本郷和人の「承久の乱ー日本史のターニングポイントー」を読んだ。
「鎌倉殿の13人」が始まるから書かれた本なのかなと思ったら、ドラマの情報が何もない段階で出版されたようだ。
ぼくはそもそもが、鎌倉時代を専門とする研究者です。(略)
でもこのあたりのことって、なかなか大河ドラマにもならないし、大ヒット小説もないので、みなさんには縁が無い。(略)
北条義時、だれそれ? まあ、その程度です。
(引用元:「承久の乱ー日本史のターニングポイントー」本郷和人 P216 ㈱文芸春秋/太字は引用者)
初版が2019年の1月なので、逆にこの文にインスパイアされてドラマが構想されたのではと疑うレベルのタイムリーさだ。偶然だとは思うけれど。
驚くくらいわかりやすい。
あとがきでは「『おもしろく、わかりやすく』書けたらいいな」(P217 )と書かれている。
そうは言っても研究者が書く本だし、と思うが、驚くことに本当にわかりやすくてスルスル読めてしまう。
例えば武士と朝廷と幕府の関係は、制度の形式と実質が違うこともあって複雑だが、複雑さの説明のしかたが単純化されてわかりやすい。
「聞く相手の理解力に合わせてアウトプットできることが、『その知識を理解している』ということだ」
「相手の知識に合わせて、言い方を選べる、情報の取捨選択やブラッシュアップが出来る、というのが、その知識を自分の物にしているということだ」
そういうことがよくわかる本だった。
なぜ「承久の乱」で、朝廷はあっさり惨敗したのか。
自分がこの本を読んだのは、「結局『承久の乱』とは何だったのか?」を知りたかったからだ。
後鳥羽上皇から幕府にいわば「喧嘩を売って」おいて、抵抗らしい抵抗も出来ないまま全面降伏し、自分を含め上皇三人が武士に島流しにされる。
これだけを見ると、一体何をしたかったのかがさっぱりわからず、後鳥羽上皇はただの無能にしか見えない。
しかし後鳥羽上皇は、皇家の中では文武を備えた稀に見る上皇だったと言われている。
後鳥羽上皇は文武ともに卓越した能力の持ち主として広く知られていました。
そうした個人的な能力だけではありません。後鳥羽上皇は経済的にも、そして軍事的にも非常に強力な基盤を築いていたのです。
(引用元:「承久の乱ー日本史のターニングポイントー」本郷和人 P98 ㈱文芸春秋)
「承久の乱」の敗因は何だったのか?
そもそも朝廷側に勝算はあったのか?
勝算はあったが、何か計算違いが生じたのか?
後鳥羽上皇は何を考えていたのか?
そういうことが知りたかった。
この本で一番良かった点は、「後鳥羽上皇からは世界がこう見えていたのか」ということが体感できたところだ。
歴史書は大抵俯瞰的に書かれているので、後世に生きている今の自分の視点で終始してしまう。
理屈としては「なるほど、こういう情勢でこう考えたからこうしたのか」ということが分かっても、「でも結局はこうなったよな」と結果論に着地して終わってしまいがちだ。
この本はまず歴史的な資料に基づいて「こういう情勢でこういう構図だった」と説明する。その状況の中で後鳥羽上皇はこう見ていてこう考えたのではないか、そうしてなぜそう見えたのか、そう考えたのか、そう判断したのか、その根拠も説明してくれる。
その状況の中にいた後鳥羽上皇の視点がインプットされるので、その考えや判断に「これなら自分もそう判断したかもな」と納得がいく。
鎌倉幕府は「頼朝とその仲間たち」だった。
「承久の乱」で朝廷が短期間で全面降伏に追いやられた一番大きな要因として、本書は「朝廷(西)と幕府(東)とでは権力構造が違ったこと」を上げている。
朝廷は「地位の論理」によって組織の仕組みが出来上がっており、幕府は「人の論理」によって仕組みが出来上がっていた。
後鳥羽上皇(朝廷)は、自分たちが高い地位にあるから武士たちは命令を聞くと考えていた。実際に朝廷は、「高い地位に権限が付随する」その論理で一貫した組織だった。
それに対して幕府は、「頼朝が自分たちの土地を守ってくれるから(実際的な力があるから)、将軍として立てていた」
頼朝の作った政治体制の実態をひと言で言い表すとすると、私が最もぴったりだと考えるのはこれです。
「源頼朝とその仲間たち」。
(引用元:「承久の乱ー日本史のターニングポイントー」本郷和人 P22 ㈱文芸春秋/太字は引用者)
自分がイメージしていたよりも、もっとカジュアルな集まりのニュアンスがある。
仲間たちが自然にリーダーを決めてその下で秩序を作る。言うなれば地元の自治体のような、完全な寄合所帯だったようだ。
「頼朝とその仲間たち」というイメージが頭の中に定着すると、その後の「鎌倉幕府」とはどういう組織だったのかという説明の詳細も、スルスルと頭に入ってくる。
頼朝がつくった鎌倉幕府は、同じ幕府でも、たとえば江戸幕府とはまったく違います。
江戸幕府はいわば完成された世襲官僚組織です。(略)
鎌倉幕府とは、一言で言えば、この保証人ならぬ保障人・頼朝と主従関係を結んだ仲間たちが、東国に築き上げた安全保障体制なのです。
(引用元:「承久の乱ー日本史のターニングポイントー」本郷和人 P22-23 ㈱文芸春秋/太字は引用者)
坂東武者たちがどんな目的で、何を考えてどんなモチベーションで動くか、その性質が分かる。
