戦前の共産党の組織はレーニンが作ったボルシェビキを元型としており、さらにボルシェビキはロシアで生まれた過激派組織「人民の意志」をモデルにして作られているという話を読んだ。
「人民の意志」に影響を与えたネチャーエフは、ドストエフスキーの「悪霊」のモデルになった人物であり、前々から読んでみたいと思っていた。
※表紙が独特で、ちょっと外で出しにくい。表紙はネチャーエフが収監されていた「アレクシス半月堡」の全景で、貴重な写真らしいが。
レーニンが「人民の意志」を組織造りの参考にしたのは、元々は革命のための少数精鋭の非合法組織を作ろうとしたからだ。
レーニンの考えでは、革命は少数エリート職業革命家によって組織された前衛党が大衆を指導することによって実現する。
この当時の共産主義(マルクス・レーニン主義)の考え方では「暴力革命も辞さない」のではなく、むしろ「暴力革命とプロレタリア独裁は革命に必須」だった。
マルクス主義の考えでは、
・下部構造(経済)の変化が上部構造(政治・宗教・文化など)を変化させるのであって、その逆ではない。
・そのため議会民主主義で多数を獲得することで(政治的に)革命を起こそうなどというのは欺瞞である。そんなことはありえない。(今の時代だと信じられないが、議会民主主義の枠組みの中で政権を奪取しようという考え方は、反革命、左派ファシズムと言われてむしろ右翼以上に敵視された。今の時代に至るまで連合と共産党が相いれないのは、戦前に対立した歴史があるせいだ)
・大衆主体で革命を起こそうとしても、せいぜい労働運動止まりであり政権を転覆するような革命は起こせない。
・下部構造(経済)が揺らがない限りは、大衆は現況に安住する。
・だからまずは暴力革命によって政権を強制的に転覆し、権力を奪取する必要がある。
・ただ上部構造(政治)を握ったところで、下部構造(経済)が変わらなければ結局はまた権力を奪い返される。
・そのため一時的に上部構造によって下部構造を支配するプロレタリア独裁を敷く必要がある。
・プロレタリア独裁によって下部構造も支配しおえた時に、初めてプロレタリアートによる共産主義体制をしくことが出来る。
こう考えていたので暴力は革命の過程の中に組み込まれていた。
戦後の新左翼を見ると、なぜ彼らはそこまで抵抗なく運動の中に暴力を持ち込んだのか以前から不思議だった。
ただただ運動が過激化したという一般的な現象だと考えるとしても、暴力を用いることに抵抗がなさすぎると思っていたが、運動の出発点となっているマルクス・レーニン主義に前提として暴力が組み込まれていたのだ、と知って合点がいった。
上記のプロレタリア革命の理論を読むと「下部構造が上部構造を規定する*1が、下部構造は暴力によってしか転覆できないと考えているから、過程において必要になると考えているんだな」と理屈としては理解できる(賛同はまったくしないが)
マルクス主義の理論は一見おどろおどろしいようだが、実は単純な二分法概念の組み合わせの上に構築されているからきわめて図式的である。したがって頭が単純な人にはきわめて入りやすい(略)
マルクス主義が二分法の概念から逃れられないのは、その基礎に、弁証法をおいているからである。
弁証法の基礎テーゼは「対立物の闘争と統一」「対立物の闘争による発展」ということだから、弁証法による認識者はまず「対立物」の発見から出発せねばならず、そこでどうしても二分法概念が必要となってくるのである(略)
二分法概念はマルクス主義の強さであると同時に弱さである。その弱さは、中間項をうまくハンドリングできないことにあらわれる。
(引用元:「日本共産党の研究(二)」立花隆 講談社 P14 - 15 /太字は引用者)
「頭が単純な人にはきわめて入りやすい」はさすがに言い過ぎじゃないか。
ただマルクス主義に限らず、西洋哲学は二元論的思考の枠組みが強い、というのは自分も感じる(マルクスはユダヤ人なので、思想にもユダヤ教の影響が強いのでは、ということは指摘されている)
