アニメ「迷家ーマヨイガー」を見始めた。
*第三話までのネタバレがあります。未視聴のかたはご注意下さい。
岡田麿里がシリーズ構成と序盤と終盤の脚本を担当しているので、ずっと観たかった。
「人生をやり直したい」と考える人間たちが集まって、都市伝説である隠れ里を目指す、というストーリー。
きさらぎ駅のような都市伝説が大好きなので、期待して見出した。
三話までは岡田麿里が脚本を担当しているのだけれど、良くも悪くも会話や人の関係性が独特。
岡田麿里のこういう独特さが好きなのだが、「迷い家ーマヨイガー」の三話までは悪い部分が目立っていて(いい部分もあるけれど)話に乗りづらかった。
「この関係性でこの会話をするかな?」という不自然さがいちいち引っかかる。
「人とのしがらみを無視したいなら、こんなツアーに参加しないよね?(略)やっぱり一人が嫌なんだ」
例えば三話の後半でこはるんがヴァルカナにこう言うのだが、昨日出会ったばかりの大人同士がこんなことを相手に言うかな?
中学生ならわからないでもないが。
この部分だけであれば、「何かの伏線かもしれないし」「後で隠された二人の関係が明かされるのかもしれないし」と思うのだが、三話までこういう「『その関係でそういう話をするかな?』と思う会話」がそこかしこに出てくるのだ。
「心に傷を負ってうまく人と関われない、現実の社会でやっていけない」という人たちが集まっている、と言う設定なのに、よくそんな昨日今日会った人間に心を全開に出来るな、と思う描写が多い。
運転手の説教もそうだが、みんな心をむき出しにしすぎではないだろうか。
そこに(恐らく)この先に判明する設定のために、みんな言動がヒステリカルになっていくので、見ていて疲れてしまい話についていきづらい。
会話の内容以外でも、考え方にも不自然さを感じる。
例えば美影がバスの運転手に全員の財布を渡して、「納鳴村についてバラしたら、お前に脅されて金を巻き上げられたと俺たち全員で証言する」と言うシーン。
大人の男も多数いるこの人数を運転手が脅した、しかもバスが滑落した状態で、というのは無理がありすぎる。
参加者の間でも運転手への対応については意見が割れているのに、「俺たち全員、そう証言する」とどうして言えるのか?
今日会ったばかりの人間が、なぜ全員偽証してくれると思えるのだろう?
ズル賢いんだがピュアなんだがわからない、人を信頼していないように見えて滅茶苦茶人を信じやすいなという風に、「このキャラ、このシーンはこう見せたいのだろうけれど、よく考えるとこう見えてしまう」ということが多いので、見ていて混乱してしまう。
「迷い家-マヨイガー」は、このシーンの美影のように「人を人と思わない嫌な奴として見せたいのだろうが、むしろ人をすぐに信じてしまうピュアな人に見える」という、作り手の狙いと見ている自分の感覚が乖離した描写がかなり多い。
実は後者に見せたいのか?ということはありえなさそうなので、描写を雑に感じてしまう。
ヴァルカナも「人の責任を負わされたくない」と言う割には、運転手に細い道を強引に行かせるような「ツアー参加客やバス会社に対して責任を負わなければならないような言動」を取るので、訳が分からない。
三話で「人の責任を負わされたくない」という言葉を聞いて、一話二話の言動は何だったんだと首を捻ってしまった。「責任を負わされたくない」なら、むしろずっと黙っていないか。
キャラの設定が不自然で色々突っ込みたくなる+登場人物が心全開で大声を出すので見ていて疲れる、という苦手な要素が多いのだが、面白い部分もあるのでとりあえず最後まで見ようと思う。
最後まで見れば「そういうことだったのか」とわかるかもしれないし。
「みんな、心をむき出しにしすぎだろう」と疲れを感じるのは、ワクチンの副反応で若干体調が悪いからだろうか。
今のところはマイマイの可愛さだけが救いだ。
こういう一見気が強くて意地悪でひねくれているように見えて、実は優しくて素直ないい子、だけれどそんな自分の本性に照れてしまっている、みたいな子が大好きだ。
とりあえずマイマイには幸せになって欲しい。
「人が死なない〇〇〇〇」という感想を見たけれど、この先はホラー風味の展開になるのかな。
*「一見、過激な言動や描写の連続に見えて、実はまったく不自然ではない」「ミッドサマー」はやっぱり名作だな、と思う。