*ネタバレ注意。
この記事で書いた通り、「エルデンリング」で一番好きなキャラは「黒き剣のマリケス(獣の司祭グラング込み)」である。
マリケスのどこが好きか? と聞かれると「全部」だ。その「全部」の中身である、どこがどう好きかを細かく語りたい。
好きなポイント① 第二形態のビジュアルが滅茶苦茶カッコいい(語彙力)
マリケスの好きな点のひとつめは、第二形態のビジュアルの美しさだ。
ぬいぐるみみたいなグラングが、左手に埋め込まれた死のルーンの封印を解き、黒剣を引き抜く。そしてローブを脱ぎ捨てると、
(©フロムソフトウェア)
これである。
初見ではムービーの余りのカッコよさに言葉を失いぼんやりしているあいだに、瞬殺された。
戦闘モーションは、「深淵歩きのアルトリウス」「深淵の監視者」「奴隷騎士ゲール」の系譜の動きだ。
つまり滅茶苦茶カッコいい。
以前、ソウルシリーズで好きなボスキャラアンケートを見た時、アルトリウスや監視者が好きな人は厨二っぽい人が多いと聞いた。
そりゃそうだ。あのモーションに厨二が痺れないわけがない。
死のルーンの波動や爆発が、カッコ良すぎ。(興奮)
アクションは素早くド派手なのに、BGMはどこか物悲しいところもいい。
好きなポイント② 「デミゴッドの運命の死」という強さ
そのカッコよさに違わず、マリケスは強い。
女王マリカの忠実な義弟にしてその剣に運命の死を宿したマリケスは、すべてのデミゴッドの怖れであった。
YouTubeでマレニアと全ボスを戦わせるという動画をあったが、勝てたのはマリケスだけだった。
つまり全ボス中一番強い。*1
好きなポイント③ 第一段階のビジュアルと言動が可愛い。
二段階目が滅茶苦茶強くカッコイイのに、一段階目は大きなぬいぐるみのようなところもそそる。
「ちょうだいちょうだい」という欲しがりなところや、ちょっとおかしなことをすると「ごめんなさい、もうしない、しょぼん」とするところも良い。(脳内で捻じ曲がった妄想)
臭う、死だ…。
喰らわせろ。
褪せ人、もっと、死を持ってこい。
我が瞳を、爪を、くれてやる
もっと喰らわせろ。
やめてくれ。
もう忘れない、我が罪、渇き。
だから、やめてくれ。
(©フロムソフトウェア)
大筋は間違っていない。可愛い。
「死のルーン」つながりでは、暗殺者でありママでもある、というニッチすぎる属性を持つアレクトーも捨てがたい。
だがやはり、可愛い着ぐるみを脱ぎ捨てると中身は強く美しい獣というマリケスのほうに軍配が上がる。
好きなポイント④ 周りにいるほぼ全員から裏切られておかしくなっているところ。
マリケスの最も大きな魅力は、その悲惨すぎる背景設定だ。
*ストーリーはこんな感じで考えている。
【「エルデンリング」ストーリー考察】「陰謀の夜」と「巨人の火の釜」のエピソードの類似性から、世界の全体像を探る。 - うさるの厨二病な読書日記
黄金律は本来、トライ&エラーを繰り返し、永遠に連環し続けることが可能なシステム「完全律」を目指すものだ。
その中のエラー(ゲーム内で起こるイベント)の数々を視認する「視座の揺らぎ」を無くした場合にあらわになる、「効率化を目指す無味乾燥な作業」こそがこの話の本筋では、と思う。
「エルデンリング」は継ぎ目なく自律的に永遠に駆動する世界システムのことであり、黄金律の破壊と再生もこのシステムを確立するためのイベントとして組み込まれている。
褪せ人がノーマルエンドを選んだ場合、黄金律の連環を繰り返しているだけ、フィアエンドや完全律エンドは黄金律に別の可能性を組み込むことで、よりシステムを強固にしている。(二本指の意思に沿うエンド)
ラニやライカードは、世界システムを構築すること自体を拒否している。
「黄金律」は坩堝や混種、死のルーンなど余計なものを律から弾くことでいったん完成した。
