うさるの厨二病な読書日記

厨二の着ぐるみが、本や漫画、ゲーム、ドラマなどについて好き勝手に語るブログ。

ザ・ノンフィクション「マタギ修行の若者たち」感想 「生きる実感」は今の時代は贅沢品なのかもしれない。

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2022年3月13日(日)に放送された「ザ・ノンフィクション 都会を離れ山で生きる。マタギ修行の若者たち」を見た感想。

 

秋田の阿仁でマタギとして生きてきた74歳の鈴木英雄さんのところへ弟子入りした、二十代の若者たちの話だ。

阿仁という不便な土地でマタギとして生きてきた鈴木さんは、便利な場所から「わざわざ」自分の生き方を学びに来る若者たちをありがたく思いつつも、「その心情が理解できない」と何度も口にする。

それが印象に残った。

 

自分は修行に来た山田さんたち若者が、「生きているという実感が欲しい」という言葉がよくわかるような気がした。

「生きる実感」というと、「命のやり取り」のような大げさなニュアンスを含むように思えるが、単純に「自分の生活に関係することは実際に自分でやる」という感覚の積み重ねが「生きている実感」を生むのだと思う。

自分で歩く、自分で目にする、自分で触る、食べるものは自分で選んで取る、邪魔なものは自分の体を動かしてどかす、会いたい人には実際に会う。

その感覚が「生きているという実感」を生むが、今の時代は何事もやらないで過ごそうと思えばやらないで済ませられる、だから現代を生きる若者たちにとっては、「わざわざ」やらなければ得られないものになっている。

「〇〇体験」なども、なぜ対価を払ってわざわざ作業をするかと言えば、結果ではなく「実際にやる過程」が人にとって意外に大きな意味を持つからなのだろうと思う。

 

番組の中で、とある樹木の樹皮は油を含んでいるから火をつけると雪の中でも簡単に燃えるという知識を鈴木さんが若者たちに教えていた。

「氷点下で生きるということ」でも、アンディが「どんな場所でも火種を作れること」がアラスカで生きるための一番大事な智恵だと弟子に伝えていたことを思い出した。

いかなる時もすぐに火を熾せることが大事だ、という話の中で、湿っていても燃える樹皮を教えていた。

寒い場所で生きる知恵は、場所が遠く離れていても変わらない。

 

今回の「ザ・ノンフィクション」に登場した人たちも、「氷点下で生きるということ」に登場する人たちも同じことを言っていたが、「都会に疲れたり」「文明社会に疑問を持って」こういう生活をしているわけではない。

単純に「自分が生きて行くうえでの目の届く範囲のことは自分でやる生活」が、好きなんだろうと思う。

生きる上でやらなければいけないことは、限界まで効率的に済ませて、なるべく自由な時間を確保してお金を稼ぐ、もしくは趣味などの好きなことをするほうが向いている人もいれば、「生きることそれ自体に時間をかける、その実感を得られること」が好きな人もいる。

 

昔は好き嫌い、向き不向きは関係なく、誰もが「自分の生きる実感」という狭い範囲の中で生きるしかなかった。(鈴木さんは「生きるため、日々生活するためにしなければならないことを、効率化することが難しい時代」を生きてきたから、わざわざ自分と同じ生活をしようとする若者たちのことが不思議なのだろう)

今は「生きるためにしなければならないことを効率化すること」が可能になったので、「生きるためにすることは自分ですること」が好きな人は「前者の生活が苦手だから、消去法的に後者のような不便な生活をしている」と思われがちだ。特に「何であれ効率化することは良いこと」という発想の人には。

だが「『効率化された生活』との対比ではなく、単純に効率化されていない(いわば不便な)生活をしたい」という人がある一定数いるのだと思う。

 

「氷点下を生きるということ」を見ていると、そういう生活は、生活に関わることをほとんど自分一人でやらなければならない大変さがある。それでいながら一人では全てをこなせない。(意外と人付き合いが大事……というより、人付き合いというリスクヘッジをしなければならない)

どれだけ自分が最善を尽くしてもイレギュラーな事態は起こるし、天候や自然という大いなるものには勝てない。

 

「大自然の中で自由に生きられる」なんていう理想的なものではない、都会の生活に疲れたからちょっとやってみたいという気持ちで出来ることではないことは、見ているだけでもわかる。

逆を言えばこういう生活を何年も何十年も続けている人は、本当にそういう生活が合っている人なのだろう。

 

今の時代は「やらなくて済ませられる、という前提で周りが動いている」ので、「わざわざ不便なことをやる」ことは、そうとうな覚悟がいる。

番組内でも語られていたが、そういう生活をしたいと思っても、鈴木さんのように積極的に知識を伝達しようとしてくれる人がいないと続けることが出来ない。

「氷点下で生きるということ」でも、アラスカの自然の中で生きたいと思ったら、まず誰かから生き方を学ばないと難しいと言われていた。

 

「生きる、生活する実感」は、手に入れるためのハードルが高い贅沢品になってしまっているのだな、と見ていて思った。

 

 

マタギと言えば谷垣。猟師とはやり方が違うと言っていたな。そう言えば。

 

もうすぐシーズン3を観終わるところ。

第3話 すべてが凍りつく

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戒律の厳しい修道院の日常生活をひたすら見せるという話らしい。(気になっているけれど未視聴)

便利になりすぎると「出来ることをわざわざ限定する生活」に憧れてしまう。でも、修道院内の人間関係って大変そうだな……(ヘタレ)

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