「鎌倉殿の13人」でも義時たちは坂東を自分たちの手で治めたい、と繰り返し言っていた。畠山重忠が最終的に舅の時政と敵対した(せざるえなかった)のも、土地問題は坂東武者にとって文字通り死活問題なのだと、その論理を実感できる。
朝廷と幕府、それぞれに付き従う武士の違い。
幕府の武士たちは自分たちの土地を守るために、いわば自分たち自身の利益のために戦う。
一方、朝廷の武士たちは、守護から輪番を命じられて仕方なく朝廷に赴く者たちが戦に駆り出されていた。
戦へのモチベーションがまったく違う上に、上皇と武士たちのつながりも組織の中の上下関係に過ぎなかった。自分たちの土地を守るという利害や共感とも無縁だった。
もうひとつ重要なのは、幕府と朝廷におけるリーダーシップのありかたの違いです。(略)
上皇と武士たちの身分が違い過ぎて、直接、会話を交わすことが出来なかったことです。
(引用元:「承久の乱ー日本史のターニングポイントー」本郷和人 P199 ㈱文芸春秋/太字は引用者)
後鳥羽上皇は、自分のために戦う武士たちのことをよく知らず、生まれた時からその中にいる「権威による組織の論理」を疑ったこともなかった。
こればかりは後鳥羽上皇の立場であれば仕方がない。
そういう視点で見ると「自分が居丈高に命じさえすれば、幕府も従うのでは」と思い、戦になっても十分兵を動員できる、何なら幕府には武士は集まらないのではという目算があったのも理解できる。
それに対して、幕府は頼朝は挙兵時から目的もモチベーションも一貫している。
このとき、決定的な局面が訪れました。
このまま軍を京都へ向かわせようとした頼朝の前に、千葉、上総、三浦義澄といった面々が立ちはだかかり、それを止めるのです。(略)
頼朝は京都で少年時代を過ごした京都人です。都の豊かさも知っている。平家を打ち払い、朝廷を中心とする政治体制から莫大な利得を手にするという選択肢もあったはずです。
しかし、彼はこの進言を受け入れました。(略)
「武士の、武士による、武士のための政権」の道を選んだのです。
(引用元:「承久の乱ー日本史のターニングポイントー」本郷和人 P35-36 ㈱文芸春秋/太字は引用者)
頼朝は政治感覚がそうとう優れた人だったんだなと思う。
武士たちが何を求めいたか、自分の権威や権力の源泉が何だったのか正確に見抜いている。
まとめ:ひと言で要点がパッと理解できる。
本書は「承久の乱はなぜ起こったのか」→「上皇が十分幕府を、自分の権威で押さえつけるられると思ったから」→「では、なぜあんなにあっさり負けたか」→「朝廷と幕府では組織の構造が違い、それを上皇は武士たちと接する機会もなかったのでわからなかったから」→「それに対して幕府は、そもそもの成り立ちが武士の利害によって成り立っているから」と、一言一言でパッパッと理解がつながる。
そうして「では武士たちはそもそも、なぜ自分たちを守ってくれる集団のリーダーを必要としていたのか? 荘園の成り立ちや警備体制はどうなっていたのか?」ということも説明されている。
これ一冊で承久の乱の背景にある、この時代の武士社会の構造はどうなっているかが理解できるようになっている。
それぞれの人物評のようなものがたまに出てきて、これも読んでいて面白い。
大河ドラマ「平清盛」やアニメ「平家物語」などを初めとして、妖怪めいたしたたかなトリックスターとして描かれることが多い後白河上皇は、
白河上皇や後白河上皇が行った政治の最大の特徴は、理念がまったくないという点でした。「日本をこうしたい」とか「ここを変えたい」という発想がまるで見当たりません。一つだけあるとすれば、自分自身が贅沢をしたい。それだけです。(略)
後白河上皇を、武士たちを手玉に取り、熾烈な権力闘争を勝ち抜いたしたたかな政治家と評する向きもありますが、私は賛同しません。なりゆきまかせ、台頭してきた武士たちにそのつど空手形を出してごまかし、私腹をこやす以外何の目的もなかった人物だと考えます。
(引用元:「承久の乱ー日本史のターニングポイントー」本郷和人 P104-105 ㈱文芸春秋/太字は引用者)
清々しいくらいけちょんけちょんに言われている。
事の経緯をただ表面的に眺めても、確かに理念と呼べるようなものは見て取れない。
国の成り立ちが形式と実質でまったく違う、混沌としたひとつの理では理解しにくい時代だが、そういう時代を知るための入り口としては最適な本だなと思った。
「専門家によるわかりやすい入門書」がもっと増えて欲しい。
日本史研究者にはまだまだ頑迷なところがあって、「一般人に向けて本を書くなど、良心的な研究者のなすべきことではない」と本気で思っている人がたくさんいます。
ぼくは社会に浸透してこそ歴史学だ、と思っているので機会があればせっせと本を書いているのですが、こういう行為は「研究実績」として認められないのが現状です。
(引用元:「承久の乱ー日本史のターニングポイントー」本郷和人 P214-215 ㈱文芸春秋/太字は引用者)
今はドラマだけではなく、漫画でも色々な時代を題材に取り扱っているから、そこから興味を持った人にリーチできないのはもったいない。
入門書が売れれば、その中でもっと専門的な話に興味を持った人が専門書を買う、知識が色々な人に広がることでさらなる研究の意義が生まれる、研究費用も稼げるといいことずくめだと思う。
こういう多くの人が読みやすい本がもっと出てくれると嬉しい。
*義時の子孫・時行が主人公の「逃げ上手の若君」の監修もしている。