うさるの厨二病な読書日記

厨二の着ぐるみが、本や漫画、ゲーム、ドラマなどについて好き勝手に語るブログ。

【映画感想】「君が君で君だ」 七割くらいの人にとってnot for meの作品だと思うが、自分にとっては素晴らしい作品だったので全力で語りたい。

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*本記事には「君が君で君だ」とネタバレが含まれます。未視聴のかたはご注意ください。

 

この映画の粗筋は、

同じ女の子を好きな三人の男が、女の子が好きな「尾崎豊」「ブラッド・ピット」「坂本竜馬」にそれぞれなりきって、生活を見守るために、その子の住まいの向かいのアパートに十年間住み続ける。

というものだ。

筋を読んだだけで、無理な人は無理な映画だと思う。

 

表層的な事実として見るとストーカーの話なので(自分は後述する通り、ストーリーが語っているものはストーカーではないと思うが)、そこに何か引っかかりがある人は見ないほういい。

 

映画は満島真之介が演じる「後のブラピになりきる男(以下ブラピ」が恋人に振られた痛手を癒すために、池松壮亮演じる「後の尾崎豊になりきる男(以下尾崎)」を連れてカラオケで歌うシーンから始まるけれど、このシーンのノリがキツイという人も見ないほうが無難。

この映画は、この先ずっとこのノリが続く。

 

最初、粗筋を見たときは「男三人がお互いを承認し合うために、同じ対象をストーカーするという行為自体を絆とする話かな」と思っていた。

まったく違った。

まったく違うと、この記事で力説したい。

 

*未視聴で上記のことが気にならなければ、ネタバレを読まずに是非見て欲しい。

君が君で君だ

 

 

この話は目に見える表層的な事実とは違い、主人公三人が言っていることやっていることは全て筋が通っている。

 

借金取りの友永に「集団ストーカー」と言われたときに、尾崎が「ストーカーではないですね」と答えたように、三人はストーカーをしているのではない。

本当に姫(ソン)を守っているのだ。

あの部屋=「ソンを守るための国」の「国」とは何なのか、と言うとソンの心である。

三人が閉じこもるあの部屋は、ソンの心そのものなのだ。

 

なぜ、あの部屋がソンの心になりうるか。

ソンがまだ心を傷つけられていなかったころに好きだった、「尾崎豊」「ブラッド・ピット」「坂本竜馬」が存在するからだ。

 

現在のソンにとって大切なもので在り続けているから、三人は「尾崎豊」「ブラッド・ピット」「坂本竜馬」になりきっているのではない。

逆だ。

彼らが「尾崎豊」「ブラッド・ピット」「坂本竜馬」で在り続けるからこそ、ソンの中でそれらが象徴する心の最も尊い部分が変わらずに在り続けるのだ。

 

三人は自分たちが「尾崎豊」「ブラッド・ピット」「坂本竜馬」というソンが大切に思っていたものそのものとして存在する、という方法を取ることで、彼女の「傷つく前の心」を手つかずのまま守ろうとしているのだ。

 

なぜ、彼らは自分自身を殺し、ソンの大切なものになりきる、という方法を取らなければならないのか。

ソン自身は自分が傷ついた時に、自分の中の尊いものですら傷つけてしまうからだ。

母親が死んだとき、大好きな尾崎豊の歌を「うるさい」と言った。

恋人の宗太は、坂本竜馬と同じ高知弁を使うが、いつの間にかソンを「金を持ってくることだけが取り柄のブス」と罵り暴力を振るうようになった。

しかし母親が死んでも、恋人が変貌しても、「ソンを守る国」で「尾崎豊」「坂本竜馬」「ブラッド・ピット」が存在し続けたために、ソンはその後も尾崎豊の曲を聞き続けた。

 

「好きだから? いや、僕は別に好きだから、とかではやっていないです」

星野に「君ら、この子が好きなの?」と聞かれたとき、尾崎は戸惑ったようにそう答える。

尾崎は、彼自身がそう言う通り、ソンのストーカーではないし愛してもいない。

「ストーカーをする」「愛する」ためには、ソンと別人である「他者」でなければならないからだ。

「尾崎豊」はソンの心の中に存在する、彼女自身の一部なのだ。

だから女物の下着をつけた尾崎が、宗太にはソンに見えたのだ。

 

彼女の心の最も深い部分である「ソンを守るためだけの国」「他国のかたは入国禁止」であり、彼女自身であるがゆえに自殺するほど追い詰められたときでも、彼女に干渉できない。

「尾崎豊」「ブラッド・ピット」「坂本竜馬」は、ソンに決して干渉しない、自分自身の全てを捨て去るという二つの法則を厳格に守ることで、初めてソンの一部として存在することが可能なのだ。

 

「尾崎豊」が「何も知らないくせに」と言った宗太に向かって言った

「そりゃ変わっていくでしょ。生きているんだから。何も知らないのはどっちですか?」

というセリフはとても重要だ。

このセリフは10年の間に「生きているがゆえに変わざるえなかったソン」、そして最初は純粋に彼女を愛して付き合い始めたのに、今は彼女に借金を背負わせるクズになってしまった宗太と対比して、尾崎が変わらなかったことを表している。

