NHKスペシャル「ビルマ 絶望の戦場」を見た。
有名なインパール作戦が失敗に終わった後、ビルマで一年間続いた撤退戦の詳細を追っている。
太平洋戦争は「絶望の戦場」ばかりだが、ビルマ撤退戦も悲惨なものだった。
当時の日本軍指導者に欠けていたのは、「現実を現実と認識する誠実さ」ではないか。
ビルマ方面のイギリスの司令官だったウィリアム・スリムは、「日本軍の軍指導者には『道徳的勇気』が決定的に欠けている。自分が間違いを犯したこと、計画が失敗して練り直しが必要であることを認める勇気がない」と指摘している。
「この当時の日本軍指導者には、何か共通したものが欠けていた」というのは自分もそう思う。ビルマ戦だけではない。ノモンハンでもガダルカナルでも太平洋戦争全体の図式でも、ほぼ同じ問題が起こっているからだ。
ただ欠けていたのは、「現実を見れば、合理的にはこう決断すべきことは分かっている。しかし、そう認めてしまうと自分が間違っていたことを認めなければならないから出来ない道徳的勇気の欠如」ではなく、「現実を現実として認識する能力」ではないか。
自分の鼻の先につきつけられるまで現実を現実と認識できず、突きつけられた瞬間のみの感覚で反射のように動く。
現実を認めると、その認識した現実に基づいて色々なことを考え直さなくてはならない。
それが面倒だから、「今まで通りの観測で大丈夫」と思いたい気持ちに流され、考える手間を省く。従軍していた将兵が憤っている通り「全てが行き当たりばったり」になる。
「正常性バイアス」が近い。
「部下と民間人を置き去りにして自分だけが撤退すること」が「筋が通る」と思えるのは、現実を現実と認識しないから。
インパール作戦が失敗に終わり、日本軍は半年後にイワラジ河に防衛線を敷く。
兵力は英軍26万に対して日本軍は3万だ。
日本軍兵士はインパールの敗残兵で消耗しきっていて、制空権も取られている。
目的は、司令部のあるラングーン(現ヤンゴン)の防衛のための時間稼ぎ、ということになっている。
だが南方軍全体では、ラングーンは戦略的価値がないため既に見捨てられている。
見捨てられている場所を守るために、3万で26万の軍勢を食い止めるのだ。
しかもこの時点で、ラングーンを放棄するともはっきり決まっていない。
戦略的に価値がなく、防衛も困難だと判断しているにも関わらず、南方司令部からはラングーンを死守しろという命令が来る。無茶苦茶だ。
さらに、イワラジ河では軍が敗退すると、司令部は兵士と民間人にはそこを死守しろと命じてタイの国境付近まで突然撤退する。
戦後、司令部はなせ撤退したのかと尋問されると、ビルマ司令官は「南方軍司令官からはラングーンを最後まで防衛するように言われたが、それは無理だと思ったので指示に従えなかった。ラングーンを放棄するという私の決定は、筋が通っている」と答える。
南方全体では見捨てているのに、ラングーンを死守しろと命じる南方司令官。「放棄する」という自分の判断は正しいと言いながら、部下には「死守しろ」と命令を下し自分は逃げるビルマ司令官。どちらも矛盾だらけだ。
しかもこれだけ筋が通っていない行き当たりばったりのことをしながら、「筋が通っている」と言う。
自分の身に「現実」が迫らない限りは、「現状を維持出来るはずだ」という希望が現実だと信じ、考え続けることを放棄する。いざ「現実」が目の前に突き付けられたときに、その場のみの対応をする。
「目の前に現実が迫っていない時は、現状維持できるはず」と兵士に戦いを命じ、自分自身に実際的な危機が迫って初めて「防衛は無理だ」という現実を認識する。
しかし他人に対してはその認識は働かないから、「現状を維持しろ」と命じる。
そういう物の見方ならば、「筋が通っている」のだろう。
「考える」という責任から逃れるために、認識を曖昧にしておく。
イワラジ河の防衛戦にしてもその後のビルマの残留戦にしても、司令官たちは戦後の英軍からの尋問では「無理だと思っていた」「全滅すると思っていた」と答えている。
この答えが、「無理だと分かっているがどうしようもなかった」という意味とは思えない。
「無理だと認識してしまうと、考えを修正したり、意見を言ったりしなくてはならないから、認識しないようにしておく」
考えないといけないという責任から逃れるために、認識を曖昧にしておいた。
「どう物事を把握していたのか」ということを答えざるえなくなって初めて、「無理だとわかっていた、ということを自分の認識として固定化した」のだと思う。
①自分の身に「現実」が迫らない限りは、「現状を維持出来るはずだ」という自分の希望が現実と信じて、考えることを放棄する。
②いざ「現実」が目の前に突き付けられたときに、その場のみの対応をする。
③面と向かって問われた時に、漠然とはわかっていたが目をそらしていたにも関わらず、「自分はわかっていた」という認識を事実だと思い込む。
④「目をそらしていたこと」が重要だが、「わかっていた」ということを拡大し、「わかっていたがどうすることも出来なかった」と事実を作り替える。
認識したくない現実は認識せず、認識せざるえない現実は微妙に作り替える。「そのままの現実を受け入れようとする強さや誠実さ」が根本的に欠けている。
自分から見ると、日本軍の指揮官には全体的にこういう傾向がある。
わかっているのに、その不誠実さを受け入れてしまう「場の現実」の恐ろしさ。
ビルマ司令官田中新一は
「戦史の教訓に基づき、悲惨な時ほど強硬に押さねばならない。こちらが苦しい時は向こうも苦しい。だから押すのだ」
という考えに基づき、「目的がない」イワラジ河の戦いを決意した。
26万対3万の戦いを「こちらが苦しい時は向こうも苦しい。だから押すのだ」という発想でやる、ということに開いた口が塞がらない。
だがもっと驚いたのは、当時の参謀たちもそう思っていたことだ。
参謀たちは戦後のインタビューのテープで、「まったく何を言ってやがるんだと思っていた」と話している。
飲み会で上司のことをあげつらうような暢気さで、前線で戦うことを強いられた兵士たちの血反吐を吐くようなインタビューとの落差がすさまじい。
ドキュメンタリー全体で一番印象に残ったのは、司令部の「不誠実さからくる恐るべき無能さ」よりも、それを馬鹿にしながら受け入れた人たちだ。
現実を認識しないために威勢のいいことを叫び「何かをしたふりをしている」司令官たちと、「何を言ってやがるんだ」と馬鹿にしながら、その論理に結局は従う参謀たち。
この両者が共謀して作り上げた「場」を、この当時の日本軍の指導者たちは「現実」として認識していた。
彼らの欠陥は、この「場」が作り上げるものを現実以上に「現実」として優先させたことではないか。
日常でもこういう現象はよくある。
その「よくある現象」が、条件が変わると十何万の人を無意味に死に追いやるものになる。その恐ろしさが身にしみた。
続き。