うさるの厨二病な読書日記

厨二の着ぐるみが、本や漫画、ゲーム、ドラマなどについて好き勝手に語るブログ。

当事者たちが語る「天安門事件とは何だったのか」 「八九六四 完全版 『天安門事件』から香港デモへ」感想

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「天安門事件」に関わった人たちへのインタビューを集めた「八九六四 完全版」を読み終わった。

 

この本を読もうと思ったのは、「天安門事件は名前は知っているけれど、誰が何のために起こしてどういう経緯を辿ったのか、意外と知らないな」と思ったことがひとつ、もうひとつは中国の人が今の香港の状況をどう見ているかのか知りたかったからだ。

政治的な信条は特になく、歴史として何があったか知りたいと思う気持ちが強かった。

 

自分は本書の登場人物の一人、マー運転手が「ネットで見つけた真相」と語る

天安門事件とは、中国が本来目指すべき道・民主主義を求める運動が、悪しき政権によって武力で弾圧された由々しき大事件だったのだ。

(引用元:「八九六四 完全版 『天安門事件』から香港デモへ」 安田峰俊 ㈱KADOKAWA P168)

この感覚にかなり近かったんだけれど、(そういう側面もあるにしても)事件に近い人の目線で見るとそんなに単純に語れるものではないんだなあと、本書を読んで思った。

色々な立場の視点から見て事件全体を浮かび上がらせようという試みで、「藪の中」的な作りが好きな人なら興味深く読めると思う。

 

「天安門事件」はなぜ失敗したのか

学生側のリーダーの一人だった王丹が、「現代」1994年7月号に「天安門事件の運動が失敗した原因」(訳:伊藤正)を寄稿している。

①思想的基礎の欠如

②組織的基礎の欠如

③大衆的基礎の欠如

④運動の戦略・戦術の失敗

この見方は、本書に出てくる他の参加者たちの見方とほぼ一致している。

 

①思想的基礎の欠如

参加者の大多数が「何の目的で集まっているのか」ということを理解していなかった。

多くの参加学生たちも、魏陽樹のような「抑える側」の末端の人間も、そして大多数の野次馬的市民もデモから生まれた非日常的な状況をながらく面白がってきた。

そんな「お祭り」の果てに、これまでの社会がちょっと良くなればいいやという淡い期待が、大部分の人に共有されていたせいぜいの認識だった。

 (引用元:「八九六四 完全版 『天安門事件』から香港デモへ」 安田峰俊 ㈱KADOKAWA P76/太字は引用者)

 

この「お祭り」という単語は、他の人の話の中にも頻繁に出てくる。

5月20日に戒厳令が出されるまでは、のんびりとした雰囲気でみんな「非日常のお祭り」を楽しんでいた、くらいの感覚だった。

参加する学生たちの大多数がよく言えば純朴、悪く言えば能天気で特に深い考えはなく「同時代の日本の田舎の男子中学生よりもずっと世界が狭かった」(P82)と述懐する人もいる。

 

②組織的基礎の欠如

五月後半になると、地方からも大量に人が流入してきて徐々に統制が取れなくなってきた。このころになると、学生のリーダーも初期の王丹やウアルカイシらから、柴玲たちのグループに移っていった。 

そもそも「始まりはどの人たちが何を訴えていたのか?」ということを、参加した人も誰も分かっていないのが印象的だった。

誰の話を読んでも「これ」という全体の核が見つからず、ふわふわしたものが風にのって漂っているうちに6月4日にたどり着いてしまったように見える。

 

③大衆的基礎の欠如

中国の知識人は、一種の特権的な世襲階層です。天安門のデモは、この階層の人たちと知識人予備軍が起こした運動で、純粋な市民運動とは言えなかった。

(引用元:「八九六四 完全版 『天安門事件』から香港デモへ」 安田峰俊 ㈱KADOKAWA P108/太字は引用者) 

