うさるの厨二病な読書日記

厨二の着ぐるみが、本や漫画、ゲーム、ドラマなどについて好き勝手に語るブログ。

冴木忍「星の大地」のどこが好きだったのか語りたい。

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先日、久しぶりに冴木忍「星の大地」のことを思い出して、急に語りたくなったので語りたい。

今でも「一番思い出深いライトノベルは何か」と聞かれると真っ先に思いつく。他の小説は処分したあとでも、これだけは長く持っていた。結局、処分したけれど。

いま思うと取っておけば良かった。

 

未読のかたのための簡単なあらすじ。

長く大陸を二分して争ってきた、大国ユハリシュとレーンドラ。

レーンドラの王女サウラの侍女であるアゼルは、サウラの突然の訃報を聞かされる。

しかし王宮に参内すると、サウラは怪我ひとつなく元気だった。ただ一点、優しく大人しやかだったサウラは、人が変わったように勝気で乱暴になっていた。

サウラの夢に頻繁に出てくる、世界の破滅を説く「預言者」が、サウラの「死因」と何か関係がありそうだ。

サウラとアゼルはサウラのその時の記憶を取り戻すべく旅に出る。

 

未読のかたはぜひ、と言いたいところだが紙の本は絶版で電書も出ていない。

*以下ネタバレ感想。

 飯田晴子さんの絵も好きだった。

 

自分がこの話で一番好きだったのは、運命に対する人の無力さだ。

最後はアゼルを除いて全滅エンドだが、「人を殺して感動させ盛り上げる」という感じではない。主要キャラがものすごい勢いでバタバタ死んでいく。

シャザルが俗に言う「ナレ死」なのは、さすがに驚いた。

「打ち切り(書くの飽きた)エンドか?」と疑うような殺しぶりだ。

主要キャラがこういう風に特に盛り上がりも意味もなく死んでいくのが、当時の自分にとっては新鮮だった。

世界の崩壊を防ごうとした、それが無理ならせめて一人でも多くの人を助けようとしていた。

主人公たちも主人公たちに対立するザヴィアやイドリスも、みんなやり方は違えど同じことを考えていた。必死にそれぞれのやり方で奮闘していたのだけれど、誰一人助けられない。

物語当初に預言された通り、世界は滅亡し、一生懸命頑張ったキャラたちが特に意味もなく次々と死んでいく。そういう話なのだ。

「星の大地」の主要キャラはストーリー上一応フォーカスされているだけで、運命の前には無力で何もなしえないモブキャラとほとんど変わりない。

無力であるなりに精一杯頑張るが、シャザルの「ナレ死」を始めとして「ちょっとその死に方はないのでは」とは、と思う死に方をしていく。

マリクの死に方は、今思うとかなり悲惨だ。

「星の大地」で主人公たちがやったことは、結局は何の意味もないことだった。

 

自分はこの話の「無力さ」「無意味さ」がすごく好きだったし、いま思い出しても好きだ。

この話の登場人物たちは、この結末を知っていたとしたら、自分たちのやったことがぜんぶ無意味だと知っていたら、何もしなかったかというとそんなことはないと思う。

自分はそういうものであったり、そういう話であったり、そういう人が好きなんだなあと「星の大地」を思い出すたびに思う。

 

「無意味であることの意味性」みたいな話であれば「ライ麦畑でつかまえて」が思いつくけれど、「無意味であることから相対的に浮かび上がるもの」を書いた話は余り思いつかない。

三巻まで読み終わったあと一巻から読み返すと、マリクがアゼルに言う「あなたにひと目惚れしました」とギャグみたいに書かれた言葉を読むだけで泣ける。

当時は何も思わなかったけれど、いま振り返るとマリクはカッコいい男だった。

 

登場人物は全員好きだったけれど、ザヴィアとイドリス女王が特に好きだった。

ザヴィアは、大義のために悪に徹するという自分の好きなパターンのキャラだ。

ザヴィアは他の主要キャラ全員から、本気で嫌われているところが良かった。普通は「悪く見えるけれどこういうところが」というフォローが作中にありそうなものだけれど、何もなかった。(そこがいい)

「星の大地」の女性キャラは、潔いところが好きだった。

特にイドリスは感情に任せてマリクに冷たく当たったりしたけれど、過ちや欠点も含めて言い訳せずに自分で全てを背負っていた。

世界の崩壊をまったく信じていなかったわけではなかったので、内面ではすごく悩んだり迷ったりしただろうと思う。

「女王として不確かな情報で民を動かすわけにはいかない」

淡泊に書かれているけれど、イドリスの言葉を読むと施政者の孤独が伝わってくる。

その孤独や苦しみを表に出さず態度は毅然としていて、すべての責任を自分で負っているところがいい。

「自分の範疇の物事は、すべて自分で背負う覚悟を持つ潔い(特に女性)キャラ」が大好きだ。

 

最初読んだとき、最後のオチをどう思ったか、というと余り驚いた記憶がない。

「そんなものかな」とたぶん思っていた。

昔読んだもので今でも心に残っているものは、「自分にはこれはこう見えるのだけれど、それを説明できない」と思っているものに形を与えてくれたものが多い。

「ムーンライトシンドローム」や「蠅の王」がそうなんだけれど。

ライトノベルでそういう感覚を持ったのは、「星の大地」だけだと思う。

大人になったいま「星の大地」が自分にくれた言葉を繰り返すとしたら、「負けを見るためにしなければならない勝負もあり、自分にとってこの先の人生は往々にしてそういうものだろう」ということだ。

自分のその感覚は余りに悲観的すぎるのかなと思っていたけれど、「星の大地」を読むとそこまで悪いことでもないし、取り立てて不安に思うものでもないのだなと思う。

 

いま思ったけれど、言葉にするとやっぱりどこか違う。 

自分が覚えた感覚は、当時の自分が「星の大地」を読むことでしか説明できないものなんだなあと思うとき、物語があって良かったと思うのだ。