*本記事には原作及び漫画版「十角館の殺人」の重大なネタバレが含まれます。未読のかたはご注意下さい。
*原作未読の人はもちろん、原作ファンにもぜひ読んで欲しい。全五巻。
漫画版「十角館の殺人」が完結していたので、未読だった四巻と五巻を購入して読んだ。
エラリイの恰好良さが異常。
松浦さんのまさかの名探偵ぶりに驚いた。
原作の咬ませ犬ぶりが嘘のようだ。
「犯人は君だね」
(引用元:「十角館の殺人」5巻 清原紘/綾辻行人 講談社)
殺されたルルウの眼鏡をかけるエラリイ。
「……張り切っていたのにな、編集長」というセリフと相まって、二人の仲の良さが想像できる。
(引用元:「十角館の殺人」4巻 清原紘/綾辻行人 講談社)
何人仲間が殺されようが推理ゲームを楽しんでいるようにしか見えない原作のエラリイの迷探偵ぶりには失笑しか浮かばなかった自分も、漫画のエラリイの恰好良さには惚れ惚れした。
ヴァンに千織を殺したと指摘された時も、「だから、他の奴らは関係ない。僕一人だけを殺せば……それで済んだんだ」という自虐的なほどの責任感の強さも、「え……? 誰?」と思うくらい別人だ。
ヴァンのキャラ造形も良かった。
原作のほうはヴァンのキャラクターがそこまで深堀りされていない。
そのため、いくら恋人が殺されたとはいえ、これまで友人だった人たちを殺人を計画して皆殺しにするという心境はいまいち納得しづらかった。原作はそこが要点ではないので別に欠点ではないのだが。
だが漫画版は、ヴァンが計画の途中で悩んだり、精神的に追い詰められておかしくなっている様子が見てとれる。
犯人であるヴァンは、被害者たちを閉じ込めるためのクローズドサークルを作った張本人なのに、誰よりもその輪に囚われ、逃れられなくなってしまっている。
(引用元:「十角館の殺人」5巻 清原紘/綾辻行人 講談社)
「殺人は、それを犯した人間を永遠に変えてしまう」(©「幽麗塔」)呪いのようなものなのだ。
漫画は原作とは違い、千織はエラリイたちが死に追いやったわけではない。海に落ちたことによるショック死だった。
「勘違いで大量に人を殺してしまった」
エラリイは、そういう業をヴァンに背負わせないために千織の死の真相を最期まで言わなかった。
非人間的なほどクールに見えて、仲間思いで情に熱くて責任感が強い。
そうしてそういうエラリイが中心にいたグループ、ということは、多少軋轢やすれ違いはあっても、なんだかんだ気が合い、仲が良いから一緒にいたのではと思うと、余計に真相の残酷さが際立つ。
主要な部分は変えていないのに、まったく別の話にみえる。
漫画版「十角館の殺人」は、原作のミステリーとしての面白さ、背景の不気味さを残しつつ、メインはミステリー研究会の面々の人間模様と誤解からくるすれ違いの残酷さを描いている。
自殺を図ったヴァンを江南が助け、「ここで死ぬなんて許さないから」と言う原作とは違う結末も、「青春と友情の物語」の側面があった漫画版にふさわしいものだった。
もっと言うと話自体がまったく同じことを描いていても、ミステリーではなく、「仲間たちの微妙なすれ違いや罪悪感の掛け違えが悲劇を生んだ青春群像劇」になる可能性すらある。(略)
同じことを描いていても、描く角度によってジャンルさえ変わってしまう、というのは面白い。
(漫画版「十角館の殺人」2巻感想。コミカライズの面白さは、作画者の解釈が楽しめるところ。 - うさるの厨二病な読書日記)
二巻を読んだ時点でこう書いた自分を、自分で褒めたい(鼻高)
ほとんど筋は変えていないのに、演出や見せ方の違い、ちょっとしたキャラや台詞の変化で、まったく別の話のようにみえる。
原作を読んでいるからこそ驚く展開の違い、別の楽しみかたが用意してあるのが嬉しかった。
「十角館の殺人」のコミカライズとしても、オマージュとしても大満足の面白さだった。
原作は、当時流行だった「人間の背景や内面を重視する社会派ミステリー」に対置される、謎やトリック重視の「新本格」というジャンルを打ち立てた。
そういう歴史と背景があるからこそ、漫画版が描いたキャラの人間性や関係性を深く掘り下げた人間劇が、より印象的に感じられた。