うさるの厨二病な読書日記

厨二の着ぐるみが、本や漫画、ゲーム、ドラマなどについて好き勝手に語るブログ。

【映画感想】「罪の声」 前半はスピーディな謎解き展開が面白い。後半は犯人たちの行動に「?」となる。

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*ネタバレあり。未視聴のかたは注意。

罪の声

罪の声

  • 小栗旬
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未解決のまま時効を迎えた「グリコ・森永事件」をモデルにした話。

前半は、一本の糸を引っ張ると芋づる式に謎が次々と明らかになっていくスピーディーな展開が面白い。

冷静に考えれば、いくら事件が時効になって過去の話になっているとはいえ、一介の記者がちょっと調べるだけでこんなに事件の背後や枠組みが明らかになるなら、警察がもう少し何とか出来たのではないか、聡一郎もよく青木組に捕まらなかったな、と思う。

ただこれだけ複雑な話をわかりやすく飽きさせず見せるためには、仕方がないのかもしれない、と納得できる。

 

問題は後半だ。

達雄が考えた犯罪の枠組みは、ニシダから株の売買を教わり、誘拐事件や脅迫事件で株価を操作することで大金を得る。その金を生島が青木組から引っ張ってくる。さらに永田町の人間も資金を提供していた、というものだ。

こういう構図の犯罪を「金持ちに一発かましてやりたい(生島)」「社会や警察に対する怒り(真由美)」「警察に社会に日本に、いかにこの国が空疎であるかを見せつけてやりたかった(達雄)」という理由で計画するのは、どう考えてもおかしくないか?

 

「子供を犠牲にしてまでこんなことをしても、何も意味はなかった」という指摘以前に、永田町(ということは保守系の政治家だと思う)やニシダは、警察や菓子メーカーよりもさらに社会の上層にいる人間だ。

それともそれらの人間たちは「社会に与していないアウトローだから良い」「利用しているだけだ」(利用されただけだと思うが)ということなのだろうか?

この当時だと、過激派と親しくしていたら警察に入れない*1と思うので、生島は「金持ちに一発かましてやりたくて」警察内部に潜り込んだわけではなく、普通に就職したと思う。

警察はおろか民間の企業でも過激派とのつながりを白い目で見られがちだったから、真由美も自分の過去を知る達雄と必死に他人のフリをしようとしたんだよな?

生島も真由美も普通に家族を作って、警察を含む社会に溶け込み生きてきた。その中で突然怒りに火がついて、自分や家族を守る枠組み(社会)をブチ壊そうと思った、真由美に至っては犯罪が不成功に終わったら「壊せなかったから仕方がない」と思ってずっとその枠組みの中で生きてきた、ということか?

阿久津や曽根が指摘する道義的な矛盾以前に、理念的にも……と言うより、利己的な軸でも矛盾している。

むしろ自分の中でどこで整合性を取って、何十年も生きてきたかが不思議だ。

 

脅迫事件の中の細かい部分で言えば、こんな犯罪を目論んでいたのに、仲間たちと一緒に写真を撮ってしまう。阿久津は比較的あっさりその写真にたどり着けたのに、十万単位で捜査員を投入していた警察はたどり着けなかった。

それこそ永田町からの圧力で警察の捜査がうまくいかなかったなら、理念的にどうなんだ……とこの辺り、達雄や生島、真由美がどう考えていたのかが分からず、頭の中で「?」が浮かびっぱなしだった。

何をどう主張しようが、「子供を犯罪行為に利用して、その人生を滅茶苦茶にした」という事実の前には、全てが空疎にしか響かない。

結論としてはそういう話なので、内実の矛盾は些細なことだ、そういうことかもしれないが、多少どころではない支離滅裂さなので気になってしまう。

 

達雄と真由美の開き直りと自己陶酔ぶりはひどく、こいつらには一分の理もない、とはっきりわかるくらいフルボッコにしてもらわなくては気が済まない、少しでもこいつらの心情を汲むような結論だったら自分の中で胸糞映画確定だ。

そう思って見ていた。

蓋を開けてみれば、自分が想像した以上の塵も残さないようなフルボッコぶりだった。

お母さんやない。俺がこの声の罪を背負っていくことになるんやで。

ソフィーはあなたのことを化石だと言った。(略)あなたは今でも1984年のままだ。

あなたがしたことは、子供たちの運命を変えただけです。あなたが子供たちの未来を壊したんです。

そんなものは正義じゃない。

私はあなたのようにはならない。

この先、誰かを恨んでも、社会に不満を抱いても、決してあなたのようにはならない。

完膚なきまでの叩きのめされた達雄と真由美が崩れる落ちる姿を見て、この人たちも自分たちの行動の「空疎さ」が分かっていたから、正しさや理論にすがって化石になるしかなかったのだ、そう彼らの心情にも理解が及ぶ。

 

犯罪の詳細や設定、謎解きが余りにうまくいくところなど気になるところは山のようにあった。

だがこの話は、最後に望の行動や心境に長々と尺を当てていたように、大人たちの支離滅裂な身勝手さに翻弄されながらも、その中で必死に自分の人生を生きようとする子供に光を当てる話なのだ。

極端なことを言えば、犯罪を目論んだ大人たちの計画や心情の矛盾などどうでもいいことだ。

「大人に翻弄された子供たちへの眼差し」というテーマが終始一貫していたところが、この映画で最も好きだったところだ。

 

ずっと活動を続けていた達雄の心境はまだしもわからないでもないが、一番訳がわからなかったのは真由美だ。

家族が出来たら達雄とは他人のフリをし、達雄から「光雄には内緒で協力してくれ」と言われたら、子供を犯罪に加担させる。

身勝手にしても身勝手さが滅茶苦茶すぎて怒りよりも怖さを感じた。

テープもなぜ処分せずに取っておいたのだろう。何か理由を言っていたか?

 

結局、枠組みを壊した後に残るものはもっと大きな矛盾や荒廃でしかない。

そして壊した後の責任は壊した人間は取らない。

(思想の正しさは自分の言動の正しさを保証するものではないのに)「思想の正しさを自分の正しさだと勘違いすると、人間はとんでもないことをする」

 

こういうことがさらに身に染みた話だった。

www.saiusaruzzz.com

 

*1:この辺り余り詳しくないが身辺調査が厳しかったような。