい点なのだ。

 (引用元:「プラハの墓地」 ウンベルト・エーコ/橋本勝雄訳 東京創元社 P99/太字は引用者)

 

これを読んだとき、シモニーニ……というよりは、エーコはすごいと思った。

人が騙されるのは「そうだったのか、知らなかった」と思うことではなく、「やっぱりそうだったのか、思っていた通りだった」と思うことだ。

「その話に信ぴょう性があるか」が問われるのではない。

「その人の心の中に、その話に対する信ぴょう性があるか」が重要なのだ、そしてもしその人の中にそれを信じたい気持ちがあれば、小説のつぎはぎのような荒唐無稽な陰謀論さえ人は信じる。

シモニーニはそういう哲学を以て、子供のころ祖父から聞かされた出自が怪しい陰謀論、子供のときに読んだ小説、発行部数が少ない小説などから筋を適当に抜き出して、組織だけを入れ替えて偽書を作りまくる。

 

シモニーニの作る偽書を利用する権力者たちにとっては、事実かどうかは重要ではない。

そういう情報がある、ということが重要なのだ、ということを知っているから、シモニーニは文書を作り続ける。

私の直感はその後の経験で裏付けられることになる。

つまり秘密情報部の人間にとって、すぐに使えなくても、政府の要人を脅迫したり混乱を生じさせ状況を逆転させたりする文書はいつでも便利なものだ。(略)

スパイが未公表の情報を売るには、どんな古本市でも見つかるような話を物語ればいいという私の考えは、やはりここでも間違っていなかったようだ。(略)

「きっと、すべて君のでっち上げでしょうな。(略)君が捏造した文書だとしても、私にしても上司にしても、本物として政府に提出するほうがよい」

 (引用元:「プラハの墓地」 ウンベルト・エーコ/橋本勝雄訳 東京創元社 P126-127)

 

シモニーニが他人の小説を盗作して書いた文章を元にしてさらに偽書を作った人物が、自分のほうこそオリジナルであると主張するという無茶苦茶な状況まで出てくる。

元々は「無名の小説の盗作」という同じ情報が、二つの別々の場所から出てきたことでお互いの信ぴょう性を補完し合い歴史すら動かしてしまう。

 

一体、シモニーニがなぜこのような偽書を作り続けるのか。その理由は、物語の終盤まで明かされない。

シモニーニが作るのは、ユダヤ人に関する文書だけではない。

あるときは権力者の求めに応じて、あるときは単に思いついたからという理由で偽書を書き続ける。

 

物語の最後で、自分が培ってきた偽文書作りの総決算である「シオン賢者の議定書」をロシアの諜報員であるゴロヴィンスキーに渡してしまうと、シモニーニは自分が「空っぽになった気がした」

奇妙なことだが、ユダヤ人が懐かしく感じられる。彼らがいなくて寂しい。

若いころ頃から自分のプラハの墓地を、墓石をひとつひとつ積み上げるようにして作り上げた。そして今はそれをゴロヴィンスキーに盗まれてしまったようだ。

 (引用元:「プラハの墓地」 ウンベルト・エーコ/橋本勝雄訳 東京創元社 P507/太字は引用者)

 

祖父から受け継いだ憎悪を元にして若いころから作り続けてきた、ユダヤ人のラビたちが世界を支配する計画を立てた場所とされるプラハの墓地は、シモニーニ自身の居場所だった。

彼は自分自身の居場所であるから、架空の陰謀論を延々と書き続けてきた。他人の目には荒唐無稽なもので現実では虚構であっても、シモニーニにとっては真実であり、真実以上に「彼自身」でもあるのだ。

 

先日読んだ「アフター・リベラル 怒りと憎悪の政治」では、「何かに対する憎悪や否定に自らのアイデンティティを見出してしまう」ことが現代の問題として指摘されている。

 現代のテロは、「社会攻撃や他者への憎悪」をアイデンティティを確立するための手段として用いるために宗教観や思想を利用する、という逆転の現象が起きているのではという指摘も出てくる。

 「お互いがお互いを攻撃し合う」その対立軸や差異に、お互いがアイデンティティを見出し、相手の攻撃によって自分たちの正当性をさらに確信するというサイクルができているとしたら、どうすればいいのか。

 (「アフター・リベラル 怒りと憎悪の政治」メモと感想。 - うさるの厨二病な読書日記)

 

シモニーニと同じように、「憎悪を居場所とする人々」が議定書を読んだとき、「やっぱりそうだったのか、考えていた通りだ」と思い、ホロコーストに正当性を見出してしまう。

言葉では説明しにくいメカニズムが感覚としてわかるようになっており、現代で広く読まれて欲しい本だなと思う。

情報の洪水の中で真贋に対する感覚が鈍くなっていき、虚偽の文章を特に考えず広めてしまい、そこに「自分」を見出し、信じたいものが出てきたときに容易く流される「シモニーニという機能」は自分たちのことなのだということを、エーコはよく知っていた。

 

という風に書くと、辛気臭そうな本と思われるかもしれないが、「プラハの墓地」の最も優れている点は、とにかく面白いところだ。

「現代の憎悪のメカニズムとは」というテーマを考えなくとも、面白くて夢中になって読んでしまう。

主人公のシモニーニを始め、出てくる人間はほぼ倫理観が欠落した悪党で、お互いに利用し合い、騙し合い、出し抜き合う。

シモニーニの風見鳥ぶりも見事で、人に何かを言われると簡単に仲間を裏切り、保身のためならば人を殺す。

また悪党たちもその生きざまを語るように、特に盛り上がりもなく表舞台から姿を消す。

初期のころ、シモニーニを手足のように使っていたフランスの諜報員のラグランジュは、ある日突然「彼は勇退した。今頃、どこかの川べりで釣りをしているだろう」と後任のエピュテルヌに言われ消えてしまう。ラグランジュはのちに、道端で名もなき死体として転がっているところをシモニーニが目撃する。

冷酷非情な悪党にとっても、非情な世界なのだ。

イタリア統一戦争、パリ・コミューン成立、ドレフュス事件などが絡んできて、この時代の歴史が好きな人には堪らない内容になっている。

道徳観の欠落した小悪党シモニーニが激動の歴史を生き続けるストーリーは、自分がまるでシモニーニになってその中で生きているような気持ちになり楽しい。

 

「薔薇の名前」の陰鬱な雰囲気とはまったく違う、特に葛藤や苦悩もなく歴史の裏側に存在したとされる悪の陰謀の中をカラッと駆け抜ける一級のエンターテイメント小説で、エーコの懐の深さを知った。

 

「薔薇の名前」も好き。

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