うさるの厨二病な読書日記

厨二の着ぐるみが、本や漫画、ゲーム、ドラマなどについて好き勝手に語るブログ。

「ルポ 特殊詐欺」 なぜ、使い捨てられるとわかっているのに闇バイトに応募してしまうのか。

【スポンサーリンク】

 

www3.nhk.or.jp

大学に入学してわずか二か月で、闇バイトに応募して自動車事故でなくなった人の話を読んだ。

この息子さんは高校も成績優秀で、家族仲も父親と二人で外食するくらい良好、この事件を起こすまで問題行動もなかった。

 

闇バイトによって使い捨ての末端人員を集める犯罪の構造は、東京で起こった強盗殺人でだいぶ一般的に広まっている。

それなのに、特に金銭的に困っているわけでもない人が闇バイトに応募するのは何故なのか。

そのことに興味を持って、加害者側の実態を追った「ルポ 特殊詐欺」を読んでみた。

細かい事情は各々違うのだが、応募した人間が辿る経緯はほぼ同じだ。

「金に困る」→「軽い気持ちで闇バイトに応募する」→「身元が割れる」→「脅されて骨の髄まで利用される」→「切り捨てられて捕まる」「追い詰められて自首する」

以前、テレビで実際に闇バイトに応募したらどんな応対をされるかを取材歴が長い記者が試していたが、応対する相手は愛想が良くとても丁寧だった。

簡単に入口につながるようになっており、いかにも「日常の範囲内のことなのだ」と思わせるために語彙の言い換えが行われている。

「被害者からクレカを盗むために家に行く受け子」を「簡単な代行業」と言い換えるなど、大人でさえ「普通の仕事の応募では」と錯覚しそうになる。

これを電話やSNSのDMなどの「疑似密室空間」でやられると、誘導されて相手のペースにハマり流されてしまってもおかしくない。

SNSでエコーチェンバーが問題になっているように、閉じられた空間では人間の思考は誘導されやすい。

 

「縁を持ちたがる相手」は、「とても簡単なことなんだ」「そんな大したことではないんだ」と話を装う。

騙す相手をいかに「軽い気持ち」にさせるかが重要で、そのためにあの手この手を使う。(宗教やネットワークビジネスの勧誘が、最初から名前を名乗ったりせずに勉強会やヨガや料理教室の集まりという体裁を取るのと同じだ)

応募してくる人間は多少疑っていても、金が欲しいから連絡してきている。

「応募してくる」時点でハードルを超えてしまっている。

「仕事なら身元を送るのは当たり前」と思って、身元を送ってしまったらその時点で逃れられなくなる。

こういう相手は一度でも縁を結んでしまうと、断ち切るのは至難だ。

「ルポ 特殊詐欺」を読むと「応募してしまったら、犯罪の構造に組み込まれてほぼ積み」という仕組みなので、「応募させないようにするにはどうしたらいいか」を考えるしかない。

 

「ルポ特殊詐欺」を見ると「応募するまで」には多種多様な背景がある。

家庭に恵まれず社会で生きる基礎的な知識や能力がほぼなくて行き詰まってしまうケースもあれば、軽度の知的障害の人が知人に借金を負わされて犯罪に加担させられたケースもある。(このケースは読んでいてかなり胸糞だった)

こういうケースは支援が困難にせよ、原因自体は目に見えて理解しやすい。

 

しかし、NHKの番組で取り上げられたようなケースはどう考えればいいのか。

自分がNHKの番組のケースを読んで思ったのは、「下の世代とは感覚が違う」ということをわかっている。だが「どう違うか」を自分の感覚のみで考えていたのではないかということだ。