意地悪な見方をすれば、知的活動によってメシを食う限られた業界の人たちによる権益の拡大要求に過ぎない。

(引用元:「八九六四 完全版 『天安門事件』から香港デモへ」 安田峰俊 ㈱KADOKAWA P109) 

 

こういう見方もあるのか、と思った。

実際、学生側のリーダーだった王丹やウアルカイシ、柴玲も党幹部の家庭に生まれた、この当時の「超エリート」だった。一般的な市民にとっては「よくわからないことをワーッと言っている」感じで、その声が市民階層まで広がることはなかった。

当時の日本と比べてさえ、中国は「大学に行くことが出来る学生」と「一般的な市民」の階層的な差が大きかったのだろうな、と伝わってくる。

この本に出てくる人が、事件以後、社会的に成功した人がほとんどなのは、高度な教育を受ける機会に恵まれていて元々の出自がいい人が多いからだ。

仕方のないことなんだけれど、読めば読むほど「持たざる者」だった姜野飛の運命が不憫に思えてしまう。

 

 ④運動の戦略・戦術の失敗

王丹が述べる失敗の原因では、学生たちが撤退しなかったから弾圧を招いたと読めるけれど、党の権力者たちは学生たちのことはほとんど眼中になかったのでは、と思う。

天安門の学生デモはその途中から、政権の内部においては鄧小平以下の党長老や保守派(李鵬)と改革派(超紫陽)の権力闘争の道具に変わっていた。

軍内でも一般市民への武力鎮圧を躊躇したり、改革派に好意を持ったりする部隊や司令官が存在したとされ、彼らがクーデターを起こす可能性は充分にあると見られていた。

(引用元:「八九六四 完全版 『天安門事件』から香港デモへ」 安田峰俊 ㈱KADOKAWA P75) 

 

党内部の対立が表面化していなければ、あそこまで強硬な手段はとられなかったのではないか。クーデターの危険性を感じており、その矛先が天安門の学生たちに向かったんだろう。

酷な言い方をすれば、党内の権力闘争が激化していて学生たちの「お祭り」には、それほど興味がなかったのでは、とすら思える。学生たちの言動は見ておらず、状況を左右する要素、もしくは道具としてしか見ていなかった。

だからこそ結果として、「明確なひとつの実現可能な要求を掲げ、それを落としどころにしてパッと撤退できなかったことが失敗の原因のひとつ」というのはその通りに思える。

 

「天安門事件」は、多くの人が「非日常的なお祭り」を楽しむくらいの気持ちで、「子供が親に文句を言っているようなつもりで」(P181)参加していた。特に具体的で強烈な要求があったわけではなく、「もう少しいい世の中にならないかなあ」という漠然とした思いからの「お祭り」を無邪気な気持ちで楽しんでいた。

そういう内実を知ると、知る前よりも「ひどい」と思う。

そんなふわふわした感じの学生たちの無邪気な「お祭り」が、党の権力闘争と重なったためにあんなやり方で「鎮圧」されたならやりきれない話だ。

 

「仮に天安門のデモが成功していたらどうだったか?」という質問には多くの人が、否定的な感想を述べている。

「最近、北京で同年代の友達と、みんなでおしゃべりをする機会があった。(略)

もしも天安門が成功していたら。共産党政権がなくなっていたら中国は大丈夫だっただろうかって話になったんだ。(略)結論としては『大丈夫だった』と自信を持って言う人間は誰もいないって話になった」

(引用元:「八九六四 完全版 『天安門事件』から香港デモへ」 安田峰俊 ㈱KADOKAWA P81)

 

天安門事件以後の混乱で「国が崩壊するかもしれない」恐怖を味わい、その後「実際に崩壊したソ連がどうなったか」ということを目の当たりにして、彼らはむしろ「天安門が成功しなくて良かった」というニュアンスのことを語る。