だが世界のシステムは、完成して完結してしまったら破綻するしかない。そこからさらに高次の次元に行くためには、いったんは出した「余計なもの」を取り込むことで、変化し続けなければならない。(不純なものを出す→黄金律の完成→あえて『不純なもの』を再び取り入れる→黄金律を破壊する→新しい律を生成する、というサイクルによって、システムはより完全になるという考えなのだと思う)
「黄金律」を完成させるために、いったん死のルーンを除き、マリケスに押し付ける。そのあとより高次の律にすることが可能になった段階で黄金律を破壊するために死のルーンが必要になる、そのために死のルーンを盗んでゴッドウィンを殺した。
マリカ=ラダゴンは黄金律が具現化した存在なので、人としての感情を求めても仕方がないが、マリケスを物置程度にしか考えていない。
マリケスはこの仕組みに薄々気付いている。
影従であるマリケスが「マリカ=ラダゴン」、つまり「黄金律とは何なのか」ということに気付いていないとは考えづらい。
「黄金律が連環するためのイベント」としてマリケスが死のルーンを死守すること、マリケスから褪せ人が死のルーンを奪うことはあらかじめ設定されている。
マリケスが「マリカ=ラダゴン=黄金律」の目論見に何となく気付いていながら、死のルーンを集め、守ろうとするのはそのためではないかと思う。
グラングイベントをこなした後の驚きぶりを見ると、「何も気付いておらず、ひたすら死のルーンを一生懸命守っていた」という説も捨てがたい。
あんなにカッコいいのに、ちょっとアホの子という設定も萌える。
ただ「マリカの目論見に気付いていたら、ここまで尽くさなかった」という可能性がある設定よりも、「何もかも気付いているからこそ、これ以外のルートはどこにもなかった」という悲劇性のほうがマリケスらしい。
マリカはマリケスのことなど便利グッズ程度にしか考えていない。
それが分かっていても、自分のすべてを「マリカの黒き剣」であることに託しているところ、その称号の無意味さに殉じているところが、自分の中でマリケスの強烈な萌えポイントだ。
マリケスの次に好きなのはモーゴットなので、「全身全霊でどん詰まりの負け戦をするキャラ」が好きなのだろう。
結論:やはりすべてがカッコいい。
「エルデンリング」のストーリー自体が、高次元の視座から見た時は、壮大な出来レースである。
マリケスは、高次の次元から見た下位世界の些末な変化の意味のなさ、その卑小さ、惨めさを一身に背負ったキャラだ。
マリケスがどう頑張っても、黄金律は戻らない。マリカを含めて誰もそんなことは望んでいない。
無駄な頑張り、無意味な忠誠、報われることのない献身、既に決まっている未来。*2
壮大な世界の因果律から見れば、小さな個人の思いなどすべて無意味なのだ。
マリケスはその無意味さをわかっていてなお、全身全霊を賭けて戦う。
利用されていることは百も承知で、そのことに最初から意味など何もなかった、裏切られることすら覆せない運命で決まっているとしても、マリケスは「マリカの黒き剣」なのだ。
「大いなる意思」から見れば、神であるマリカもデミゴッドも人間も褪せ人も、世界を構築するただの駒に過ぎない。
運命や因果律の前では、その思いや生き様など何の作用もしない。
だが高次の次元から見たら何も意味のないちっぽけな存在だとしても、「その意味のなさのために戦うのが自分なのだ」という自負が、あんなにもマリケスを気高く見せていると思うのだ。
★ちょっと追記。
今日も朝っぱらからマリケス戦を見ていて、ふと思いついた。
マリカは「黄金律(自分自身)を破壊する」高次の律(運命)から逃れられない。
マリケスはマリカの中に埋め込まれた「自らを破壊する」という運命から守りたかった。
「マリカよ、済まぬ。黄金律はもう戻らぬ」
は、それが世界システムに則ると正しいことだと分かっていても(マリカが自らそうするように設計されているとしても)「マリカ(黄金律)を守りたかった」ということだと考えるとだいぶ萌える。
色々考え合わせると、これが一番妥当な気がする。