 

「他人」はソンを変える。

そしてソンによって変えられる。

他人は生きている者であり、生きている者は変わらざるえない。

「自分の人生を生きない」「ソンに干渉しない」ことによって、初めて「ソンの中で変わらない、ソン自身の一部」になることが出来る。

干渉してしまえば、「干渉が出来る」ということを以て、「ソンを変える、変わってしまう他人」になってしまう。

ソンが行方不明になろうと、自殺を決意しようと何もすることは出来ない。

「見ていることしか出来ない」という事実を以てソン自身であることが出来るのだ。

 

ソンが自殺する間際になって、「国よりもソンだろう」とソンを救いに行こうとする坂本を、ブラピが「国が壊れるだろう」と言って必死に止める。

心が壊れる前に自殺するか、心を完全に壊すか、三人は究極の二択を迫られる

 

「私は抱きしめられないけど、あいつは抱きしめる程度でしょ」

 

尾崎は「坂本竜馬」をベランダから外に放り出したあと、そう言う。

首輪を外し、部屋から外に出て行きソンを抱きしめた坂本は、「他人」になったのだ。ソンを愛し、彼女を救おうとする「他人」。

しかし尾崎は、ソン本人の一部分なのだから、ソンを抱きしめることは出来ない。

「ソンにとっての他人である、抱きしめられる自分を捨てている」尾崎にとっては、抱きしめる他人になることを選んだ坂本の思いは「抱きしめる程度」なのだ。

 

元々ソンと付き合っていた坂本は、二人とは違い「ソンと他人(彼氏)だった過去」がある。

だから首輪をつけられていて、「首輪を外してもお前は坂本竜馬か?」と問われる。

尾崎から「長い髪が好きだ」と言われたソンは、髪をハサミで切る。

これは心を傷つけられたゆえの自傷行為に近い。だから尾崎はソン自身も受け止めきれない心の傷を受け止めるために、髪の毛を食べた。

 

宗太を刺すほど余裕がない時は激高し部屋を滅茶苦茶にしたソンだが、彼女も長い間、彼らに……というよりは、「彼らが保全し続けた自分の中の内部の尊いもの」に自分が守られてきたことに気付いていた。

母親が死んでも、恋人のために風俗で働くようになっても、恋人が変貌があっても生きてこられたのは、それが自分の中に変わらず存在し続けたからだ。

 

この話が感動的なのは、「自分自身が生きていれば必ず変わっていくように、自分の中の尊いものも生きていれば必ず失われていく。だがそれがもし、ずっと変わらず自分の支えになっているのであれば、それは誰かが自分の見えないところで、それが失われないように支えてくれているからではないか」ということを描いているからだ。

そうして自分が誰かに支えられているように、自分も知らず知らずのうちに誰かの尊いものを、保全する存在になっているのかもしれない。

 

星野や友枝が、三人の言動に心を打たれるのはそのためだ。

星野も友枝も、三人のソンに向ける気持ちに心を打たれているのではない。

三人の姿が思い出させるもの、自分たちがかつて誰かのためにその人にとって失われてはならないものを守ろうとしたこと、そして誰かによって守られた記憶に心を動かされているのだ。

 

ブラピによって「ソンを守るためだけの国」は解散となった。

坂本竜馬は、病院のベッドで「田辺さとし」と呼ばれることで田辺さとしに戻される。

尾崎は、首輪を引きちぎって部屋の外に出てソンに「僕は僕です」と告げることで、「志村みつお」に戻る。

 

尾崎とソンの海辺の対話のシーンは、ソンとソンの一部分であった尾崎の心象風景だ。

彼らの繋がりを象徴するヒマワリをソンが突き返し、それを尾崎が食べることで二人のつながりは失われる。

ソンの中から「尾崎」は失われ、尾崎は「志村みつお」に戻る。

 

個人的な好みで言えば、尾崎が志村に戻る流れは余り好きではない。自分の中では蛇足だ。

最後に「ソンにとって他人の自分」に戻ってしまっては、結果として「志村みつおが、10年間、ストーカーしていただけ」になってしまう。現実的と言えばそうかもしれないが。

 

尾崎が首輪をちぎって部屋から出るまでは、自分にとってこの作品はほぼ完ぺきなほど美しい作品だった。

母親が死んだことを知り、海辺に一人でいるソンを見て、尾崎が「決めた、俺、尾崎豊になる」と言い、坂本が「国を作らんか、ソンを守るためだけの国」というシーンは泣けて仕方がなかった。

 

他人にとって大切なものを守ることと自分の中の大切なものを守ることは実は同じことではないか。

そうしみじみ感じさせてくれる、とても美しい作品だった。

 

俳優のこと

全員良かったが、一人上げるなら池松壮亮。

アルバイトしているときの死んだような目、気配と、「国」にいる時の生命力の落差が凄い。43分辺りのソンが乗り移ったときのアップは、その前の向井理の表情とセットで是非みて欲しい。

YOUは役との相性もばっちりで、文句なくよかった。三人の言動を外から見続けるシーンが美しすぎる。

向井理は見るたびに、最初のころ余り評価していなかったことをすみませんと謝りたくなる。友枝、最高に恰好良かった。