17巻からは23巻は、序盤の超傑作、ケイロニア編だ。
20巻から作画が天野喜考になった。
女性キャラの最推し、我が儘ツンデレ甘えん坊皇女シルヴィアさん。
イシュトの気持ちもわからないでもないこともない
お調子者の自惚れや、女好きでよく喋る、愛嬌がある人気者という共通点があれど、王になることに全てを賭けているイシュトと王族の地位から逃げ出したマリウス。
気が合う訳がない。
似ているところが似すぎていて、違うところが違いすぎる。
昔はさほどとも思わなかった、イシュトとマリウスの口喧嘩が読んでいて楽しかった。
ケイロニアに着いた時の「遠足気分の二人」は見ていて微笑ましい。
16巻までの感想で
ナリスの話をイシュトがそんなに興味を持っている感じには見えなかった。(ナリスが言うほどには)
と書いたけれど、違うのか。
イシュトはナリスの話がまったく分からない自分に衝撃を受けたんだ。
「王になりたい」とずっと渇望して「必ず王になる」と信じていながら、「王とは何なのか」を知らなかった。
「王はその地位に生まれるから王なのではなく、世界の認識の仕方そのものが、他とは違うことを以て王なのだ」
そういうことをまったく知らなかった。
ナリスという「王」に初めて出会い、「王」に自分自身が心底魅了されたことが、滅茶苦茶ショックだったのか。
リギアみたいに「ナリスさまの考えていることは、わたくしどもには理解できない」と認められたら楽だっただろうに。
この年代あるあるだが、だからグインやナリスはイシュトに繰り返し「子供」「若い」と言うのだろう。
イシュトにとってナリスとの出会いのインパクトの大きさが、グインとの会話で伝わってくるのが凄い。
イシュトとグインの会話は、大人の自分と子供の自分が話しているように感じる。
言っていることはグインのほうが尤もなのだが、イシュトに共感してしまう。
「せめてもっと小さな望みで満足出来れば、本人も楽だろうに」
この年頃の人間が「何者かになりたい」と望むエネルギーの凄まじさは、いつの時代、どこの世界でも同じだな。
ツンデレ我が儘皇女シルヴィアの登場
いま読んでも、登場初期のシルヴィアの態度はひどい。
あとのデレぶりとツンツン甘えん坊ぶりを見ると、これもまた良しとニヤニヤしてしまうが。
普通の女の子が大国の唯一の皇女として、複雑な環境の中で甘やかされて育てられたらこんなものだろうと思う。
ミアイルと結婚したらどうなっていたか見たかったな。相性が悪すぎてどちらも不幸になるのが目に見えているが、年がいったら案外いい夫婦になるようにも思える。
少なくともアキレウスとマライアよりはいい夫婦になりそうだ。
陰謀も恋愛も楽しい
ケイロニアでは、宿屋の親父や町の少年から、傭兵たち、将軍、選帝侯までみんなグインを好きになる。
「主人公補正」ではなく、武を貴ぶ国だからグインのような存在とは相性がいい、沿海州の国の人間との対応の違いで地域性が描かれているところが面白い。
ヴァラキア人のイシュトヴァーンも、最初のころはグインを事あるごとに化物よばわりしていた。
その中でシルヴィアだけは公然とグインを化け物よばわりして興味を示さない。グインが自分に優しくしてくれたら急にデレるのも現金だな、と思いつつ可愛くて良い。
「俺はどうも、大人しい人形のような女性や、あるいは自信たっぷりの女王の如き女性よりも、適度に我儘で、俺に世話をかけるような女性のほうが可愛いと思う」
「それはずいぶんまた変わった好みと言うべきだろうな、わからんこともないが」
(引用元:「グイン・サーガ23 風のゆくえ」栗本薫 早川書房/太字は引用者)
普通の好みだと思うけどな。そんなこともないのか?
