うさるの厨二病な読書日記

厨二の着ぐるみが、本や漫画、ゲーム、ドラマなどについて好き勝手に語るブログ。

「無頼伝 涯」全5巻感想。無茶苦茶面白くてびっくりしたので、打ち切りになった理由を勝手に考えてみた。

【スポンサーリンク】

 

連載していた時にずっと読んでいたけれど、澤井の言動以外はさして印象に残っていない。

 

「天」と「アカギ」を読み返した勢いで、購入して一気読みしてみた。

 

無茶苦茶面白くて驚いた。

 

作者である福本伸行は

「読者の心情を読めず、不人気の末に打ち切られた失敗作である」と認めその原因については展開が遅すぎたためと分析している

らしいが、自分も一読者の立場から「なぜ、この作品が本誌掲載の時点で人気が出なかったのか」を自分なりに考えてみた。(僭越)

 

なぜ考えたかと言うと、「自分も本誌で読んでいた時はさほど面白いと思わなかった」「それなのに、今回読んだら滅茶苦茶面白くて驚いた」という、読者である自分の感じ方の落差に驚いたからだ。

 

*以下ネタバレ注意。

 

「涯」は大人向けのストーリー

最初に考えたのは、「動きが少なすぎたのではないか」ということだ。作者の分析である「展開が遅すぎた」に繋がる部分かもしれない。

 

「涯」は主人公の涯が、ずっと抑圧されずっと耐えている。そしてその抑圧されている状況によって自己葛藤する。

澤井との対決も、ずっとソファーの中に隠れているだけ、と読者がスカッとするような敵との対峙や相手をぎゃふんと言わせるシーンがほぼない。

 

「涯」と比べて気付いたのだが、「アカギ」は実は少年漫画向きではないかと思う。

「悪」を問答無用で叩きのめせるチート的な能力、人格や性格は完成されていて大人と対等に対峙出来る、クールに見えて治のように自分を慕ってくる人間(仲間)には妙に面倒見がいい。

最初は麻雀をまったく知らないので、麻雀を知らない読者でも物語に入りやすい。敵の能力が徐々に上がっていくので成長が目に見える。

 

「涯」は生き方などの内面的な話が多く、かなり大人向けのストーリーだ。

 

自分が「涯」で一番面白いと思ったのは、涯が一人暮らしをしていた二巻の後半あたりだ。

涯という少年がどういう生き方をしてきてどういう考え方をしてきた、どういう人間なのかということがダイレクトに伝わってくる。

 

オレはもう……少年でいたくないだけなのに!

 

f:id:saiusaruzzz:20211028161100p:plain

(引用元:「無頼伝 涯」2巻 福本伸行 講談社)

 

涯は外見は無口で落ち着いているが、内面はちょっとしたことでも傷つきそうな中学生らしい繊細さがある。そして「中学生らしい繊細さがあり、リアリティがある」からこそ、少年漫画には向かないのではないかと読んでいて思った。

 

この時の涯の心情は、少しのことで揺れ動く少年らしい潔癖さや繊細さ、ギリギリのところで生きようとする孤独や誇り高さが詰まっていて、この年頃の少年の一造形として見事だ。

自分で選んだ孤独な生活を生き抜いていく、涯の成長譚、人生譚を読んでみたかった。

 

阿部視点が長すぎたのではないか。

「涯」の一巻は、涯を追う刑事の阿部の視点で始まる。

一巻はずっとこの阿部の視点で話が進むのだが、この阿部の人物像が異様にリアルだ。

博打に打ち込んで借金を抱え、妻には逃げられ、店にたかるなどの小さい悪事は働くが、組織の中ではうまく生きられず出世は出来ない。

要領がいいようで悪い冴えない中年男。

こういうキャラを描かせたら、福本伸行は天下一品だ。

 

キャラ造形としては文句なくいいが、阿部の視点で一巻を持たせるのは十代を対象にした漫画にしては少し長すぎたのではないか。

また仮に読み手が問題なく阿部の視点に同化出来たとしても、阿部は二巻の中盤以降はほとんど出てこなくなる。

読者は視点を切り替えなければいけないし、その切り替え先は阿部とはエネルギー量も物の見方も、人生への向き合い方も違う涯なのだ。

阿部の人物像が見事であればあるほど(読み手が愛着を持てば持つほど)視点の切り替えが難しい。

 

澤井と平田が「悪」として小さすぎる。

福本作品のいいところである、敵である悪党の言葉にもある一定の説得力がある部分も、例えばカイジのように始まりがある程度駄目人間(大人)+青年向けであれば輝く。

涯は冤罪を着せられ虐げられている少年なので、そこにさらに大人が説教をくらわす姿は、その言葉がどれだけ正しくとも理不尽な抑圧にしか見えない。

 

また「悪」である澤井と平田には滑稽さがある。滑稽さはイメージとして「強さ」ではなく、「弱さ」と結びつきやすい。

澤井は、少年たちを虐待する自分の思考を正しいと信じている狂気があり、そのグロテスクさが良かった。だがその狂気が平田によって潰されてしまっているため、怖さがなくなってしまっている。

涯が逃げてからの澤井の凶行は、その動機が平田への恐怖であるために、例えば「涯の身代わりを用意するために、身代わり役の少年の顔を焼く」という狂気じみたことをしようとしても滑稽さのほうが先に立つ。

「悪」として小さく見えてしまう。

澤井と平田が「強大な悪」として機能していないために、彼らを倒すカタルシスも目減りしてしまっている。

 

「天井が上がっていって立ち上がれるようになることが、動物から人間への道(物理的に)」という「犬の部屋」の発想を読んだときは、思わず「天才かよ」と叫んでしまった。(天才だよ)

恐ろしいほど冷酷で非人間的な発想だが、演出のせいで余り怖さを感じない。

少年漫画だから若干表現をマイルドにしたのかもしれないが、この辺りはむしろ非人間的な冷酷さをこってり描いたほうがインパクトが強く良かった気がする。

後の「ユア・ヒューマン」に代表される澤井の言動のグロテスクさが、さらに際立ったと思うのだ。

 

f:id:saiusaruzzz:20211028173156p:plain

(引用元:「無頼伝 涯」4巻 福本伸行 講談社)

この辺りの流れはおぞましいよりも、むしろ笑ってしまう。

 

まとめ:他の福本作品にはない可能性も感じた……のに。

ここまで上げた

①主人公が内省的で動きが少ない

②大人の(特に駄目な部分の)描写がやたらリアル

③「悪」が良く言えば愛嬌があり、悪く言えば滑稽に見える

は、どちらかと言うと他の福本漫画ではむしろ良い部分だ。

 

主人公の涯が状況を受け入れ耐えることしか出来ない分、他の福本漫画では進行の足を引っ張りがちな内面的な葛藤を描き込んでも、そこまでアンバランスに見えない。

 

いっき読みすると福本漫画の面白さを備えながら、他の福本作品にはない面白さや可能性も含んでいて滅茶苦茶面白く、中途半端に終わってしまったことを残念に感じた。

涯が主人公の話を、もう一作くらい読みたかった。