左翼は基本的に「人間の理性で物事のすべてを判断しコントロールできる」と考える。(マルクス主義なりユダヤ教的発想なりでも)原理に従いすべてをコントロールできるはずだから、原理を基準にして思想が「遅れているかいないか」「上か下か」という発想に自然となる。
そしてこの発想であれば、原理に最も近い(進んでいる者)が上であり、その原理を熟知しているものが下部を指導することが正しいという考えが出てくるのは自然、というよりも当然である。
ネチャーエフは革命運動に入るにあたって「革命家の教理」という覚書を作り、これに基づいて組織を作っているが、この「教理」にはその後のボリシェヴィキ、コミンテルン、戦後の新左翼の源流となる考え方がそのまま書かれている。
二、革命家の、同志達に対する態度
(前略)同志たちには階級が存在する。その筆頭に属する人間だけが、最終的な目標と革命運動全体の組織に精通する資格を持つ。
第二、第三の階級に属する人間は相互に細かい意識的な配慮を以て活用されるべき「革命の資本」を構成する。
(引用元:「ネチャーエフ ーニヒリズムからテロリズムへー」ルナ・カナック/佐々木孝次訳 現代思想社 P54/太字は引用者)
「革命運動全体の組織を精通するのは指導者だけ」
組織の構成員は組織の全景を知らず、横のつながりもほとんど断たれている*2ただただ「上からの伝達を持ってきた」という身も知らぬ人間が言うことに、疑問を持たず(持つことは許されず)絶対服従する。
「真昼の暗黒」や「悪霊」の革命(後の)組織の在り方は、荒唐無稽な作り事ではなく現実だったのだ。
ネチャーエフは、秘密警察を警戒しながら権力を転覆することを目的としていたので、少数精鋭の秘密部隊のような組織体制が(目的に対して)理にかなっていた。
だから同じように革命だけを目的とした組織を作る時に、レーニンはネチャーエフの教義に強く影響を受けた「人民の意志」をモデルにした。
問題は革命成就の後も、革命のために作られた組織がそのまま政権組織として残ってしまったことにある。
ネチャーエフが革命運動の主流となれなかったのは、「すべては革命のため」という姿勢が非情なほど徹底していたためだ。
四、「教団」の、民衆に対する態度
民衆が反抗の勇気を示すのは、苦痛が限度を超えた場合だけである。
したがって、革命家はその義務としてこの苦痛をいささかも和らげてはならず、むしろできればこの苦痛を耐えがたいものにするように力を用いるべきである。
(引用元:「ネチャーエフ ーニヒリズムからテロリズムへー」ルナ・カナック/佐々木孝次訳 現代思想社 P56/太字は引用者)
ネチャーエフは仲間や民衆でさえ革命のためならば利用し、時には犠牲にする、そう明言していた。ここまでくると一体、誰のための、何のための革命なのかわからなくなってくる。
本書を読むと、自分が長年疑問を感じていた「なぜこんな荒唐無稽と思えるような考え方が、集団や党派、どころか国境さえ超えて蔓延していたのか。根本には、何か元となる原理があるのではないか」ということと、その考え方が後の時代にどうつながっていったかが見えてくる。
形は変われど今日起こっている出来事の要因の一端がわかって、満足できた。
ドストエフスキーは、ネチャーエフをそうとう戯画化して描いているので、否定的な見方をしていたと思っていたが、ネチャーエフ自身に対しては意外と中立的に見ていたようだ。
作者(ドストエフスキー)はネチャーエフのなかに、異常に鋭いけれども抽象的で、往々現実には何の効力もない知能を見てとった。だから彼の行動は、時に「天才的」であったり、時に「間抜け」であったりする。
またドストエフスキーは、ネチャーエフを説明するのに「故郷喪失者」なる言葉を用いて、主人公のあらゆる迷いや誤ちは、結局、主人公と現実との絆の喪失のためと言う。
(引用元:「ネチャーエフ ーニヒリズムからテロリズムへー」P208‐P209ルナ・カナック/佐々木孝次訳 現代思想社 P56/太字は引用者)
これを読んだ時、連合赤軍事件の主犯の森恒夫が「彼の関心は、自らの内部に形成された思考のみに集中しており、目の前の人間の現実の痛みは関心の対象にはならない」と評されていたのを思い出した。
むしろ今の時代にこそ戒めとなりそうな評だなと思った。