今朝、読んだ「一方通行の家」がめっちゃ面白かった。
*以下ネタバレ注意(未読の人は、上のリンクから先に本編を読むことをおすすめします。)
明確に「おかしい」とは言えないが、奇妙な違和感がある。
この漫画は一読すると違和感が満載だ。
「一方通行をしない人は、消えてしまう家」という表向きの怪奇、そこに特に抵抗なく住んでいる晶以外にも不可解な点がある。
自分が一番引っかかったのは、空き巣が空き巣に見えないところだ。
この物語はこういう違和感がある箇所が多い。
頭で考えれば「違和感があるけれど、決定的におかしい」とは言えない。だが直観的に「何かおかしい」「何かがズレている」そう思う。
男が「空き巣」なのは虚偽である。
空き巣は内藤が消えたあと、「玉守が何かをした」「何かを知っている」とは思わずすぐに協力的になる。
いくら仲間が消えたとはいえ、空き巣が玉守の荒唐無稽な説明を信じて共に行動するのは無理がある。(その「無理さ」に注目させるように、「なぜだか私の話を黙って聞いてくれました」という玉守の言葉が入っている)
空き巣の男は相棒が消えたあとは「空き巣らしさがない」。そして玉守も「空き巣を空き巣と認めたがらない描写」が多い。
(引用元:「一方通行の家」屋嘉壱 集英社)
二人の距離感、表情、会話、何を見ても「同じ目的を持った信頼関係にある仲間同士」に見える。
細かいところだが、「空き巣と被害者」という関係ならば、「こんなところ、さっさと出ていくぜ!」と玉守に向かって言わず、自分一人を鼓舞するために言うと思う。
玉守は侵入時にナイフで脅されているにも関わらず、二人だけになったあとは空き巣に対して緊張感がまったくない。声をかけられてススっと近寄っている。
これは「空き巣が空き巣である」「悪い人だ」という描写が虚偽であり、内藤が消えたあとの描写が二人の本来の関係だからだ。
本来の物語において男は空き巣(悪者)ではないのだ。
「空き巣」は本来的(?)な物語の立ち位置では、玉守の仲間だ。だから玄関から出る時に、空き巣は玉守に「すがろうとした」。
玉守と空き巣は晶によって「一方通行の家」に閉じ込められた仲間であり、玉守は自分だけが助かるために空き巣を見捨てた。
男を見捨てたおかげで助かったから「思い出したくないと考えること」は「卑怯なこと」なのだ。
・玉守と空き巣は二人とも晶によって「一方通行の家」に閉じ込められた仲間で、二人で協力して家から脱出しようとした。そこを晶に見つかったため、玉守は自分だけが助かるために空き巣を見捨てた。
この話の元型はこうであり、この構図を隠すために「犠牲になった男は空き巣という侵入者であり悪者」という表向きの設定が後から付与されている。
扉の窓からのぞく影は誰か。
「空き巣が空き巣ではなく、悪い人でもない」「玉守と空き巣は本来、仲間同士」だとすると
(引用元:「一方通行の家」屋嘉壱 集英社)
これは誰か。
前後の描写から「空き巣」と思ってしまうが、これは空き巣ではない。
空き巣は「悪い人」ではないからだ。
まったく根拠はないが、直観のみで言うと「晶の父」である。
①「空き巣が悪い人」は虚偽である。
②扉の外の明らかに不吉さや邪悪さを持っている人影は「空き巣」ではない。
③このあと登場する空き巣のことを玉守が「晶の父親ではない」と認識する。
この三つの感覚が重なると、扉の外の人影は「晶の父」ということになる。
「一方通行しなければ問答無用で消される」という理不尽なルールを持つこの家は何なのか。
それが↑の「空き巣」に誤認されるように描写された「ドアの窓からのぞく影」であり、「晶の父」だ。
自室なのに、外からのぞけるような仕組みのドアは明らかに違和感がある。
「一方通行の家」は理不尽なルールを強いられ、そのルールを守るように常に監視され、破ると恐ろしい罰(「そう、うん、罰なのかも」と晶が言っている通り)が待ち受けている「父親の支配」の暗喩である。
晶は父親の支配下で生きのびるために母親の死を隠蔽することを初め、多くの犠牲を払ってきた。
玉守は、晶の助けを求める声に気付かないふりをしている。
中学生の時に埋めたものを「幼馴染という理由で」玉守が預かることになることを晶は知っていた。少なくとも推測はしたはずだ。
「玉守ちゃんにだけは話すよって言ったでしょ」は「自分の家のルール→自分を支配し苦しめているものを知って欲しい」という意味である。
物語内の装飾を取り払い行動だけを見ると、晶は明らかに玉守に助けを求めている。
玉守もそのことに勘づいているから、日記を読んだ。
しかし読んでみたら自分には手に負えないことだった。しかもその内容は「仲間を見捨てた」という自分の「卑怯なこと」にも結びついている。
だから「気づかないふり」をして、日記を晶に返して終わらせようとしているのだ。
「観測者」である玉守は、仲間を「悪者」にすることで自分の「卑怯な」行いを忘れ、友達の助けを求める声にも気づかないふりをすることで、何とか自分を守ろうとしている。
これはそういう恐ろしい話である。
「隠蔽するための物語」*1は、普通に読むと読んでいるほうは違和感はあるものの訳がわからないので成り立たせるのが難しい。だがハマると抜群の効果を発揮する。
「物語というフレームでさえ語ることが禁じられること」が、恐ろしさにつながるからだ。
こういう「隠蔽するための物語」が好きなので、もっと読みたい。
*続き。「隠蔽するための物語」について
「私の正しいお兄ちゃん」も「隠蔽するための物語」だった。
*1:造語。