シルヴィアは我儘ぶりがストレートなところが好きなんだよな。
ケイロニア編は陰謀を暴く過程も楽しかった。
パロ編の時は、ほとんどナリスの独壇場だったから「そんなにうまくいくかな」という斜めな視線が入るが。
タヴィアとマリウスの恋は、いつ読んでも気持ちが盛り上がる。
ミアイルの死に傷ついて「二度と剣は持たない」と誓ったマリウスが、タヴィアのためにならその生き方を変えてもいいと言うところが、グッとくる。
それにしてもマリウスはさらわれすぎだ。そりゃあタヴィアに「お姫さま」よばわりされるよ。
男尊女卑の世界観に抗う女性たち
マライアは最悪な人だったが、「夫に愛されず、気持ちを無視されている妻の怒り」がどういうものかをきちんと描いているところが「グイン・サーガ」は好印象だ。銀英伝のベーネミュンデ侯爵夫人の描かれかたと比較して読んでも面白い。
「グイン・サーガ」は世界観から男は普通に男尊女卑的発想を持っているのだけれど、(「女は野望を持てない」など)その発想に女性が気付き抗っているところがいい。
ファンタジーの世界観だから、男尊女卑に対抗する言葉を持っていないけれど、自分たちの言葉で何とかその違和感を伝えようとする。
男であるお父さまや、諸侯の方々にはおわかりになりますまい。
この世は、男がつくり、男のためにあるもの、男には何でもできる、どんな可能性もあるのですわ。
でも、女と生まれてしまえば、できるのはただ男にえらばれ、男によって道具にされたり、気ままに扱われるだけ。
それから逃れようとして、わたしたち女は苦しむのです。
自ら権力を手中にしようとも、男たちを支配してみようとも、母も、マライア皇后も、妹シルヴィアも、いまのわたくしは、みんな、あわれに思えます。
みんな女だから苦しみ、不幸になったのです。
(引用元:「グイン・サーガ23 風のゆくえ」栗本薫 早川書房)
マライアを憎んでいたタヴィアが語る「同じ女としての葛藤」に対して、アキレウスは「わしにはわからん」と言う。
確かにわかっていたら、シルヴィアとタヴィアを比べて「母親の違いで同じ自分の子供でもどうこう」と言ったりしないだろう。
アキレウスといいハゾスといい、「女人を大切にしている」と言いつつ女性に対してナチュラルに失礼な人間が多いのがケイロニアの特徴だ。
この時のアリは本当にカッコよかった
19巻。
リアル厨二だった自分を熱狂させたアリストートスの登場である。
私にとって神聖な唯一のもの、この世界で、あとにも先にもたったひとりこのみにくい私をこの上なく愛してくれた、亡き母の魂にかけて誓う。
私は私のもてるすべての能力と頭脳をあつめて、あなたを玉座につけるべく働きましょう。
代償にたった一つのことを私は望みます。(略)
私の望むたった一つの代償は……あなたがみごとに玉座につき、その生来高貴な額に王冠をいただくとき、その王冠を、このいやしくみにくい私の手からさずけること。そして、あなたの玉座についたすがたを、この目で見ること。それだけです。(略)
その日まで私はどんな報酬も望みますまい。一銭の金も、一回の休暇もいらぬ。
私はこれから先の生涯をすべてあなたに捧げる。
(引用元:「グイン・サーガ19 ノスフェラスの嵐」栗本薫 早川書房/太字は引用者)
「自分をこんな風に作った世界に、自分の全能力、全生涯をかけて復讐してやる」という発想に気絶しそうなほど興奮したのだ。(厨二だ)
そのアリがまさか……あんな風にイシュト個人に心酔するなんて……。
それじゃあ、世の中を憎んでいると言いながら、その世の中のボス猿になることに満足を見出しているバルドゥールやダリウスと大して変わらない。
その価値観を「いやしくみにくいわたしが王冠をさずけること」で嘲笑うのがお前だろう。
お前の復讐心はそんなものだったのかよ……とガックリきてしまったのだ。まあ勝手な期待なのはわかっている……わかっているんだけれど……。
今読んでもこのシーンに興奮するだけに、先を読むのが気が重い。
ヴァレリウスも、ナリスを警戒と胡散臭げな眼で見ているこのころの感じが好きだったんだけどな。
私的モードの時の一人称が「おれ」なのもポイントが高い。
次からはモンゴール編&ユラニア遠征だ。
いよいよイシュトの国盗りか。
続き。その前にパロくねくね編があった。