うさるの厨二病な読書日記

厨二の着ぐるみが、本や漫画、ゲーム、ドラマなどについて好き勝手に語るブログ。

【エルデンリングキャラ語り】「狂い火の病の起原」で「歴史上、最も憎悪された男」シャブリリのことがとっても気になる。

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相変わらず「エルデンリング」をプレイしているが、「狂い火」と「狂い火の起原」と言われるシャブリリのことが気になって仕方がない。

 

シャブリリ関連のフレーバーテキストは、「シャブリリのブドウ」「シャブリリの禍」「シャブリリの叫び」くらいだ。

攻略wikiで検索しても、これしか出てこない。

 

三つのテキストをつなげて考えると、シャブリリがどういうキャラかが見えてくる。

 

「シャブリリという名のその男は、讒言の罰として、人々に瞳をつぶされ、やがてそこに狂い火を宿したという」(シャブリリの禍)

「シャブリリは狂い火の病の起原とされ、歴史上、最も憎悪された男である」(シャブリリの叫び)

「黄色く爛れきった、病み人の瞳。表皮は剥がれかけ、中身はどろりと柔らかく熟しきった大粒のブドウに似ている」(シャブリリのブドウ)

 

シャブリリという男は余りに嘘が多かったから、罰として目を潰された。シャブリリは潰された目の代わりに、狂い火を宿した。

シャブリリが潰された目に宿した狂い火が

「その瞳から黄色い狂い火をほとばしらせる。狂い火はダメージと共に発狂を蓄積し、術者自身にも発狂を蓄積する」(狂い火)

こういう病となった。

そのためにシャブリリは「狂い火の病の起原」として、人々から憎悪された。

 

「シャブリリの禍」のテキストで、シャブリリは「目」ではなく「瞳」を潰される。

細かい違いに引っかかるのは、フロムの他のゲーム「ブラッドボーン」では「瞳」は特別な意味を持つからだ。

 

「ブラッドボーン」の「星の瞳の狩人証」のテキストでは、

その瞳は宇宙を象っている。『聖歌隊』の気付きは、かつて突然訪れたという。地上にある我々の頭上にこそ、まさに宇宙があるのではないか」(星の瞳の狩人証)

瞳=宇宙(=世界)なのだ。

「ブラッドボーン」の世界は、世界の認識の仕方によって派閥が二つに分かれている。そのうちの一派「聖歌隊」は、「瞳(主観)こそ宇宙(世界)である」と考えた。

 

「聖歌隊」の考えに則ると、シャブリリや狂い火の病に犯された人間にとって、「シャブリリの瞳」に書かれた姿「黄色く爛れきった。表皮は剥がれかけ、中身はどろりと柔らかく熟しきった大粒のブドウに似ている」こそが世界の姿なのだ。

世界がこう見えるところを以て、その人物は「狂い火の病」に罹患していると考えられる。

 

シャブリリや狂い火の病の者たちも聖歌隊と同じように、「瞳(主観)こそ宇宙(世界)だ」と見えていた。

他人が「讒言」とするものは本当に讒言だったのか。

そう考えるのも面白いし、讒言かどうかは関係なく「客観よりも主観を尊重する人間は、忌まれる」と考えるのも面白い。

「認識主体と認識対象のいずれに優位性をおくか」という古くて新しい哲学上の二律背反たる主観ー客観の対立

(引用元:「ソシュールの思想/前書きより」丸山圭三郎 岩波書店)

 

現代の哲学の世界は、大雑把に言えば「神の認識=絶対的、客観的な認識とは何なのか」(認識対象優位)から、「絶対的な対象など存在せず(ゆえに完全に客観的な認識も存在せず)、ただその対象に対する個々の解釈のみが存在する(認識主体優位)」への転換、とそこへの疑問で成り立っている。

「ブラッドボーン」の聖歌隊も、結局は「瞳こそが宇宙である(認識主体優位)」という世界観が行き詰まり追放された。

シャブリリといい聖歌隊といい、「認識主体優位派」はフロゲの世界では疎まれる運命にあるのかもしれない。

 

エーブリエータスが人気だから、シャブリリも「シャブリリこそがエルデンリングの真のヒロイン。みんな、狂い火の病にかかろう」という流れがいつかくる……。

(引用元:「エルデンリング」フロム・ソフトウェア)

のかもしれないが、エーブリエータス、最高に可愛い、ブラボの世界に行ったら聖歌隊に入りたい、脳喰らいになったらどうしよう、と思う自分も、これ(ひどい)にはちょっとハマれない。

 

ただ「歴史上、最も憎悪された男」というフレーズは厨二心をくすぐるし、この微妙なにやけ面も個人的には好きである。マクダネルを思い出す。

ダークソウルⅢの大主教マクダネルが他人とは思えない。

 

なぜ、シャブリリが気になったかと言えば、シャブリリと狂い火は、エーブリエータスや聖歌隊につらなる認識主体優位の系譜であり、それが「病」とされる世界観に心惹かれたからだ、と気付いた。