前回、27巻まで。
サウル皇帝が大好きだった
思い出した、サウル皇帝が大好きだった。
世間知らずで子供っぽい部分と、人生を悟ったような哲学者のような部分の融合具合が絶妙だった。
グインが恭しく接したら滅茶苦茶嬉しそうにするところや、オル・カン大公相手の芝居に妙に気合が入っているところ、グインにさりげなく気を遣うところ、自分の人生を俯瞰して見ているところなど全部好きだったなあ。
わしは、このような呪わしい七十年の果てに、まだ生きたいと思っておる。わしの取り分など、何ひとつのこされておらぬようなこの世に、まだ未練がなくもないのだ、と知ってな。
一生にいちど、どこか好きな場所への旅を許してもらえるのであったらな、グイン、わしは、たぶん、このバルヴィナの全景を見おろせる、北側の山頂に行ってみたいな。
そうして、わしが七十年の間、そこしか知らぬこの市城を、真上からしげしげと眺め降ろしてみたい。(略)
それを見下ろしながら、生きるも死ぬもそれだけのこととわしは翻然大悟することもできるだろう。
(引用元:「グイン・サーガ28 アルセイスの秘密」栗本薫 早川書房)
七歳で傀儡として即位させられて、七十年小さな市城に閉じ込められて生きてきた人間の述懐をこんなに真に迫って書けるのが凄い。
サウル皇帝も、ここ二、三巻に出てきて後でナレ死してしまうが、それでも印象に残っている。
辛気臭いユラニア宮廷
ユラニアの宮廷の様子は、確かに読んでいても楽しくない。滅びゆく国のつまらなさがよく出ている。
パロやケイロニアの宮廷の描写の華やかさはいわずもがなだし、クムは宮廷や王族の様子はともかく、ルーアンの街の様子は読んでいて楽しい。
三公女の不細工さのみが彩り、というのもある意味すごい話だ。
ユラニアの三公女の醜悪さは、読んでいて意外と面白い。皮肉の言い方が面白いから、読んでいてただただ嫌な気持ちになるだけではないところがいい。
長女のエイミアが一番好き。
グラチウスの会話を読むと、もう謎が半分くらいわかりかかっている。(たぶん)
「世界生成の秘密を巡る攻防」が国の動きを左右するこのあたりの話の造りは、余り好みではない。
初読の時も、もしかして「魔界水滸伝」っぽい話なのかな*1、グインはファンタジーのままがいいなあと思った記憶がある。
常に相変わらずなアムネリス
幽閉の身から、命がけで脱出するのに、かなり呑気なアムネリス。
とことん非実際的なお姫様体質なのに、しきろうとするところがモニョる。
当人は、どのように苦労をつんだつもりであったにしろ、この二人の若い娘が、じっさい余り現実的でも、世たけてきたわけでもないのはどうやらたしかなことであった。
本来であれば、合図を待って、とっくにもろもろの用意をすまして待ちわびていなくてはならぬところだし、合図しだいでうごけるように、準備万端ととのえておけとも、かたくアリに申し渡されていたのだが、二人の娘は少し荷づくりに手をつけてみたものの、何をどうしてよいか、まるきりわからなかったのと、かわいそうに実際的な知識というものをあまり身につけていなかったので、すぐにそれに飽きてしまい、あとはひたすらこうしてふたりで抱き合ったり、一方が虚勢を張り、一方がおろおろしたりするよりほかのことは、なにもしていなかった。
(引用元:「グイン・サーガ29 闇の司祭」栗本薫 早川書房/太字は引用者)
フロリーは自分が世間知らずで弱くて無力だ、と認めているからいいんだけれど、アムネリスはこれだけ虚勢を張っていてこの状況で荷造りのひとつもしない(出来ない)から、ただの〇〇に見えてしまう……。
いま31巻を読んでいるけれど、状況が切迫したらさすがに目が覚めるどころか、切迫すればするほど思考が非現実的になっていく。
フロリーに「私がお前の騎士よ」と言った二、三十ページ後にイシュトに夢中になっているのもひどすぎる。
ユラニアの三公女の描き方のほうが、まだしも愛情や愛着を感じるのだが、作者もアムネリスが嫌いだったのかな……。
シルヴィアはやっぱり可愛い。
対して、シルヴィアは普通の女の子ならではの真っ直ぐな感性全開で可愛い。
わたしは、たしかに、とてもいたらないしわがままだし、いろいろとおかしいところがるでしょうよ。大した美人でもなければ魅力もないし。
でも、グイン、わたしだって生きているのよ。感じる心があるのよ!(略)
あの人たちは、いつだって人生は大人の、男の、おえらがたのためだけのもので、わたしみたいな小娘のいうことなんか何一つまともに取る必要はないと思っているんだわ。
(引用元:「グイン・サーガ30 サイロンの豹頭将軍」栗本薫 早川書房/太字は引用者)
「グインの処遇をどうするか」のシーンからのつながりと、この後のシルヴィアの運命を考えると、かなり重要な指摘だ。
シルヴィアは常に「大国の唯一の皇女として生まれてしまった普通の女の子」の目線で、「有能なり英雄に生まれついた男たちの論理を批判しているところ」がとても好きだ。
「政治や戦争や国の行く末や陰謀や世界の秘密だけが尊く大事で、女子供の個人の悩みは取るにたらないもの、苦笑してスルーしてりゃあいいもんじゃねえぞ」と、「大国の皇女らしからぬ我儘で平凡な娘」扱いされても叫び続けるところがいいのだ。
「女子供」を大事にしているようで、女性が自分の認識に基づいた判断を口にすると眉をひそめたり、取るに足らないもののように扱うのがケイロニアの男たちの悪癖だ。
シルヴィアがケイロニア宮廷で孤立しがちなのは、その点を遠慮なくつくから、というのもあると思う。
グインのように大局や世界全体……どころか世界の深遠の秘密にまでつながっているような生まれながらの王が、シルヴィアのような平凡な女性一人を守ることが難しかった、ところが奥が深い。
シルヴィアなんて、試し行動もわかりやすいし、どちらかと言うとごく平均的な面倒くささしかない相手だと思うのだが、結局グインの手には余った。
この辺りは前に書いた、MBTIで言うNFJ系は恋愛に向いていない説につながる。
INFJは愛情が、「人類愛」や「崇高な理念」みたいな枠組みが大きなところにいってしまう。
「自分も他人も後回し」で、「人類全体」や「未来」「理想」にいってしまうので、恋愛という個人的なものとは接点が持ちにくい。愛情自体はあるので対立軸が見えにくく、他タイプが不満を訴えても話が噛み合わない。(略)
INFJ(やENFJ)と恋愛をする場合は、ヤンとフレデリカの関係のように、他タイプがINFJの理想についていくという形にしないと成り立たないかもしれない。
独り占めはできない、と割りきるしかない。
(MBTIのタイプにおける典型的なキャラとそれについての雑談(その2)
「独り占めできない」と割り切れるなら、それはもはや恋愛ではないのではと思うので、NFJとの恋愛はつくづく大変だなと思う。
あまね(©鬼滅の刃)は凄い。
「天華」の孔明*2みたいな、超特大クラスのややこしさと面倒臭さを持った相手だったら凄惨な殺し愛になりそうだ。(読んでみたい)
次回からはいよいよモンゴール奪還戦争だ。
続き。36巻まで。