ということでおススメしてもらって読んでみたら、自分にとって好みドンピシャだった「ヒメゴト~十九歳~の制服~」全八巻の感想。
*ネタバレあります。
*性描写が多めで性被害も含むストーリーなので、苦手な人は注意してください。
この話は、女装男子(カイト)が自分の中の「女」の部分を抑圧している男装女子(由樹)に一目ぼれするところから始まる。(ということが最後まで読むとわかる)
最後に二人が結ばれる時に、カイトが「本当はずっとあんたのことが好きだったのよ」と言ったとき、思わず「うん、知っていた」と声が出てしまった。
随分と遠回りをしたものだ。
恋愛ものはいかに遠回りをするかが醍醐味なので、そこがいいのだが。にやにや。
とまあ、恋愛ものとして読むと、カイトと由樹という会ったときから相思相愛だった両片思い(大好物)の二人が、いかに障害を乗り越えて結ばれるかという(とても萌えるが)話自体は特に変哲のないものだ。
「ヒメゴト」は、この「障害」こそが実はメインテーマであり、後半はこちらへ話が移っていく。
二人の恋の「障害」は、カイトの中に巣食う「少女でありたい=未果子」という欲望である。
その欲望は、心の奥底に潜む闇から生まれている。
カイトと未果子は、その闇に足を囚われている人間であり、その闇は二人が幼いころに性的被害を受けたために生まれたものだ。
この闇でつながることで、カイトにとって未果子は「傷つけられた自分=少女」となる。カイトが未果子と同じ格好をするのはこのためだ。
二人は未果子を買う男たちに復讐するときに、同じ「十五歳」の姿になる。
二人は心の奥底の闇の部分で、「傷つけられた少女」という共通点によってつながっている。そのため未果子がどれだけ、滅茶苦茶なことをし、一緒にいれば自分も闇に引きずり込まれると分かっていても、カイトは未果子を見捨てることが出来ない。
闇に半分つかり(つからされ)、そこから逃れることが出来ないカイトと未果子は、汚れていない由樹に聖性を見る。
カイトにおいてそれは本来の自分を認めて(映して)くれる存在であり、未果子にとっては自分を守ってくれる「母」だ。
だから二人は由樹にすがりつき大切に思うと同時に、自分たちの闇に由樹を巻き込むことを恐れている。
一般的にはカイトと未果子の闇の奥底に眠る深い傷……というより、同じ傷を持つがゆえにカイトを引きずり込む未果子の闇が主要なテーマになりそうだ。
ところが「ヒメゴト」は、あくまでメインは、自分の中の「女」を受け入れることに対する由樹の葛藤と、その由樹とカイトの恋愛模様なのだ。
未果子は「聖なる少女の外見と狡猾さ」を合わせ持ち、この話の真の主役と言える強力なキャラなのに、最初のうちはカイト×由樹の関係にほとんど割り込めていない。(というより恋愛という意味では、カイトも由樹もお互いに相手に未果子を近づけないことを第一に考えていたように、最初から最後までまったく割り込めていない。カイトと由樹は、読んでいるこっちが「ええ加減にせえ」と突っ込みたくてイライラするくらい終始、相思相愛なのだ。←たまらん)
二巻くらいまでは未果子のキャラクターが面白いのにも関わらず、まったく二人の関係に干渉できないので、読んでいて首を捻ったほどだ。
しかし後半からはカイトと由樹の恋愛から、未果子の闇と傷の深さに話が移行する。
それが同じ傷を持つがゆえに闇の深さを知っているため、被害者であるはずの未果子があたかも闇そのもの、怪物めいて見えてしまうカイトの視点で見せているところが、自分がこの話で一番好きなところだ。
こういう問題の根深さと難しさが伝わってくる。
未果子が「いたいけな可愛そうな被害者」であることを最後まで拒否したところも良かった。
たいてい未果子のような立場の登場人物は、「可愛そうな被害者」として救済されて終わる。
「路上のX」の時の感想で書いたが、こういう少女を「ただその傷を生きるためだけの被害者」として描いて欲しくない。
未果子が最後に吐露したように、例え勝ち誇ったように笑っていても、その傷を忘れて楽しんでいるように見え、一般的に想像する「いたいけで傷ついた少女」に見えなくとも、彼女たちは守らなければならない被害者なのだ。
私、ずっと戦ってきた。笑ったあの一瞬の私を守るために。あれが罪じゃないって証明するために。
ずっと、ずっと……。
でも、もう疲れた。(略)私を、許してくれる?
「男から搾取してやる」と言いながら、未果子がどれほどの地獄を一人で生きてきたがわかり、胸が痛くなるのを通り越して震えが走る。
カイトは自分も同じ傷を持つがゆえに、未果子の闇の深さがわかっていて、とても自分では救えない、ただ一緒にその中に沈むしかないことがわかっていた。
だから由樹だけは、必死に逃そうとしていたのだ。
現実的に考えると、こういう恐るべき闇から人を救うのはとてつもなく大変なことで、生半可な覚悟でやれば自分の人生が食いつぶされる。
未果子のように闇に同化してしまっている人を救うには、自分の人生をかけてやるか、その覚悟がなければ個人であれば逃げるしかない。
鴻上さんが指摘したように、「人を救うには自分の人生がもうひとつ必要」なのだ。
「人を救う」のは自分の人生全てを賭けても難しい、逆に自分の人生を食いつぶされる可能性があると「多崎つくる」が教えてくれた。|うさる|note
いい意味で「重さ」が目減りしている。
未果子が結末で、「風俗で働いて男からバリバリ搾取している」のも良かった。
祥に対する啖呵といい、由樹への告白といい、最後まで強く、同情を寄せつけない。
「かわいそうな被害者像」を拒否して生きる、たくましさがいい。
(引用元:「ヒメゴト~十九歳の制服~」8巻 峰浪りょう 小学館)
*カッコ良すぎて痺れた。
祥が、最後の最後でいいところを見せて由樹とも未果子とも和解してホッとした。
こういう性被害の話だと、どうしても「男」という属性そのものが加害者・悪者という文脈が残りがちになるか、生身の人間らしさが失われた(普通の男であることを放棄した)「救済者」という役割を振られがちだ。
不器用で時に過ちも犯す、やらかしもするが、それなりに女性を真摯に愛そうと頑張ってはいる「普通の男」である祥が、最後の最後で未果子に頼られ、由樹の手を引き、その手を離して終わったのには感動した。
「普通の男」は時に女性を助け、同じ世界で一緒に生きていくことが出来るのだ。
「ヒメゴト」は、恋愛漫画としても自己救済漫画としても楽しめて、何よりこの二つがまったくお互いを邪魔せずひとつのストーリーとして楽しめる奇跡的なバランスの良さが凄かった。
重いテーマを扱っているのにも関わらず、読後感も爽やかで本当に面白かった。
「路上のX」は路上の少女たちの実態がわかりやすいと同時に、小説として抜群に面白いので未読のかたは是非。