6月4日の「鎮圧」の状況は、文字で読んでさえ「うっ」と思うほど、陰惨な雰囲気と生々しい残酷さがある。

仮に鎮圧すること自体は仕方ないにしても、そのやり方に対してはもう少し否定的に色々な人に語って欲しかった。

武器を持っていない、手のつけられない暴動を起こしているわけでもない、丸腰の学生たちが自国の軍隊にこういう「鎮圧」をされたら、自分だったら人生観が百八十度変わりそうだ。

 

 香港デモについて

自分も香港に対する中国の対応には憤りを感じているけれど、ただ香港の運動も内実がかなり入り組んでいて複雑なんだなと感じた。

雨傘運動の時は穏健派と過激派の対立が問題になったためその後は相互批判を禁じたり確たるリーダーを設けないことにしたら、過激派が尖鋭化していった。大勢の人が集まった運動、というのは難しい。

日本の学生運動の経緯に似ている。実際にデモに参加する若者に「日本の全共闘運動がどうなったか」を紹介した人もいる。

運動が過激化していくため市民たちの心が離れて行く、益々閉塞して過激化していく、そしてまた人が離れていき遠からず自壊する。

社会運動に限らず、こういう経緯を辿るものは多い。

 

王丹が挙げた「天安門事件の運動が失敗した四つの原因」は、どこかに貼っておいてもいいんじゃないかと思うくらい普遍的なものだ。

多くの人が参加しないと物事は動かせないけど、多くの人が集まると遠からずコントロールが効かなくなる。だから具体的なひとつの要求を掲げて、パッと集まって要求が入れられたらパッと解散する。

地味で根気が必要だけれど、手段を選ばず急激に、いっぺんに全ての物事を動かそうとすると結局は人の心がどんどん離れていく。

運動自体が瓦解しないようにしながら、少しずつ社会を変えていくしかない。地味で地道なことが一番難しいんだけれどね。

 

学生リーダーだった王丹とウアルカイシ

本書には「天安門の学生運動」の初期のリーダーだった、王丹とウアルカイシのインタビューも載っている。

ここに載っている人柄そのままだとしたら、王丹はかなり好きなタイプの人だ。

もとより王丹は学究肌の人だ。往年、彼は優秀すぎたことでデモのリーダー役をも担うことになったが、ときにハッタリや悪知恵も必要となる大衆運動の旗手としての適性は、本来はそれほど高くない。

これは私の実感のみならず、これまで取材してきた複数の人からも耳にしてきた王丹評だ。

(引用元:「八九六四 完全版 『天安門事件』から香港デモへ」 安田峰俊 ㈱KADOKAWA P284) 

 

二十歳前後の時に自分が担った役割について、その後の人生で天安門事件に対する同じような質問や批判に対して「それが自分の役目だ」と思い答え続けてきた姿勢や、ヒマワリ学連の成功について自分の影響を否定する態度など、冷静で謙虚で誠実な人だなあと何となく人柄が伺える。

「天安門事件の失敗の原因」の文章を読んでも、淡々と事実を書いているように見える。引用されている部分だけだと、当事者の分析とは思えない。

「面白くないことにも誠実な人」に見えて、今の時代には珍しい。こういう人、ほんと好きだな。 

 

 対してウアルカイシは真逆のタイプだ。

ウアルカイシは理論家でも政略家でもないのだが、天性の扇動家だ。

 (引用元:「八九六四 完全版 『天安門事件』から香港デモへ」 安田峰俊 ㈱KADOKAWA P291) 

 

明るくて豪快で人懐っこい。話し方にも人を惹きつける天性の才能があるカリスマだったんだろうな、ということが伝わってくる。

 

穏やかで物静かな天才と豪放磊落な愛されるカリスマの組み合わせって漫画みたいだ、と思ってしまう。

不思議なものでこの二人のインタビューを読むと、他の人よりもくっきりとどういう人かという輪郭がはっきりわかる。

有名人だからなのか、それともこの二人が持つ「主役」たる要素が彼らを有名になる表舞台に押し上げたのかは分からない。

この二人の人格的要素や組み合わせも、あそこまで天安門の運動が大規模になった理由のひとつだったんだろう。