「進撃の巨人」最終巻34巻を買った。読んだ。終わった。終わってしまった。
こういう終わり方になるとは思わなかったし、最終回を読んだ直後は「こんなに綺麗に終わっていいのかな?」「現実的に考えたら、こんなに綺麗に終わるはずがない」とも思った。
でも今は「進撃の巨人」はこれでいいのかな、と思っている。
「進撃の巨人」には感じていることがたくさんあるが、そのうちのひとつが「話自体がいい奴」だ。
「進撃の巨人」の根底から伝わってくるのは、仲間思いで自分の弱さに悩んで、誰かを踏みつけなくてはいけない時も、滅茶苦茶葛藤して強い痛みを感じるような「何だかんだ言ってとってもいい奴な話」なのだ。
この辺りが最後の最後で自分とはちょっと合わなかった、と思うけれど、「進撃の巨人」は元々こういう話だった、という納得感はある。
「進撃の巨人」から一番強く感じ取っていたのは、「自分の中の加害性とそこから生じる罪悪感とどう向き合うか」というテーマだ。
「加害性や罪悪感」は感じるのがとても辛いものなので、創作であれば読者に(現実であれば他人に)投影して語られことが多い。
「進撃の巨人」はそれを読者に投げてくることはせず、終始自己葛藤しているところが好きだった。
「自分が誰かにとって『悪』である世界で、何のためにどう生きるのか」
自分は元々「『正しさ』を謳えるのは、選ばれた人間の特権である」という考えを持っているので、「進撃の巨人」の中で語られる「自分の中の『正しくなさ』をどう考えるのか」「『正しくなさ』こそが自分そのものだったら、どうすればいいのか」ということは、割と重要なテーマだった。
「『世界が残酷だ』ということは、『自分が残酷だ』ということと同じなのだ」
ということを語り、そのことにストーリーという内的世界だけで正面から取り組んでいる「進撃の巨人」に魅せられっぱなしだった。
特に20巻から26巻くらいまでは、毎巻毎巻励まされていた。
22巻でグリシャを立ち上がらせたクルーガーのセリフなんて、暗記するくらい好きだ。まあ後の巻で、エレンからグリシャへ呪縛として語られていたけれどね笑
クルーガーはこのセリフも好きだな。
(引用元:「進撃の巨人」22巻 諌山創 講談社)
「進撃の巨人」が好きだったもうひとつの点は、すさまじい情熱と爆発的なエネルギーを感じられたところだ。
特に物語初期は、「巨人」という恐怖を持ってしても抑えきれない「外の世界を見たい」という鬱屈と内圧が、壁の中に閉じ込められて爆発寸前まで高まっている様子が、これでもかというくらい伝わってきた。
そのエネルギーから発せられるから、(壁から一歩外を出れば地獄の世界なのに、どうして外の世界に行きたいのか?)「俺がこの世に生まれたからだ」というセリフが全ての論理を超えたものとして、強い説得力をもって伝わってきた。
最初のほうの巻を見ると、絵は今のほうがずっと上手いのに、エネルギー量がまるで違う。画面を食い破って外に出てきそうな強烈な情熱を感じる。
「今が駄目だ、エネルギーが少ない」という意味ではなく、最初が凄かったのだと読み返して思った。
「巨人」という理不尽な恐怖を以ても抑えられない、ただひたすら外の世界を夢見続ける、その情熱が凄く好きだったんだなあと改めて思った。
自分なりにまあまあそれなりにやっているんだから、七面倒臭いことは考えなくていい。この先もまあまあやっていくんだろうし、と思っていた自分の横っ面を張り飛ばして、目の玉を飛び出さすような話だったのだ。
正にクルーガーに説教かまされたグリシャ状態。
もう一度、あの青臭い、理を超えた感情や情熱を思い出させてくれてありがとうございます。
そういう感謝の念が堪えない作品だ。