「アベプラ」でひろゆき氏の辺野古取材を放送 “座り込み”めぐる議論で怒号が飛ぶ場面も…(スポニチアネックス) - Yahoo!ニュース
話題になっているのでちょっと見てみたが、開始五分くらいで頭が疑問だらけになった。
自分が見た冒頭の流れ。
①ひろゆきが「座り込み場所」に行ったときに、誰もいなかったから看板の前で写真を撮り、「座り込み抗議が誰もいなかったので、0日にした方がよくない?」というツイートをして帰って来た。
②ツイートに対する反応の中で「座り込みは工事車両が来る9時、12時、15時に合わせて行われます」というものがあったので、次の日の15時に再び座り込みの場所に向かった。
③反応の通り、座り込みの人たちがいたので、ひろゆきが素通りしたところ、その人たちの一人に呼び止められた。
④ツイートについて、「座り込み」の定義について議論?になる。
ひろゆきは「看板が座り込みではなく、『抗議行動』という文言だったら特に文句はない」という主旨の発言をしている。
(21:45辺り)「抗議行動3011日目だったら(ここで相手のかたの声で遮られているが、「わかる」と続くニュアンスに聞こえる)」
(22:20辺り)「それは座り込みじゃなくて抗議行動です」
「抗議行動が建前になっているか否か」「その有効性」すら争っていない。
それが「抗議行動であることは認めて」おり、その抗議行動の内容が「辞書の定義通りの座り込みであるかどうか」だけを争っているのだ。
これにはびっくりした。
本当に「抗議行動をしている人たちの行動の内容が、『座り込み』の定義に当てはまるか」だけを争っているのか?
「抗議行動は抗議行動であると認めても、その内容が『座り込み』に当てはまるかどうか」は、自分にはわからないだけでとても大事なことなのかもしれない。
ただここでもうひとつ疑問がわく。
なぜ「座り込みは工事車両が来る9時、12時、15時に合わせて行われます」という指摘を受けて、翌日に見に行ったのかということだ。
ひろゆきの主張を聞くと、「前日に自分が見に行った時に座り込んでいなければ、翌日の15時に座り込んでいようがそれは『座り込み』ではないのだ。
だから確認しに行く必要がない。
では、相手に「これは『座り込み』ではない」ということを納得させに行ったのか、というとこれも違う。
何故なら、相手に呼び止められるまで素通りしているからだ。
「今日の15時に人がいようが、前日に自分が行ったときに座り込みしていなかったらか座りこみでないことには変わりがない。そのことを相手に主張しに行ったのでもない」
それなら翌日の15時に座り込みの現場には、何のために行ったのだろう?
ナレーターも「ということで、改めてもう一度訪ねることにした」と言っているが、何のために翌日に行くのかは説明していない。
これも不思議だ。
「こちらの確認不足」「情報提供があったからもう一度事実を確認しにいく」なりの説明があっても良さそうなものだが、一切ない。
「ということで」と言っているが、「どういうこと」かが視ているほうにはわからない。
繰り返すけれど「翌日の15時に座りこみをしている人がいたとしても、ひろゆきの定義では『座り込みをしていない』ことに変わりはない。つまり、自分の主張の判断材料とはならない。その人たちに「これは座り込みではない」という自分の考えを聞いて欲しかったわけでもない。
なぜ次の日に現場に行ったのか?
①自分の判断を覆す材料とはなりえないのに、わざわざ座り込みをする人がいるか見に行った。
②座り込みをしている人たちに考えを話すわけでもなく、呼び止められるまでは素通りした。
③呼び止められたあと、「抗議行動とは認める」が「辞書通りの意味の座り込みではない」という議論を始める。
「座り込みの定義」について意見を聞きたければスタッフやホテルの人、道行く人に聞けばいい。
「看板に書かれた座り込みの定義を聞きたい」のであれば、素通りした理由がわからない。
とりあえず見た限りだと、この番組は「座り込み」の辞書の定義を学ぶためのものだ、ということがわかったが、「座り込み」の意味を学ぶ前にひろゆきの行動の意味をちゃんと見ている人に説明したほうがいいと思った。
行動の意味がわからなすぎて、観ていて混乱した。
あと言葉の定義は大切だと思うが、それを学ぶために抗議行動をしている人を巻き込むのはどうかと思う。
スタジオに辞書を持ち込んでやれば十分だと思うが、どうなんだろう。