こんな状況だからかもしれないが、久しぶりに「グレートジャーニー」全5巻が読みたくなり、のんびりと読んだ。
映像では見たことがなく、昔読んで以来の再読だ。
「グレートジャーニー」は人類の発祥の地であるアフリカから、南米の最南端パタゴニアまで人間の生息地が広がっていった道筋を、人力のみで逆走するという企画だ。
その道筋の様々な光景に楽しむものかと思っていた。
読んでみると現地に住む人、主に先住民族との交流に力点が置かれている。「その地の人と触れ合うことを目的」とした旅なのだ。
著者の思い入れが深いせいか、最初の「南米大陸編」がかなり長い。色々なところに寄り道している。
スタートは南米大陸の最南端・別名「嵐の大地」と呼ばれるパタゴニアから始まる。
氷床の迷路のようになっている暴風と極寒の大地で、こんなところをカヌーと徒歩で行こうという発想が控え目に言ってすごい。
読んでいるだけで胃が痛くなるような恐怖を感じるところは、北極圏と同じだ。
村全体で巨大な縄の橋を作ったり、毎年死者が出る投石闘争などの伝統が残っていて著者もその活動に参加したりする。
ペルーのクスコで行われている「星と雪の巡礼祭コイユリティ」は布教されたキリスト教の祭りだが、そこに元々あった宗教が混じっている。押し付けられた宗教が元々あった文化を塗り替えてしまったように見えて、その底に消えずに残っている。
その地に生きる人や文化の逞しさが伝わってきて、いいなと思う。
アラスカでは鯨漁を営む人がメディアの取材に協力したら、後日、捕鯨に批判的な番組だった経験があったことから撮影に過敏になっていることや、ロシアは経済的な理由から社会主義時代を懐かしむ人が多いなど、その地に生きる人の、「生きているうえでのリアルな感覚」が伝わってきた。
チベットでは熱心な仏教徒で五体投地で巡礼に向かう男性と、その男性に付き添う家族の話や、世界でも珍しい一妻二夫制がとられている地域があるなどの話が印象深かった。
男性は長期間行商で家を空けなければならないため、行商を行く夫とその間家を守る夫で役割分担するらしい。二人の夫は兄弟であることが多いのは、財産を分散させないためと聞くと「ああ、なるほど、こういう事情からこういう制度が生まれるのか」とわかりやすい。
子供はどちらの子かは関係なく、両方とも父親になるなど、こちらの価値観だけだと湧いてくる疑問もきちんと考えられている。
モンゴルで出会った遊牧民の家族は、自分たちの伝統がなくなることを憂いつつも、子供には同じ苦労をさせたくないから都市に行って就職して欲しいと思っている。
この家族とのエピソードの結末は、そんなことがあるのかと思い読んでいて辛かった。事実は小説よりも奇なり、というがそんな部分で奇でなくともいいのに。
アフリカでは「蓄えない部族」マジャンギャルの話が印象深かった。
蓄えないから貧富の差も生まれず、共助のルールで生きている。助けなければ助けられないから、自分が苦しいときでもなんとか隣人を助けようとする。
作物が育ちにくい貧しい土地を選んだからこそ、外からの脅威にさらされない。
もちろんこれは、例えばガブリエルさんなど村人たちが意識的に選び取った道ではないだろう。
個人の思いとは関係なく、とてつもなく長い時間をかけて自然に出来上がった社会の仕組みに違いない。
(引用元:「グレートジャーニー 人類五万キロの旅5 聖なるチベットから人類発祥の地アフリカへ」 関野吉晴 角川文庫 P265‐P266)
「アフターリベラル」でも書かれていた通り、「個人の自由」と「平等」は基本的には相反する。個人が自由に能力を発現しようとすれば、能力(もしくは環境)の差による不平等は必ず生まれる。
自分はたぶん、長いこと「個人の思いとは関係なく、とてつもなく長い時間をかけて自然に出来上がった社会の仕組み」に潜在的に怒りを感じてきた人間なのだけれど、それはそれで今いる自分の社会や環境の価値観(個を重視する)を結局のところ基準にしている、自分も「個人の思いとは関係なく生まれた社会の仕組みや価値観」に支配されているんだなあと、特に自分の生きてきた社会とはかけ離れた文化を見ると思う。
マジャンギャルの人の伝統にある、「自分の家族が傷つけられたら、必ず復讐しなければならない。そのためには本人ではなく、その対象の兄弟でもいい」という風習は、確かアルバニアにも残っていて、その風習の圧力による苦しみを主題にした本を昔読んだことがある。
その地に生きる人は自分たちが受け継いだ風習文化に苦しむ部分もあるし、それを生きる智恵としている部分もある。その是非はその地で生きている人にしか、実際のところはわからない。
自分はこの発想がなく「多様性」という言葉を使うのは、余り好きではない。自分の価値観や常識ではとても思いつかない生き方、それがなぜそうなっているのかを知ったときに初めて真価が現れる言葉だと思う。
自分がいる場所だけで生きていると想像もつかない現実を教えてくれる本は、面白いしありがたい。
どこにも行けない今は、こういう本をじっくり読む時間にしようと思う。
アラスカに行きたい。