うさるの厨二病な読書日記

厨二の着ぐるみが、本や漫画、ゲーム、ドラマなどについて好き勝手に語るブログ。

父の話。

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ここ一年、ずっと体調が悪かった父親が今日、緩和ケア病棟に入ることが決まり、手続きをしてきた。

昨日、父と話して感じたことを、急に書きたくなった。

 

いま「彼は早稲田で死んだ 大学構内リンチ殺人事件の永遠」という本を読んでいる。

1972年に革マル派が支配していた早稲田大学の中で起きたリンチ殺人と、その事件をきっかけに立ち上がった学生たちの戦いの記録だ。

これまでこの時代の学生運動は、ごく一部が過激化して一般学生の生活とは離れた場所で内ゲバを繰り返していた、と思っていた。

まさか大学自体が過激派と癒着していてその支配を認めており、大学内で真昼間から重傷者が出る暴力沙汰やリンチが横行していたとは思いもしなかった。

読んでいると、自分がまったく知らない異次元の話のようで、頭がクラクラしてくる。

暴力が一般的な普通の生活からはかけ離れたアングラな世界のものではなく、日常風景としてカジュアルに存在していたのだ。恐ろしい。

 

東大は学生運動が盛んなイメージがあったけれど、早稲田も大変だったんだね。

という話をしたら、母に「あの時代はどこの大学もそんなものだったよ」ときょとんとした顔で言われた。

え? 大学に昼間から鉄パイプを持った集団が闊歩して、敵対勢力だと思った学生を捕まえてつるし上げたり、リンチしたり、教授や学長を拉致して軟禁したりとかあったの?と聞いたら、「そうそう、朝、学校に行ったらロックアウトされて入れなかったり、大学の入り口のところでいつも誰かがアジ演説していたりね」と言われた。

 

その話の流れで、そう言えば、革マル派の指導者ってさ……という話をしていたら、それまで半分意識がなくなりかけていた父の目が突然、カッと開き、

「黒田寛一のことか?」

と力強い声で聞いてきた。

何だかよくわからないが、「黒田寛一」や「本多延嘉」(中核派の指導者)の名前は、父にとって意識を覚醒させるくらい特別な響きがあるらしい。

母や子供である自分の名前でさえ、朦朧とした父の意識をここまで覚醒させはしないだろう(たぶん)と思わせるくらいはっきりした声だった。

 

父親と母親は大学のサークルの先輩後輩だった。

当時、学生運動はまっさかりで、二人が入っていたサークルも比較的運動に力を入れていた……ということを今日、初めて知った。

せいぜいデモにちょろっと参加していた程度だろうと思っていたので、「お父さんは大学を卒業して入った会社で労働運動をやろうとしていた。でも運動に暴力が持ち込まれ出したのを見て、そこで踏みとどまった」とか「私(母)は、学生運動に疑問を持っていた。結局、支配構造は否定せず、その中で自分がいかに偉くなるかしか考えていない人が多かった。だからセクトに入らなくてよかった」などと言うのを聞いて、ええええっとなった。←いまココ。

踏みとどまってくれて良かったよ、ほんと。

 

「彼は早稲田で死んだ」で描かれたような学生運動の話は、自分にとっては見たこともない、だから何だかまったく実感がわかない異次元の話のように思える。

「時代」とか「社会」とか、そういう概念の話だ。

だけど父と母にとっては、自分たちがその中に存在した日常であり、生きてきた人生の一部であり、ネガティブな部分も含めて青春だったのだ。

 

60年代から70年代初頭の学生運動には、どこか他の事象にはない薄暗さを感じる。「後味の悪さ」と言っていいかもしれない。

「彼は早稲田に死んだ」の中でも、当時、早稲田で革マル派の指導者的立場にいた田中敏夫が、運動から離れて故郷に帰った後、

「集団狂気に満ちていた」

「ドストエフスキーの『悪霊』の世界だった」

「全く意味のない争いだった」

「彼らは、川口君を少し叩いたら死んでしまったと言った。だけど、そんなことはあり得ない」

「すべて私に責任がある」

と言っていたという話が出てくる。

 

父からそういう「薄暗さ」を感じたことは一度もない。

だけど「黒田寛一のことか?」と言ったのを聞いた瞬間、この人には自分が知らない部分、理解できないだろう部分、理解されたくないだろう部分があるのでは、と感じた。

間違いなくこの人の一部なのだろうけれど、「自分の父親」の部分とは関係がない部分であり、感覚的な話をするなら「関係なくしよう」とした部分だ。

 

父は自分の存在の奥深くに結び付いてるものを、子供にも伝えずに死ぬ。

本人だって、自分の中にそんなものがあると思っていないのかもしれないし、誰もが自分だけの何かを抱えているだろう、それが当たり前だと思っているのかもしれない。

 

父は「もう何があってもおかしくない」と医者から言われている現在、宝くじを買っている。昨日そのことを知って驚いた。

それを生きるよすがにしようとか、「死ぬ間際の人が宝くじを買うはずがない」というミステリー小説の自殺偽装によくあるような話ではない。

元々、宝くじを買い、当選番号を見ることが好きなのだ。

自分の中で共産主義と宝くじはどう頑張っても結びつかないのだが、父の中では特に矛盾はないのだ。いやあるのかもしれない。よくわからない。

宝くじを買い、今後読む予定の長い読書リストを壁に張り、医師に会う予定をプリントアウトしておく。

「死」というものさえ、この人の行動を変えないのか、ということに感心して生まれて初めて父を尊敬した。

生きるということは先のことを考える以上に、日常の行動の淡々とした積み重ねで出来上がっている。

それを積み上げることが出来なくなった時に、自然と終わるものなのかもしれない。

 

ところで自分は、生まれてから一度も宝くじを買ったことがない。

当たるかどうか以前に、買うのが面倒くさい。当選番号を見るのも面倒くさい。もっと言うと「当たるかどうか」と意識するのが面倒くさい。だから買わないし、好きではない。

死ぬ直前に、生きるよすがとしてもしかしたら買うかもしれない。

でもどちらかと言うと、買わないでいたい。

 

これは自分の父と、その父の子供として生まれた自分の話なので、「親子とはこういうものだ、生きるとはこういうことだ」という普遍的なことは余り関係がない。

ごくごく個人的な話だ。

父と私は違う人間だった。でも親子だった。

そういう当たり前のことを書きたくなったので、ちょっと書いておこうと思った。