昔は「旨い話には裏がある」という言葉が、それなりに説得力があった。

しかし今の時代は「旨い話に裏があるのはわかっている。いかにその裏の仕組みを知って、その仕組みの中でうまくやるかが重要」という感覚なのではないか。

実際に「『やり方』とある程度の運さえあれば、何の元手もなくても成功した」という「旨い話(成功譚)」は、ネットやYouTubeを見ればすぐ目につく場所にある。

「同じことの繰り返しのような平凡な日常」と「非日常的な一夜にして成功する世界」が、親世代よりもずっとシームレスなのだと思う。

 

もうひとつ思ったのは「親世代との断絶」は、以前のような「分かり合えない」という意味ではないのではということだ。

SNSでアカウントやグループを使い分けるように、「家族というグループの中には関係がない、持ち込まない話」という感覚があるのではないか。

昔ももちろん「親には関係ない世界」はあった。

だがそれはあくまで「自分が元々帰属している家族というものに関係ない世界を外に持っている」という感覚だった。「家族」が前提となる組織で、そこを基軸にした(反発も含む)「関係ない」だった。

だが今は「他の世界にいても、家族という組織に帰属はしている」という意識が薄く、平行に並んでいる断絶した世界にそれぞれ帰属しているという感覚なのではないか。

 

だから父親と仲良く夕飯に行く仲でも、他の世界で起こっていることは話さない。

それは父親を信用していないわけでも反発しているわけでもない。単純に「違う世界の話だから関係がない」という感覚なのではないか。

そしてその世界でのエコーチェンバーに巻き込まれれば、「その世界の外の人に相談する」という発想はなく「この世界の中で何とかするしかない」という気持ちになってしまう。

 

「断絶」しているのは、信頼でも理解でもなく世界なのかもしれない。

この考えが合っているとすると、親がいくら言ってもいくら親身になっても理解しようとしてもかなり難しいと思ってしまう。

 

若い世代の人が「旨い話の裏をかく仕組みをわかっていれば、自分だけはうまくやれるのではないか」と思ってしまうとしたら、それは今の世の中に大きな原因があると思う。

「ルポ 特殊詐欺」の中でも、「他人がそんな高額のお金を簡単にくれるなんて旨い話があるはずがない、と言っても無駄だ。今の時代は『百万円を配ります』のような旨い話が本当にあるのだから」と書かれていた。

今の時代は「既存のシステムを理解して、いかにその中でうまくやるか」を考えることが成功への道だ、ということは否定できないし、そう説く人もたくさんいる。

社会の構造自体が、「地道にコツコツとやったものが長期的に評価される」のではなく、「一瞬で注目をさらうものが、爆発的に評価を得る」作りになっている。

「旨い話や努力なしで簡単に成功する話などない」という神話は崩れてしまっている。

その構造を支えている大人が、「旨い話には裏がある」「使い捨てにされるものになど飛びつかず地道に頑張れ」と言っても説得力がない。

 

ノートにも書いたけど、十代、二十代のうちは自分の可能性を追求することだけを考えていいと思う。*1

だからこそ、闇バイトのようなことは可能性を追求しているんじゃなく、可能性を他人に都合よく使い捨てられるだけだと言いたい。

 

「ルポ 特殊詐欺」の中でも、駒にされた「加害者」はやりたくないと何度もいい、何とか犯罪の枠組みから逃れようとする。

だが相手は執拗に追ってくる。家族に対する暴力もチラつかせてくる。

・闇バイトに応募したら、もうそれでアウト。縁を結ばれたら決して逃げられない。

「つながる」ということはそれくらい恐ろしいことだ。

 

自分がこの件で何か出来ることがあるとすれば「闇バイトは応募したら即積み」と言い続けること、あとは「やり方さえ知っていれば、一発で注目を集められ上へ行ける。そしてそういうことに価値があり、それが賢いことなんだ」という考えに消極的に抵抗していくしかないなと思う。

以前から「自分がおかしいな、変だなと思う流れには、それが世の中の主流でも細々と逆らっていきたい」というようなことを書いているので、今後も細々と続けていきたい。

note.com

 

*1:犯罪や規約違反は駄目だがな。