うさるの厨二病な読書日記

厨二の着ぐるみが、本や漫画、ゲーム、ドラマなどについて好き勝手に語るブログ。

読むことが楽しみな面白い本が一冊あれば、けっこう幸せに暮らせる。

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いま読んでいる「暴君~新左翼・松崎明に支配されたJR秘史~」がめっちゃ面白い。

この時代の労働闘争は、組織内の勢力争い、暗躍に権謀術策、社会に対する考え方や革命に対する路線の違いによる対立などがあって、下手なフィクションよりも読んでいてワクワクする。

暴力事件も絡んでいる実際の歴史を辿った評伝なので、「面白い」ということにためらいもあるけれどそれが正直な感想だ。

 

松崎明は黒田寛一の唱えた理論に心酔しつつ、それを自分が生きている国鉄(JR)の労働闘争の現場で実践的なものとして応用している。

「私の場合は、やはり労働運動のリーダーなんですよね。だから、労働運動を無我夢中でやると理論と対立しちゃうんです。(略)

理論的には「絶対反対」ですよ。労働運動の場面でもずいぶん使っています。『絶対反対』って。でもそれは玉砕的な発想ではないんですよね。

ところが、理論を理論として提起する皆さんは一歩も譲ってはいけないわけです」

小野田は松崎のこの発言を引用し、「現場は現場、理論は理論」という言い回しは、「建前としては『絶対反対』の革命主義は崩さないが、現実には具体的な解決を選ぶ改良(妥協)しかないという当たり前のことを語ったということでもある」と解説する。

(引用元:「暴君~新左翼・松崎明に支配されたJR秘史~」牧久 小学館 P98-P99/太字は引用者)

上記の松崎の言葉は、高校を卒業して国鉄に入社して、職種や地域、運動の方向性によって分裂、対立している労働組合がいくつもあり、さらに民営化を経て労使の関係が変化した巨大組織の中で生き抜いてきた人間のしたたかな現実主義を感じさせる。

「現場は現場で、机上の理論とはまた違った理屈がある」

「組織温存」が第一だから、昨日まで「解体」を叫んでいた対立組織の集会に出向いて「しっかりと手を握り合って勝利の道を進みましょう」と言う。

普通の感覚で考えると、昨日までと真逆の言動をすることには忸怩たる思いがあるだろうと思う。だが松崎にとっては、自分が「本当に信じること」以外はどうでも良かったのだ。

「自分が本当に信じること」以外はいくらでもで辻褄を合わせられ、「コペルニクス転換」もできる。

「信念が強い人」というのは、人から見れば逆に柔軟(穏当な表現)なのかもしれない。

 

そばにいたら厄介そうだと思うし、個人的には好きになれそうにないタイプだけれど本の中の人物像(キャラ)としてはとても面白い。

後半を見ると、自分がその理論にのめり込んだ黒田寛一を中心とする党中央とも対立するようだ。

これからこの人物がどうやって、巨大なJRという組織を「支配」してどういう運命を辿るのか楽しみだ。

 

先が楽しみな面白い本(ゲームでもアニメでもドラマでもいいが)があると、「あと450ページもこの世界に浸れる」と思うだけで日常生活も楽しくなる。多少ストレスや憂鬱なことがあっても、それひとつで幸せになれてしまう。

昔からそうだった。

自分の子供のころの夢は、お金や時間を気にせず、好きな本やゲームを好きなだけ買って、読んだりプレイすることだった。興味を持ったコンテンツはすぐに買えて、一日のんびりとそれを楽しめたらどんなに幸せだろうと思っていた。

「さほど大きな悩みがなく、好きな本やゲームに囲まれて過ごす」だけで、果たして自分は楽しく幸せなれるだろうかという一抹の疑問があったが、その夢がかなったいま、本当に楽しく幸せになれてしまう自分にちょっと驚いている。

 

この先、家族の問題や健康の問題が出てくるかもしれない。世の中が不安定で変化も激しいので、今はさほど心配ないだろうと思っても経済的な問題も出てくるかもしれない。

今の社会がずっと安定して続く、という見通しが昔よりは暗くなっている。

ただそういう自分の手が届かない世界のこと以外の小さな日常の輪の中では、「先が楽しみな本があと450ページも読める」だけで十分楽しさと幸せを感じる。

「鬼滅の刃」を読んだときに、縁壱が言う「私の夢は家族と静かに暮らすことだった。小さな家がいい。布団を並べて眠りたい」という言葉に、それを「夢」ということがイマイチピンとこなかったが、改めて考えてみると自分の「夢」も似たようなものだった。