少し前に「済州島四・三事件」に興味を持った。
この事件は韓国でも長く触れられることのない件だったが、2000年代に入ってようやく公に解明しようという機運になった。
日本だと金石範の「火山島」が有名なので読んでみた。
ハードカバーで全7巻という凄まじい分量の小説だ。
当時、島全体がどんな様子で、島内から見るとどんな経緯で物事が起こったかがわかるところは良かったが、創作としては冗長すぎる*1。
「火山島」は実際の事件を背景にしているとはいえあくまでフィクションなので、事件に関して書かれた本を読みたいと思い探したところ「島の反乱、1984年四月三日 ー済州四・三事件の真実ー」という本を見つけたので読んでみた。
この本に興味を惹かれたのは、「四・三事件」について従来とは違う見方をした本であると紹介されていたことと筆者が幼少のころに実際に四・三事件を経験しているからだ。
「島の反乱」の筆者である玄吉彦は、2013年に盧武鉉政権時に作成された「済州四・三事件真相報告書」に対して疑問を表明したところ、すさまじい反発を受けた。
そういう経緯の中で、筆者は自分なりのこの事件への見方を残しておきたいと考え本書を執筆した。
昨夏(略)参与(盧武鉉)政府期に作成された『済州島四・三事件真相報告書』(以下『報告書』)に対する私なりの考えを『本質と現象』誌に掲載したところ、済州四・三関連団体と一部の地方メディアが口にするのもおぞましい侮蔑的な言葉で私を罵倒してきた。(略)
私の文章を非難した人たちでさえも、四・三に関する知識が薄っぺらで理念的だということがわかり、あの事件の真相を、私なりに事実(ファクト)を中心に記しておかねばという義務感に駆られるようになった。
歴史的事実に対する認識は個々の歴史意識によって異なるにしても、そのすべてに共通しているのは、事実(ファクト)に基づくという前提だろう。
ところが、あの『報告書』は「過去史清算」という政治理念を実現するために必要とされた「政治文書」の類にすぎず、歴史的事件を復元しようとする真摯さに欠いていた。
(引用元:「島の反乱、1948年四月三日ー済州四・三事件の真実ー」玄吉彦/玄善充訳 同時代者 P8-9/太字は引用者)
「島の反乱」で書かれていることは、物凄く平たく言えば四・三事件が起こった責任は南朝鮮労働党にもある、というものである。
玄吉彦の体験談を読むと、村民は軍隊からも反乱部隊からも同じように被害を受けており、二派の争いに島民が否応なく巻き込まれている。
さらに玄の二人の叔父のうち、一人は警察、もう一人が反乱部隊に参加しており、実際に四・三事件を経験した島民にとっては「どちらが被害者でありどちらが加害者か」という考え方の枠組み自体が無意味だということが書かれている。
「島の反乱」を読んで思ったのは「歴史を知る」には段階があるんだなということだ。
①(玄吉彦が主張している通り)「事実(ファクト)」を知る段階。
実際に過去を見ることは出来ないので「事実(ファクト)」とは何か、という疑問が出てくるが、学説や考えに違いがある専門家でも「対象(文献や作成物など)が、この年代にこの人物の手によって、こういう背景や状況において作られたのはほぼ間違いがない」と現段階*2で見解が一致し、各々の学説の根拠となりうるものとして共有しているもの。
②「事実(ファクト)」についての専門家のそれぞれの解釈を知る段階。
③その解釈なり「事実(ファクト)」から派生した通説を創作などを通して知る段階。
歴史について意見や批判を述べる時は、①②③がごっちゃになりやすく、「この歴史において①②③のどこが争点になっているか」「自分がどの段階を争点にしているか」を明確に認識せずに意見を言ってしまうと話が混乱するのではないか、と感じた。
というのも、「島の反乱」において玄吉彦が争点にしているのは「①事実(ファクト)とは何か」の段階だが、玄吉彦を批判した人間は「①事実は『報告書』によって判明している」という前提に立って「②事実に対する解釈の違い」を争点にしているからだ。
これだと議論しているように見えて、内実はまったく噛み合っていない。
歴史を研究している専門家は「①(現段階の)事実」を共有した上で(共有していることを確認した上で)、「②事実に対する解釈」について各々研究して議論をするのではないか(ただの推測だが)
ここにおける「段階設定」のような「歴史を知っていく過程の段階」を共有していないと「実際に見た人間は誰もいないのだからどんな可能性もありうる」というような「何もかもが不明瞭」ということ自体を根拠(にはならないのに)にした、いきなり「②解釈」の段階にいってしまうような考え方が尤もらしく聞こえてしまうのではないか。
「どんな可能性もありうる」ということ自体が、それは「今はまだこの件に関しては①の段階であり、②の段階に行くべきではない地点にいる」ということを各人が共有することが歴史を知る上では、とても大事なのではないか。
「いま『歴史を知る段階』のどの地点にいるか」(公にはどの段階なのか、自分はどの段階を問題にしているのか、そして相手とその争点は噛み合っているのか)を明確に認識していない限りは、その議論はかみ合っていないのだから不毛なものになってしまう。
そんなことを考えた。
特に「四・三事件」は韓国の建国史(南北分裂)にも深く関わるので、「事実を検証する」と表明することさえ「事実とは何か」が争点となる政治問題になってしまうのだろうなと、その難しさを感じた。
(前略)訳者が本書を訳出・刊行したいと思ったのは何故なのか(略)
一つは日本における四・三に関する議論の多様性を確保したかったのである。
日本での四・三に関する議論はこれまで、在日の小説家である金石範や詩人の金時鐘が独占・主導してきたような印象が強く、そうした事態に対して、訳者は久しく違和感がぬぐえなかった。
金石範の『火山島』は四・三を題材にした一つの文学的達成であることは疑い容れないのだが、だからといってそこに書かれたものが四・三の実相であると即断するのは慎むべきであるというのが筆者の考えなのである(略)
それは文学作品なのであり、そういうものとして扱われるべきであろう。
(引用元:「島の反乱、1948年四月三日ー済州四・三事件の真実ー」玄吉彦/玄善充訳 同時代者 P173-174/太字は引用者)
普段ならば「当たり前」と思う*3言葉だが、四・三事件については政府の報告書にすら疑義が出している人がいる「①事実(ファクト)」が争点になっている段階だ。
現段階では「①事実(ファクト)」が論点になっている→つまり自動的に、専門家でも研究者でもない自分は今は「①」の段階にとどまっている、ということ自体を認識することが「歴史を知る」ためには大事なのだろう。
ただ「今は①の段階なので、多様な解釈をする段階ではない。事実(ファクト)がそろうのを待つしかない」ということを認識するためだけでも、調べた甲斐はあったのかなと思う。