うさるの厨二病な読書日記

厨二の着ぐるみが、本や漫画、ゲーム、ドラマなどについて好き勝手に語るブログ。

NHKクローズアップ現代+「あさま山荘事件の深層・実行犯が獄中から独白」を見て、連合赤軍事件について再び考える。

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2022年2月24日(木)に放送されたNHKクローズアップ現代+「あさま山荘事件の深層・実行犯が獄中から独白」を見た。

 

「あさま山荘」に立てこもったのは、坂口弘、坂東國男、吉野雅邦、当時未成年だった加藤兄弟の五人。

このうち坂口弘は死刑囚、坂東國男は超法規的処置で出国した、未成年だった加藤兄弟はすでに獄中にはいない、ということで恐らく吉野雅邦の話だろうと思ったが、見てみたらやはりそうだった。

 

吉野雅邦は革命左派から連合赤軍に参加し、七名いた指導部(中央委員会)の序列七位だった人だ。

山岳ベースのリンチ、いわゆる「総括」で内縁の妻だった金子みちよさんとそのお腹の中にいた子供を亡くしている。

 

連合赤軍関連の書籍の中では、番組にも出演していた吉野の幼友達の大泉康雄さんが書いた「氷の城」が一番好きだ。

 

学生運動には参加しておらず吉野の友達、という縁だけの大泉さんが書いているので、「人間、友達としての吉野像」と「金子みちよさんとの付き合い」に眼目が置かれている。事件そのものの記述はほとんどない。(事件後の裁判の話は出てくる)

 

大泉さんは吉野と金子さんが付き合う前から吉野の友達なので、金子さんとの交際に至った経緯や交際後の様子なども出てくる。

「友達としての吉野」は驚くくらい普通で、他の犯人の手記……例えば永田洋子や坂口弘の著作の中に出てくる、空港に潜入して火炎瓶を投げたり、真岡の銃砲店襲撃、連合赤軍以前の革命左派内での死刑の様子などとの落差がすさまじい。

「氷の城」を読むと、吉野は財閥(確か三菱)の重役の息子としての自分の生い立ちや知的障害を持って生まれたお兄さんへの思いなど、世の中や自分自身の矛盾に真面目すぎるくらい真面目に向き合っている。

一体なぜこういう人がこんな事件を起こしてしまったのか、と他の関連書籍以上に首を捻ってしまう。

 

番組内でも話していたが、金子みちよさんとも友達付き合いをしていた大泉さんの中には、「なぜ、吉野は自分の妻子を守れなかったのか」という思いが五十年経った今もわだかまりとして残っているように感じる。

吉野が金子さんに一目ぼれして猛アプローチをかけていたが、なかなか上手くいかないと相談されていたことや、紹介されて会ったら、自分が今まで見たことがないようなおしゃれな女性で吉野を羨ましく思ったことなどが書かれていて、事件の手前までは「時代は違えど大学生くらいの年齢のときに考えることは、そんなに変わらないんだな」と思う。

 

自分が、この事件に強烈な印象を受け続けている理由はそこだ。

知れば知るほど、連合赤軍事件を起こした人たちは、この時代の普通の若者なのだ。むしろ吉野など、同じ年のころの自分よりも、ずっと真剣に世の中や人生や自身のことを考えている。

そういう人たちが自分の兄弟を、妻を、夫を、友達を、凄惨なリンチにかけて死に追いやり、しかもそれが正しいことだ、と信じ込んだ。

 

人間は自分の大切な相手でさえ、「正しさ」を信じるとこれほど残虐な目に合わせることが出来る。

 

そもそも矛盾や欠点を抱える人間の存在が「正しさ」と対立するものなので、言葉が先行した正しさは、人間そのものを「悪」と断罪して破壊する。

人間は「正しさ」を扱えるほと強くも賢くもなく、扱っていると思っているとしたら、それは恐らく何か別のものだ。

それがわからない人間ほど恐ろしい存在はない。

 

連合赤軍事件は、自分にそういう人生観や人間観を与えた。

 

番組内で吉野雅邦の現在の心境として、「自分は自分を愛することが出来ていなかった。自分を愛することが出来ない人間に、他人を尊重することは出来ない。自分はまず、自分自身を愛するべきだった」という言葉が紹介された。(覚えている限りの言葉なので、正確な文言は番組のアーカイブをご覧ください)

「愛」と言うと少し大げさに聞こえるが、「まず自分自身のことをよく考えろ」ということだと思う。

色々な著作や番組を見た限りでは、吉野は自分が感じていた罪悪感を払拭するために(もしくは忘れるために)革命運動にのめり込んでいた。

 

「自分は罪深い存在なのだから(←確かこのフレーズは、『氷の城』のどこかに吉野の言葉として出てきたと記憶している)何も考えず滅私して革命運動に全てを捧げなければいけない」

 

「なぜ自分は自分を罪深い存在と考えるのだろう」と自分の内部の罪悪感と向き合うよりは、周りから見るとすさまじく過激な革命運動に身を投じていた方がマシだ、というところに人間の難しさを感じる。

人間にとって自分の内部ほど恐ろしいものはなく、それを見ないためなら人を殺すことも、世界を破壊することも厭わない。

 

それでも、いつかどこかで追いつかれるのだ。

それは「自分」として、いつも側にあるものなのだから。

 

今回、番組を見て新たにそんなことを考えた。

現在とはまったく違う時代の異常な事件に見えて、いつの時代のどんな人の心にも通底する、たくさんの学びが詰まった事件だと改めて思った。