うさるの厨二病な読書日記

厨二の着ぐるみが、本や漫画、ゲーム、ドラマなどについて好き勝手に語るブログ。

【アニメ感想】「平家物語」平維盛の「自分が出来ないとわかっていることをやらなければならない状況の絶望感」がキツい。

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NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」の第9回は、水鳥が羽ばたいた音に驚いて平家軍が戦わずして逃げ出した「富士川の戦い」のエピソードだった。

どう描くのかなと思いきや、まさかあんな感じとは。

「んなわけあるかっ」と笑いながら突っ込んでしまった。

 

今回も面白かったなあと思ってアニメ「平家物語」を見たら、第六話がちょうど「富士川の戦い」だった。

今まで歴史を題材にした創作を見ていても余り感じたことがなかったのだが、「平家物語」の維盛は見ているのが辛い。

 

維盛を見ていて感じる辛さは、「置かれている立場や求められていることに自分が絶望的に向いていないことが分かっているのに、状況がどんどん悪くなっていっているがゆえに、そこから逃げられないことが分かっているところ」だ。

「平家物語」の維盛は、平氏の跡取り息子であるにも関わらず、おっとりとした雅な性格として描かれている。(史実でもそういう傾向があったようだが)

清盛の長男である重盛の長男ということで、事あるごとに戦の大将を任されるが、性格的にも能力的にも戦にまったく向いていない。

平氏が隆盛を極めているころなら、多少無能扱いされても戦にはいかないという選択肢もあったろうが、刻一刻と状況が悪くなっていくのだから戦わざるえない。

しかも頼りの父親や祖父は、先に死んでしまう。

「状況が変化しているのだから、それに合わせて自分が変わらなければ」と鬼気迫る表情で刀を振るう様が痛々しい。

 

先のことを考えると恐ろしくて恐ろしくて、年下の少女であるびわにまで余裕なく詰め寄ってしまう。

存亡の危機にある一族の当主にもまったく向いていない。

 

ポイントは「やりたくない」とか「好きではない」とかそういうレベルではないところだ。

「好きではないし、特にやりたいわけでもないが、やってやれないことはない」

こういうことならやらなければならないことは、誰にでもあると思う。

例えば「鎌倉殿の13人」の主人公・義時も(まだ経験がないこともあるだろうが)、戦にそれほど向いているようには見えない。

 

人が逆境でも頑張れるのは、「自分にはそれに耐える力がある」ということ(少なくともその可能性)を信じられるからだ。

周りの期待や評価がどうこうと言うより、「自分にそれが出来るかどうか」ということを、自分がはっきりとわかってしまうことがある。

 

「やる前から自分には出来ないとはっきり分かっていることをやらなければならない」

というのは、自分だったら情緒がおかしくなるレベルでキツイ。

ましてや自分や家族も含めた一族の運命がかかっているのだ。

 

「自分が維盛の立場だったら」(一族が滅亡の危機にあったら、ではなく、自分が出来ないとわかっていることをそれでもやらなくてはいけない立場だったら)と考えたら、憂鬱になってしまった。

 

「(その能力がないので)できません」と言えることは、それはそれで恵まれているのかもしれない、など色々考えてしまう。